春日出てこない
今の仕事を始めてから、場所こそ渡り歩いたものの、かれこれ6年目くらいになった。飽き性な自分にしては、わりと続いてる方だと感じるが、1つのことを続けていると辞めたくなる時もあれば、今世界でいちばんイケてると思う日もある。毎日が紆余曲折、なのか?それはそれは物凄いスピードで過ぎ去っていく。ここは都合よく、金属は曲げると硬化するというアレに準えさせてもらって、ぐねぐねとしながらも強い気持ちが作られているのだと思うことにしたい。
風呂に入ることと、隙を見て昼夜の食事を摂ること、4時間ほど眠って朝目が覚めると、思考は目を閉じる前とほとんど変わらないままの状態でいて、残りの時間は他の何もできず、ひたすらにパソコンに向かっている。2月はそんな毎日で、ここまでくるとさすがに普通でいられる有り難さみたいなものが湧いてくる。ただ、それはきっと死んでいないというだけで、もうすでに普通じゃないのだとは思う。とにかく追い込まれ続けているから、まるで毎日が8月31日、宿題の終わってない始業式前日みたいだった。まだ始業式は迎えられそうにない。
金曜日に仕事した後のビールは美味しいし、まぁビールなんてもんは何曜日だろうが、仕事しないで飲もうが美味しいんだけど。あれはきっといい塩梅で疲れてる時に美味しいのであって、美味しいと感じる余力もないほど疲れている時にはあんまり美味しくないと思うこともある。なぜかわからないけど、土曜日の午前中はかなり高い確率で荷物が届いたインターホンで起床する。寝たという事実よりも仕事以外のことをしたという記憶を必要としている気持ちもあるから、起こしてくれて助かるなぁと思う。いつ死んだとしても、「あぁ、やっぱり人間ってそれくらいの作りだったんだ」と変に納得できるくらいの生活を送っているけど、これしかないからとりあえず続けている。
2月18日は長いこと楽しみにしていた1日だった。どんな状態であっても、悩みながら喜びながら、悔しさに歯を食いしばりながら、ひとり自室で大きな声と共にガッツポーズをする日もありながら、なんでもいいからとにかく1つのことをやり続けることの大切さと、その大切さが時々姿形になって現れる神様みたいなものの存在を信じられた。待ち遠しかった1日は、終わってみればそんな1日だったように思う。子供の頃に大人から言われたんだったか、何かの自己啓発本にでも書いてあったんだったか。「継続は力なり」などという、何の約束もしてもらえない無責任な言葉とは随分と違った。
オードリーのオールナイトニッポンin東京ドーム。
よく考えてみれば、全くないというわけでもないのかもしれないが、少なくとも自発的に足を運んだ「ライブ」のうち、音楽を主たるものとしていないイベントは初めてだった。もう少し確実なことを言わなければいけないのであれば、ラジオイベントが初めてだったと言おう。だからこそ、まさか1年の始まりとなるライブイベントが音楽でなくラジオになるとは、想像したこともなかった。
ラジオというのは、わりと昔から付き合いのあるツレのような媒体だが、より親密になったのはここ1年くらいだろうか。音楽系のサブスクを使う時間はほとんど減ってしまって、朝から晩まで常にラジオを聴いている。普通でいられなくなるような毎日における、一筋の光なのだと思う。いつでも心に効くラジオの音だけは、光より速いのかもしれない。
基本的にいつだってひとりぼっちで向き合うことの多い媒体だからこそ、その向こう側にはいつもこんなにたくさんの人がいるのかと、あんな形で見せられると言葉にしようがなくなってしまう。いつも誰かと一緒に過ごしていたんだなぁ。
それでも、ラジオのトークパートを聴いている時の感覚は目に映るものとは相反し、ずっと日常的だった。5万人が居ても、たった1人部屋で耳を傾けているような感覚でいる自分に気付いた時、不思議と安心が入り混じるような、なんだかよくわからない感情になった。
なんだか胸に刺さるような息苦しいような、そんな会話が繰り広げられていたLight House。あれをきっかけに、星野源と若林正恭の人となりに強く興味を持つようになった。自分と似ているところがある気がする、なんて烏滸がましいことは口が裂けても言いたくないが、なんというか思い出したくないような心当たりみたいなものを感じた番組だった。5大ドームは即完、年末の紅白歌合戦も今や常連、お茶の間の超人気者というイメージのある星野源も、テレビで見ない日は、、、最近は稀にあるのかもしれない(とにかく最近テレビを観る時間がない)が、東京ドーム公演をそのキャパシティの4倍近くの応募を集め埋め尽くしたお笑い芸人の若林正恭も、どちらもなんにもキラキラしてないじゃないか。星野源のラジオはその少し前から聴いていて、思ったイメージと違う話もする人だなぁなんてぼんやり思っていたものが、はっきりと形になった瞬間だった。なんにもキラキラしてない。
そんな2人が灯台の下で「それじゃあまた、」と別れてから、東京ドームのヘソで再会し相対し、あの頃の歌を歌いたい日にした。それはただの事実でしかなくて意味なんてないのかもしれないけれど、そうだとしてもとにかく有り難い瞬間だった。
なんにもキラキラしてない2人を包む灯りに踊るPop Virusのメロディを、迫り上がる星野源がハミング一節だけで一瞬にして変えたあの空気を、すれ違い合うあの2人を、あの光景を、思い返すだけ、ただそれだけを支えにして死ぬまで生きていける気がする。誰もが死ぬまで生きるけどさぁ。
5年後にまた、オードリーのオールナイトニッポンのイベントが開催されたとして、その頃になってもまだ8月31日をやっているかもしれないなと思う。若林にとってラジオを続けてきたことの価値はすごく大きいはずで、そんな宝物をなにか1つ、自分も続けていく過程の中で見つけていられたらいいかと思う。死んでもやめねぇぞ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?