Boy meets RADWIMPS 「狭心症」
こんにちは。最近は遠くに住む友人とゲームで繋がり、昔懐かしくはしゃぐなどしています。
小野寺です。
今回は、私が音楽を自ら選んで聴くようになったきっかけの楽曲について。
全ての始まり、RADWIMPSに
私が出会ったのは小学6年生の頃。
それまでは両親や歳の離れた兄の聞いている音楽を隣で聴くばかりだった私が、
同じく歳の離れた兄弟を持つ友人から勧められたのが、RADWIMPSの「君と羊と青」という楽曲でした。
初めて触れるロックに
「ギターがジャカジャカでかっこいい」
という程度の感想を持った12歳の私は、さらなる「ロック」を求めて近所のGEOへ。
迷わず、ら行の棚へ向かい、RADWIMPSのCDを数枚レンタルしました。
すぐにパソコンからiPodへ取り込み、片っ端から聴いているうちに出会ったのが「狭心症」でした。
2011年3月11日の東日本大震災を、関西で体験した小学生の私にとってこれは、タブーに触れている、そしてそれと同時に、自分の心の内を見透かされているような曲でした。
ある日突然、学校に帰ると大好きなドラマもバラエティ番組もすべて無くなっていました。
代わりにテレビに繰り返し映し出されるのは、
波が街を襲い、車を流し、家を流し、そして恐らくはそこにいるであろう人を流している映像。
遠く私の知らないところで、
世界が一瞬にして変わってしまいました。
見たくなくても、聞きたくなくても、
日々被害の状況が報道される中で、
「多くの人が、突然、死んだ。」
「生き残った人も、心に深い傷を負った。」
ということが頭を支配するようになりました。
一方で、私は次の日もその次の日も
当たり前のように学校に行き、
給食を食べ、友人と遊び、ベッドで眠る。
そんなギャップの中で生じた悩みや不安を、
私は誰にも言い出せず、
ひっそりと抱えるようになりました。
見慣れたはずのCMすら影を潜める日々の中で、
微妙な罪悪感がずっと私を襲っていました。
自分とは関係ない人の苦しみで自分まで辛い。
なんてことは口に出すべきではなく、
ましてや、
自分は自分で、人間関係とか色々、結構辛い。
なんてことも言えるはずがありませんでした。
そうして悩みや本音をひとりで抱えるようになった頃、出会ったのがこの曲でした。
「こんなこと、歌にしていいんだ」
という衝撃。
そしてそれはまた、自分の心の内を丸裸にされているような気持ちでもありました。
仰る通り、僕は僕を幸せにする機能でいっぱいであるということは何となく自覚していた当時の私でしたが、悲しい出来事から目を逸らし、自分のことばかり考えているのはみっともないことで不道徳なことだと言う無言の圧力を同時に私は感じていました。
その日以来、私は野田洋次郎という人物は神様なのだと思うようになりました。
(無論、半分は比喩ですが。しかし、)
それから10年以上たった今でも、
綺麗事ばかりじゃない表現に
ドキッとするような鋭い言葉に
心を惹かれるのは、間違いなく野田洋次郎の、そして「狭心症」という楽曲のせいでしょう。
誤解を恐れず言えば、その日以来私は常に
「狭心症のような作品」を求め、出会い、救われて生きているのです。
愛しき体、愛しき命。
震災2日前に発売されたこのアルバムは
「ああもうしんどい」「上手にできない」
とひとり呟く人を静かに肯定してくれます。
ぜひ。