Boy meets きのこ帝国『渦になる』
はじめまして。
私は札幌に住む22歳男性です。
名前は浅野いにお氏の名作
「おやすみプンプン」より頂戴しています。
これは、私が読んだ本や聞いた音楽、
観た映画などについての感想や考察、
ならびに日常で考えたことや触れたものについて、
誰に聞いてもらうでもなく、
でも誰かに聞こえればいいと思いながら
吐き出すことのできる場を求めて始めたものです。(2022/09/22)
こんにちは。最近は暇さえあればダイアンさんの過去のラジオを聴いています。小野寺です。
本日は、きのこ帝国「渦になる」との出会いを振り返りたいと思います。
私がこのアルバムに出会ったのは高校一年生の真夏でした。
当時「自分は最も不幸だ」という思いと、
「いや自分は最も不出来で弱いだけだ」という思いの間を揺れる程度には拗らせていた私は、遅刻と早退とズル休みの常習犯でした。
その日も私は所属しているサッカー部の顧問でもある数学の先生の授業に間に合うために、(遅刻がバレると怒られるので)4限めがけて学校へと向かっていました。
自宅から最寄駅へと向かうバスの中は、
本来朝であれば制服姿とスーツ姿で満車のはずが、その時は小さい子を連れたお母さんと、
3人のおばあさま方しかおらず、
1人制服姿の私は疎外感のあるバスの車内と、窓の外のいやな日差しによって既に憂鬱になりつつありました。
そんな白けた気分の時、耳に突き刺さってきたのがこの歌詞でした。
その時の衝撃たるや!
バスの中から青い空を見上げながら、これは自分のことを歌っている!と考えたりもしたほど(やはり拗らせていたようです。)この歌詞はその時の自分と重なって響きました。
まさに耳を通って脳に突き刺さるかのような鮮烈な体験でした。
きのこ帝国との出会いはそれよりもさらに遡ることになりますが、本格的に虜になったのはこの日からのことだったと記憶しています。
それ以降、『渦になる』は私の最も大切なアルバムのひとつとなりました。
当然全ての曲が人生の大切な1ピースとなっていますが、特に印象的なのは2曲目の「退屈しのぎ」です。
この曲の自傷的な危うさと、それでいて鋭くこちらを睨みつけてくるような気配は、当時の私の気分と完璧に重なり合い、私は何度も何度も新宿Motionでのライブ映像を見て夜を明かしました。
この曲で私のきのこ帝国というバンドへの信頼は確固たるものとなったのでした。
そんな個人的な思い入れの深いこの曲の中の、解釈し難い、それ故に最も重要(と思われる)歌詞を最後に紹介します。
皆さんは、憎しみを最も深い幸福だと感じたことはありますか?
一般的には憎むことも憎まれることも、幸福から遠いところにある事象です。
では、相手への憎しみが深い幸福に感じられるのは例えば、その相手とはもう二度と会うことが出来ず、今となってはもう憎まれ口を叩きあった日々こそ懐かしい、といった場合でしょうか。
あんなに憎かったはずのあの人に、
もう決して会えないという悲しさ。
決して噛み合わず分かり合えず平行線続きだった2人の関係を、それでも愛おしく思ってしまうような屈折した精神性が、
習慣と化し心と体に染み付いて消せない日々を物語っているのです。
もうあなたのいないこれからの日々は
ただの退屈しのぎ。
いや、それを言うならあなたといた時間こそ
あなたのつまらない昔話を聞くような
あの日々こそ退屈しのぎのようだった。
全てが退屈しのぎのようだ。
なら、この生活の意味は?私のいのちとは?
きのこ帝国『渦になる』。
宜しければぜひ。
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