劇場R『キル』を観て思い出したこと、感想のようなメモ
『蒼き狼』を古本屋で手に取り読んだのは高校生の時、学校のすぐそばに万葉堂書店が出来てちょくちょく寄るようになった。世界史の先生が井上靖のその本を強力に薦めてくれた。後に『天平の甍』『敦煌』も読んだ。中学時代には井上ひさしの『吉里吉里人』を。いまだにその頃に買った分厚いシャーロック・ホームズ全集を開いたり…。友達いないのか君はと、去りし日の自分に思う。
『キル』は、その時分読んだ『蒼き狼』を非常にわかりやすく見せてくれていた。
いずれもテムジンの出生の秘密(自分には蒼き狼と白い牝鹿の血が流れていないのではと)苦しみ、その悩みは戦いの中で翻弄される女性たちの運命同様尽きることがない。それを焼き去るが如く(自身の苦悩・葛藤)敵を殲滅しつくすという血塗られた運命→因果応報の物語。「♪親の因果が子に報い~」である。
見知った俳優も何人かいてその成長やがんばり普段は見せない面を感じてもいた。が、私は本やセリフに興味が行った。
一番好きなシーンは、恋文を代筆し伝えその逆もまたと、書き伝えることの葛藤に、ロマンとらしさを感じていた。粗野な言葉遣い等の対比でキャラクターが見えて来てもいた。シルクや結髪(けっぱつ)の俳優も好演していた。
演出的にも能舞台でと意欲的、布、扇子、衣裳…。でもだとすると、確かに松はあってよかったと思うし、足音ももっとぐっと踏んで欲しかった(踏むは、ミシンや行軍、鼓動等大変意味を持っていた)
この舞台の下にも甕が埋まっているのだろかと、余計なことを考える楽しみも舞台にはある。
能-BOXはなかなか声が届きずらい。雰囲気は良く固有な会場で好きだが、なかなかに難しい。
それでも本や演出を超えて、俳優の身体を通した声で、やり取りで魅了して欲しかった。
一番奥では無理かもしれない。
聞こえて来たのは、野田の声だった。それが上演する動機であり、観劇する理由のひとつにもなっていると思うが、もっとそこと格闘して欲しい。それこそが提出すべき劇ではないかと思った。
一昨年『赤鬼』も観た、他のチームのも観て、また他の演目もと観て、野田戯曲の面白さには参ってしまうなと感じている。人気があるのもわかる。でも、それらを観て浮かんで来るのは、それをやり次はどうするのかということ。
ひとが集まり稽古して公演、そこに観客も集まり、観て楽しむ。ここ2年なかなかに大変なことだったと思う。少しずつ元に戻って行くのだなと、新しい地平に向かうのだなと感じ喜ばしくも悩ましい気もしてくる。そうやっていろんなことを考えながら観るのが自分は好きなんだろうなと思う。
良い戯曲、人気のある劇に取り組み、次に何を!?こそ観たいのだと。評価の定まったものより、未知数の固有の魅力こそ、野田に勝り得るものだと。そう書いても違うんだろうなあと、もごもご…。自分はどうすんだべなって、まあ僕は十分楽しんだ。てなわけで、感想のようなメモを終わります。