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現実だとは誰も言い切れないでしょう(他)

先日急に思った。

「わたしはいつかの睡眠中に死んでいて、自分の死に気づかないまま夢の中で生きているのではないか、わたしが生活していると思っているここは夢の中で、現実ではは既に死んでいるのではないか。」

何故急にこんな事を思ったのかはわからない。ただ妄想であると言い切れないあたりに気持ち悪さを感じた。


どんなことも有り得るでしょう。
私は実は最近流行りの「小説の登場人物の中のモブ」かもしれない。
死んではいないけどここは夢の中かもしれない。
劇の中でわたし以外は全員セリフが与えられた役者かもしれない。

夢だったらもっと楽しいことだけで埋め尽くされてたいのできっと現実である事を祈る。








 たなかという人間がすきだ。彼の作る音楽がすきだ。誰?と思った方はぼくのりりっくのぼうよみと検索。

高校生の頃に初めて音源を聴いた時から、彼は私の救いであり代弁者であると勝手に思っている。歌詞がもし彼自身の事を書いたものだとしたら、わたしと重なる部分があまりにも多いように感じた。ほんの1mmでもわたし自身を誰かに理解された気がした。曲を聴いて泣いたのなんて久しぶりだった。

私には歌詞を紡ぐだけの教養がない。言葉がない。知識がない。だから彼の歌を聴くたびに「ああ、わたしはこう言葉を発したかったんだ」と勝手に救いを得ている。そして自分の尺度や価値観の浅はかさにふと気付かされる。彼はもっと深いところを見ているからこんな言葉として表現できるのではないか、と。

ジャンルレスで音楽が好きになったきっかけをくれたのも彼だ。それまではロック一筋だった。フェスで彼を最前列で見た。どこか感じる薄暗さと繊細な楽曲は、ゴリゴリのロックバンドの中で少し浮きながらも違う世界観を醸していた。青空が非常に似合う存在だった。音楽の広さを教えてくれた。



わたしは少しずつ大人に近づいた。そのうち彼は人間を辞職した。ニュースで取り上げられていて笑った。彼がネットでよく炎上したり揉めたりしていたのは知っていた。そのたびに楽曲の雰囲気が変わる気がしたしアルバムジャケットの色が青から赤に変わっていった。彼は色んなものを抱えすぎてるのかなぁと思っていた時のことだった。引き際の美学という言葉が思い浮かんだ。同時に強い喪失感を感じて泣いた。

けど彼はまた帰ってきてくれた。名前も楽曲性も変わった。彼自身にも変化はあったかもしれない。彼が作る音楽の素晴らしさは変わらないし過去に残してくれたものもある。わたしはずっと彼に救われている。そしてこの業界に入ってしまったのでいつかなんらかの形で一緒に音楽ができることも夢見ている。

生まれてきてくれてありがとうたなか









服の話、音楽の話、漫画の話、感謝、抱負、全部書いて全部消した。全部うまく書けない。伝えたいことは沢山あるはずなのに文章にできない。言葉にもできない。どうやって伝えようね。

書きながらイラっとするくらい遠征先のホテルが寒い。寝てても感覚あって起きてるっけ...?ってなるくらい。全然暖房効かない寒い。多分そのせいきっとそのせい。

のでゴールデンカムイを見ようね。おすすめされた映画もあるね。ジョジョも見ないとだね。

作家さんにファンレターも書きたくてレターセットを買ったので書こうかな。あなたたちの手紙を書く理由がわかるのとても。そしてそれを受け取るのがとてつもなく嬉しい気持ちもわかるの。だから書く。

というわけで自分の世界に引きこもる。言葉はまた筆が進んだ時。



ではまたね