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救済

0時を回って、母親に1番に連絡しました

可愛く生まれてきてが母親らしい


以前も記したかもしれませんが、私は一度だけ母親に「死にたい」と泣きながら伝えた事があります。アイドルの、きのホ。のオーディションの合格を辞退しなさいと言われた時でした。

口を突いて出た「死にたい」という言葉は、本当に自殺願望があった訳ではなく、ただ漠然とした希死観念から出たもので、死にたいというよりは「救われたい」、「助けて欲しい」という縋るような心の叫びでした。今思えば母親に対して言っていた訳でもないかもしれません。ただ誰かに助けて欲しかった。

当時の私にとってはアイドルの道に進む事が救済でした。今実際に、この活動じゃなきゃ、ここじゃなきゃ得られなかっただろう考えられないほどの出会い、そして貴方たちが与えてくれる沢山の言葉と愛に救われています。常に新しいに塗れた私の「今」は本当に苦しくも愛おしく、遅れてきた青春そのもののように感じています。
こうやって日々救われて生きている私が、貴方の救済そのものにはなれなくとも、少しでも貴方の人生に彩りと笑顔を返せていたら、それは何よりも嬉しいです。






当時の私には他に生き方なんて全く思いつかなかったし、きっとこのチャンスを掴まなかったら一生後悔するという謎の確信がありました。その後ほぼ同意が得られないまま強引に京都に引っ越し、活動を始めました。

2年経って、気がつけば母は衣装の飾りを作ってくれたり、ライブも(極偶にですが)見に来てくれたりと、私の活動に対して前向きに応援してくれるようになりました。上手くいかない時に1番に相談できる相手でもあります。(実は初期衣装の頃から作ってくれていたので、当時から影ながらには応援してくれていたのかもしれませんが) 母がいなかったら今のそこそこ健全な精神と肉体での活動は不可能だったと思います。

産んでくれてありがとう。