沖縄とお線香4「夕起子さんとの再会」
2021年1月、那覇市の80?歳の金城夕起子さんに東京に引っ越して約3年(正確には2年8,9カ月)ぶりに会いに行った。行く前にまず近所の赤田さんに生きているかを恐る恐る聞くと、
「入院してたけど、もう元気になって退院して家にいるはず」
と聞いて、ホッとした。
沖縄から東京へ引っ越す前の2018年4月に最後に会った時も、夕起子さんは退院したばかりだったので、那覇の仕事が終わって東京に戻ると言い出せず(寂しい思いをさせるのは悪いと思って)、そのまま引っ越したことが心に引っかかっていた。
アポなしで来たが、夕起子さんは自宅で会うなり、
「あなたが来る気がしてたよ。今日、引き出しからあなたにもらった手鏡が出てきて、元気にしてるかねーって思ってたところよ。鏡くれたでしょ?」
「あ~、小さい鏡でしょ。もう4年ぐらい前だよ、あげたのは。会うの3年ぶりなのによく覚えててくれたね」
「手鏡で思い出した、普段は忘れてる。名前は竹〇だったかね?」
「池〇だよ(笑)。顔は覚えてても名前は適当だなあ」
「もう、80?歳で頭がいい加減になってる。何回か入院したけど、生き返った。心臓も一回止まったけど、神様がまだそっちにいろって送り返した」
「僕が引っ越す前に入院した時もそんなんだったね。まだ生きてやることがあるってことだから、よかったじゃない。前より元気そうだよ」
夕起子さんは、四柱推命の占いや沖縄の神事(かみごと)を勉強していて、遊びに行くとその手の話をしてくれるので、時々遊びに寄っていた。
元々は、沖縄戦の後から夫婦でハーバービューホテルとかウィークリーマンションとかを建てて財を成した人。そんな話より沖縄の風習や不思議な話を聞きに行っていた。
【お線香を持ってると事故に遭わない】
「沖縄のお線香を持っていると交通事故に遭わない。私もユタに言われたけど、いつも忘れてなかなか持ち歩かない。出かける時は持って歩くようにすれば、護られて交通事故に遭わないよ」
「僕持ってるよ、お線香」
「えっなんで持ってるね!?見せて」
「ほら」
荷物のナップザックから箱入りの沖縄線香を出して見せた。
「ほんとだねぇ。なんであんた持ってるね!?」
「なんでって、、持ってないと上げたい時に上げれないじゃない。
赤田さんに頼んで東京に沖縄線香を送ってもらってるから、沖縄来る時には持って来るんだよ」
「はぁ~驚いたね~、内地の人で持ち歩いてる人初めて見たよ」
夕起子さんは心底驚いた様子だが、沖縄に住んでた頃から遠出する時は持ち歩いてたから、せいぜい「信心深くて感心だねえ」ぐらいの反応が来ると思ってたから、逆に驚いた。そういえば、夕起子さんに僕の話はあまりしたことなかったなあ。まあ、どこまで信じてもらえるかわからないし、黙っておこう。
後日、赤田さんに夕起子さんから「お線香を持ち歩くと交通事故に遭わない」ということを聞いたと話すと
「夕起子さんは2回交通事故に遭って、むち打ちになってるから、それでユタに言われたのよ」
「あー、首にコルセット巻いてたねぇ。あれは交通事故だったのか」
「お線香を持ち歩くのがいいってのは聞いたことあるわ。でも、なかなか持ち歩かないわねぇ。お線香より沖縄の人は、塩を袋に入れて車に置いてるわ。あと、神社で車をお祓いするとか」
「車のお祓いは内地も同じだけど、塩は置かないなあ。法事から帰って家に入る時は塩を振りかけるけど。あとは、神社の交通安全のお守りだねぇ。道の駅で売っていた塩のお守りは、そういう意味だったのか」
国頭村の「道の駅 ゆいゆい国頭」で、塩の入った「まーす袋」が売ってたのを思い出した。「まーす」は沖縄方言で「塩」。
「それにしても、お線香持ってるって話した時の夕起子さんの驚きようにはびっくりしたよ(笑)。『あんた、なんで持ってるね!?』って、ほんとに持ってるか見せてって言うんだもん」
「お線香持ち歩くのは神人かユタぐらいよ」
だから、夕起子さんは驚いていたのか。沖縄だと普通だと思って、何の違和感もなくお線香持っていた。
「僕も東京だと持ち歩かないよ。沖縄には、拝む拝所(うがんじゅ)いっぱいあるじゃない。だから、けっこうみんな持ってるものだと思ってたよ」
「シーミー(清明祭)で、お墓にお線香は上げるけどね」
シーミーは沖縄のお墓参りで、旧暦の二十四節季の「清明」の時期(春先)に行われる行事。沖縄の大きなお墓の前で、一族が集まって食事や宴会をする。
ちなみに僕が亀甲墓を見たいというので、赤田さんは実家の伊福家の墓に案内してくれたことがある。なぜか伊福家のお墓に手を合わせてきた。
夕起子さんは足が悪くて出かけるのが一苦労なので、来客が来て話ができることががうれしいらしく、この日も午後7時から午後10時までずっと話してくれた。
沖縄では、毎月1日と15日に火の神(ヒヌカン)へのお線香を上げる風習があるが、昨今は廃れてきて、
「息子のお嫁さんも『私、カトリックですから』って言って、お線香上げない」
「カトリックでも、別にヒヌカンを祀ってもいいんじゃないの?カトリックの聖クララ教会(与那原町)の復活祭で、子どもたちがエイサーを披露してたよ」
エイサーは、沖縄の盆踊りに当たる。沖縄に住んでいた頃、信者ではないがラサール神父と縁があって聖クララ教会の復活祭を撮影に行くと、教会系列の学校の子どもたちが聖堂でエイサーを披露していた。チャンプルー(まぜこぜの意味)だなあと思った。ぎり、意味合い的には近いのかなあ。
「カトリックは言い訳。嫁はめんどくさいから上げない。これは家にとってよくない。家族や家業繁栄のためにヒヌカンにお線香上げないといけない」
僕は沖縄県出身孫への心配事や愚痴も多いが、再開発で神様の祠を移した話など聞いててとても興味深い。
うちのご先祖様にも太夫さん(高知県の陰陽師=山間部の民間伝承の神職+祈祷師みたいなもの、いざなぎ流が有名)がいたらしいからその影響かもしれない。
夕起子さんは沖縄本島北部の聖地にも、入院して命拾いしてから行くようになった。だけど、足が悪くて登山できないから、麓にあるレストランから拝んでいると言った。
「あそこは、奇跡を起こす聖地だから下からこう手を合わせてるよ。おかげで私も体調良くなった」
毎年行ってる聖地を大絶賛してくれて、我が事のようにうれしい。
「うん、知ってる。毎年僕もそこに登ってるよ」
「あの岩の多い山を登ったね?」
「今まで4回登ってるよ」(2024年6月では6回)
「はぁ~すごい、奇跡起こるよ」
「もうけっこう起こってるよw」
その聖地で、龍を護衛につけてもらって東京に連れて帰ったと言っても通じないだろう。
(龍の話「龍が体内に入る」(ちーちゃんとクーちゃん前編)|池さん)
那覇に住んでいた頃に、神人の上原先生から
「池〇家のルーツは、3000年前に沖縄本島北部の離島に生まれた女性で、その後2500年前ごろにご先祖様が沖縄本島北部の辺戸の集落から、国の使節・政治家として内地に渡って、そのまま沖縄に帰らず、内地で子孫が広まったのが池〇家だ」
という話を聞いたと説明したら、
「あんたも何か神がかってるね」
と、返されたが、
「僕の知り合いのほうがよっぽどすごいよ」と言いかけてやめておいた。
ご先祖の話で僕のことではないし、今はそうでもないが、この頃は人から変に思われることが怖かった。
【お孫さん登場、どういう人?】
午後10時前になってさすがにホテルに帰ろうと思った時に、夕起子さんのお孫さんの女の子が部屋に来て話しかけてきた。
「誰ぇ?」
「えっと、僕の名前は池〇」
誰って久々に聞かれたからマイネームイズみたいな言い方になってしまった。
「どういう人?」(何の人?だったかも)
「えーっと、赤田さんって共通の知り合いがいて、前は沖縄に住んでて、時々遊びに来てるんだ」
どういう人ってどう説明すればいいんだ?
「おばあちゃんの友達?」
身内か友達か、仕事関係の人かを聞いてたのか。
「そうそう友達!7時ぐらいから話してるからもう帰るよ」
「おばあちゃん話長いっ」
孫だからストレートに言うなあ(笑)。
お孫さんは中学1年生ぐらいに見えた。お孫さんは、夕起子さんの部屋にあるピアノを弾きに来たので、ついでに記念撮影のカメラのシャッターをお願いした。写真は上手に撮れていた。
「かわいくて、いいお孫さんじゃない」
「人見知りがひどい。でも、ピアノは譜面なくてもスマホで演奏動画見ながら弾ける」
確かに、後ろで譜面なしでスラスラ弾いてる。
「別に人見知りじゃないよ。初対面でも普通に話してくれたよ、おばあちゃん話長いって(笑)」
「だからよー、驚いたさぁ。私ともあまり口聞かないのに」
人見知りというより、夕起子さんの場合は話が長いからじゃないかな(笑)。
僕は3年ぶりだから話し足らないぐらいだけど、いつでも会えるお孫さんにとってはおばあちゃんの話は長いんだろう。身内にとってはそれが普通だろうと、この時は思っていた。このお孫さんは人の心に敏感で、それで人見知りしてるように見えるんじゃないかと思った。
2カ月後、年齢を聞くため東京から電話すると夕起子さんは1月と全く同じ内容の話を繰り返し、「家族は用事がないとここに来ない」と話してたが、理由がわかった気がするw。ちなみに名前は「池田だっけ?」と間違えられたw
夕起子さんの話で一番苦笑したのは、
「池〇君は沖縄によく来てくれるけど、こっちに彼女でもいるの?」
「いやあ、好きな人はいるにはいたけど、今はいないよ」
と、適当にはぐらかしたが、これだけ沖縄によく来るとそう思う人もいるのか。以前、東京のチャネリング講座の同期生のアリサさんからも
「沖縄(出身)の人よりも沖縄に行ってますよ」
と呆れたようなツッコみをされた。
2020年2月の2泊3日の沖縄旅行では、赤田さんたちと計6人で北部のツアーに行ったけど、最後の2泊目の夜に本部のリゾートホテルに安く泊まっていたが、ふと
「もう明日の夜は東京の部屋なのか、早っ」
と真剣に思った。
他の5人は明日もその後も沖縄に残るが、自分だけもう明日には帰ってるんだ、24時間後には杉並の部屋かと思うと寂しい気持ちになった。住んでたから、数日の旅行って弾丸ツアーもいいとこだし、いつからか、沖縄旅行が帰省の感覚に近くなってた。
【仕事ですか、観光ですか?】
一番聞かれて嫌な質問が
「お仕事ですか、観光ですか?」
ってなんで二拓なんだよ。帰省かもしれないのに。観光でも間違ってないけど、観光業にもいたんだけどなあ。とりあえず、
「人に会いに来たんです。帰省みたいなもんです」
と答えているが、住んでて1年が過ぎても
「どこから来たねえ?」
と、確信をもって旅行者だと思われていた。
いや、平日にかりゆしウェアを来て、地元の人が買うお弁当屋さんのお弁当食べてる旅行者なんかいるわけないのに、いたらマニアックだよ。
だけど、
「那覇に住んで1年です」
というのも、なんだか期待を裏切るよう悪いので
「東京からです」
と、気を使って旅行者を装って何回かは答えていた。
話を夕起子さんに戻す。帰り際に夕起子さんから手作りのピエロの人形と妖精の形の小さい御守りをもらった。
夕起子さんは手芸が趣味なので、来客にはプレゼントしているそうで、遠慮なくもらうことにした。妖精型の御守りには、中にビニール袋で入れた塩五円玉が入っていて、交通安全と良いご縁があるようにとの意味が込められている。確かに、それを持っていったの2021年1月の沖縄滞在では、名護市で計10泊して田舎道で車の運転の練習をしたが、無事故無違反だった。
2024年4月、父の葬式やらで2年8カ月沖縄に行ってなかったけど、 沖縄の陶芸家の島武己さんに電話つながらないこともあって、沖縄へ向かった。
島さんは生きててくれたけど(その3ヶ月後に逝去)、 夕起子さんは赤田さんから2年ほど前に亡くなったことを聞いた。間に合わなかったか・・。
陶芸家 島武己さんの話|池さん (note.com)
それで、泊まった宿にレンタルバイクが置けないという謎の事情で、赤田さんの家に置かせてもらった帰りに、歩いて宿に帰る途中に夕起子さんの家の1階のウィークリーマンションの受付事務所があったので、ドアの前で立ち止まっていると中から声をかけてもらった。
「実は、金城夕起子さんには生前お世話になった者ですが、コロナや父の葬式で沖縄に来れなくて、3年ぶりに沖縄に来たら夕起子さんが2年前に亡くなったと聞きまして・・」
と言うと、たまたま事務所の遅番に夕起子さんの娘婿さんがいて、
「お線香あげて行かれますか?」と言ってくれたので、お邪魔させてもらうことにした。
「よかったですね、もうすぐ事務所を閉める時間だったんですよ。義母も喜びます」
と、言ってくれた。祭壇の部屋に通されたら、頭をぐんと引っ張る感覚があったから、夕起子さんいるのか、あっちの世界から見てるなあと思った。
そもそも、じゃらんで予約した宿に駐輪場がない(私道に囲まれた一軒家を改造した宿)なんて出来すぎだった。
赤田さんの家と夕起子さんの家は近所で、ちょうど宿に行く帰り道にあった。ほんと出来すぎというか、夕起子さんが呼んでくれたんだなと思った。
これだけ長く沖縄に通っていると、出会いもあるけど別れもある。だけど、お線香をあげるだけでも何か恩が返せた気がする。
思い出話を書き出せばきりがないけど、でも来てよかった。
ありがとう夕起子さん。
龍の話1「龍が体内に入る」(ちーちゃんとクーちゃん前編)|池さん
につづく
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