圧倒されたい
はろーあしたばです。
ちょっと前から、「人は圧倒されたい生き物なのかもしれない」と思ってます。
少なくとも私は圧倒されるのが楽しい。
ミュシャのスラヴ叙事詩やティファニーが作ったステンドグラス、ミュージカル、出雲大社、爆音のライブ、オーケストラの演奏など。
物理的に大きいものがわかりやすいけど漠然と「あぁこれは太刀打ちできない」と感じ、そのものが持つ熱量に飲まれる瞬間があります。
しばらくそこにじっと突っ立って波に飲み込まれて呆然とできる。
呆然としてる間のあの気持ちを何というのか知りません。
じわじわと「すごいものを見てしまった」とピリピリするわけです。
で、なんでこんな話を始めたかといいますと。
先日最終回を迎えた鬼滅の刃〜遊郭編〜の作画が「これやばい。どうなってんの。制作陣に直接課金させてくれ!!!」ってレベルだったんです。
その時に、ストーリーよりも「作画」に圧倒されて感動してると気づいたんですね。(ストーリーももちろん感動します。念の為。推しは無一郎)
海外のリアクションビデオを見るのが好きなので、今回もアニメ見てから海外のリアクションビデオを見ました。そこでも「作画やべーー!」「俺はいったい何を見せられているんだ?」「いくらかけてんだよ!」が大多数の反だったんです(アメリカ・フランス・ケニアの人など)。
そこから「おや、みんな作画に興奮してるな。たしかに見たことないもんね。そして制作現場を想像できる。美しさとヤバさを同時に感じられるものってなかなかないよね」と冒頭の結論に至ったわけです。
綺麗なものも、感動的なストーリーもいくらでもあるんだけど
「仕組まれた感動」の匂いを鋭く嗅ぎ分けられるようになった僕らは「背後にある隠しきれてない商業臭さ」を感じると萎えるんですね。
演者や作り手の「切実さ」が伝わってくるものをインスタで探すのは難しいです。
そういうものが薄まらずに後世に残るといいなと思います。
「圧倒されたい」が圧倒したいの表裏一体なのかは不明です。