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歯ごたえありすぎたーー書評『人工知能が「生命」になるとき』三宅洋一郎

私がこの本を読もうと思ったきっかけは、株だ。去年の11月、株取引の口座を作り、僅かだがお金も入れた。だがいまだに一度も取引していない。なぜなら、何を買って良いか分からないからだ。どれも上がりそうな気がするし、どれも下がりそうな気がして買えないのだ。

そこで私は(誰もが考えることだと思うが)、この先IT革命のような世の中に圧倒的な変化をもたらすものは何だろうかと考えた。

やっぱAIでしょ。

と思ったけれど、私のAIに関する知識は、Siri?アレクサ?あれってAI?レベル。そんな状態で大切なお金をドブに捨てるわけにはいかない。多少なりともAIに関しての知見が欲しい。そして僅かでも納得いく買い方でAI関連会社の株を買いたい。そう思ってこの本を買ってみた。

読み始めてすぐに後悔した。この本の難易度が自分のような三流大学出の人間には高すぎたからだ。だが一応、最後まで読み切れた。これは筆者、三宅洋一郎さんの特性が寄与している。この著者は、ゲーム開発者というエンタメ精神必須の業界人で、私のようなリテラシーの低い人間にも内容を理解してもらおうという意気込みがあった。それは、冒頭9ページにわたる「本書を読みすすめるためのガイド」を用意してくれていることにも現れている。

私の拙い理解力でこの本を評すると、著者が考える人工知能(本書では、AIと言いません。人工知能と言っています。)の未来像、そして著者が考える最適なアプローチ方法が書かれている。

著者が考える人工知能の未来像は、タイトルからも分かる通り「生命」だ。人工知能が生命になるためには、現在のアプローチでは届かないのではないか?もしくは時間がかかり過ぎるのではないか、というのが著者の立場だ。

なぜ今のままでは生命に届かないかということを、西洋的アプローチと東洋的アプローチという言葉を使って説明している。

例えば、

東洋的な人工知能は、自己生成的なものであり、人間が支配するものではない。それは混沌を母体とした混沌の一部であり、西洋的なサーバントではない。我々が理解しようとしまいと、すでにそこにあること自体が存在理由なのです
(P.134)

と主張している。つまりサーバントはどこまで行ってもサーバント止まりで人工知能が自立した生命になれないということだと思う。

また、

人工知能の発展方向には、世界に存在として深く根付いていく人工知能を作ろうとする哲学的・構造的な探求と、これまで人が行ってきた業務を自由化して社会の動きを補完し最適化していこうとする工学的・機能的な探求の2つの流れがあります
(P.156)

と言っているが、哲学的・構造的な探求を東洋的、工学的・機械的な探求を西洋的と位置づけている。つまり西洋的なアプローチでは、人工知能は哲学しないということかと思う。

またこの本特徴的な一つが唯識の考えを使って、西洋的なアプローチを東洋的なアプローチの対比を説明している。正直いって、自分には難しすぎたが、何となくの理解で図にしてみた。

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(↑間違えていたらスミマセン)

この図のように、西洋的なアプローチと東洋的なアプローチは対極の関係にあるということのようだ。そして著者は、繰り返しになるが現在の西洋的アプローチ有利の状況で進んでしまうと、人工知能開発はいずれ詰んでしまうだろうと予想している。だから東洋的なアプローチを西洋的なアプローチにぶつけて、人工知能を「生命」にする未来を模索していくべきだと提案している。

確かに何となく分かる気がする。つまり機能的な人工知能、例えば囲碁の「AlphaGo」やお掃除ロボット「ルンバ」などは、人より優れているが、一つの仕事しか出来ない。人間に追いつかせるには、無限の数がある仕事すべての人工知能を作り、それを組み合わせなければならないだろう。それは無理ゲーな気がする。つまり現在の人工知能は世界の一部でしか機能していないもので、人間の思考という広大な情報空間を解析し人工知能に移す作業は途方も無い作業になってしまう。だから、筆者がいうように情報空間も含めた混沌の中から生み出す東洋的なアプローチが必要なのだろう。

この本を読み終えて私は、人工知能に関してチョットだけ詳しくなった。人工知能開発の抱えている問題点、「シンボルグランディング問題」フレーム問題というものの存在も知ることが出来た。そして人工知能の分野が意外な「沼」であることがわかった。人工知能の分野は、脳科学や認知科学、言語学、生態学、環境社会学など、さまざまな分野にまたがる学問であり、知れば知るほど分からなくなる「沼」学問だった。よって、当初の私の目論見であるAIに詳しくなりAI関連株を買うということは、よく分からないものは買えないという結論に至り達成されていない。しかし私は読んで無駄だったとは思っていない。人工知能の「沼」の楽しさを知ることが出来たから。

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