『アンチヒーローズ・ウォー』 第一章・5

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「ふええ、ここって地面の下なんだよねえ?」
「さ、今日の戦闘訓練は実戦形式でいくよ」

 トレーニング・ルームのさらに下の階層には、様々な戦場を再現したフロアがある。
 ボガートに連れてこられたのは、そのひとつ、雪山エリアだった。
 一面の銀世界。目印になるような樹木や岩はほとんど見当たらず、距離感がおかしくなる。
 注意深く目を凝らせば、かなり起伏に富んでいることがわかった。なにもないと思って駆けまわっていると、文字通り思わぬ落とし穴にはまりそうだ。

「さむ……」

 いつもの訓練のつもりでいたので、シュガーはジャージ姿だった。

「こんなところで戦うの?」
「キミはユキヒョウだから、こういう環境での戦いはもっとも得意としている。まずは最低難度から、徐々にレベルを上げていこう」
「はあ……これが最低難度かぁ」
「なら、さっさと変身なさい」

 涼やかな声が響いたかと思うと、ひとつの影がシュガーとボガートの前に舞い降りた。
 白い肌に、風切り羽根だけが漆黒の白い翼。長くまっすぐな髪も、黒と白で色分けされている。
 ゆらり、と立ち上がると、シュガーよりも頭ひとつ分ほども長身だった。
 四肢も身体も細く、ほとんど肉がついていない。おそろしく整った容貌はいっさいの温かみを感じさせず、さながら氷の女王といった風情だ。
 切れ長の目が、じっとシュガーを見下ろしている。全体が無彩色で構成されている中、瞳だけが生々しいほどに紅かった。

「ビスクレインのミルシュ。今日の訓練を手伝ってくれる」
「よろしく」
「あ、はい。よろしく」

 シュガーは、ぺこりとおじぎをした。

(なんか、めっちゃ睨んでるんですけど?)
(シュガー、彼女になにかしたのかい?)
(いや、知らんし……)

 ひそひそ声でボガートと話していると、ミルシュが威圧するように眉間のしわを深くした。
 内心ちょっと怯えながらも、シュガーは彼女の顔を見返す。
 ……あれ? どこかで見覚えがあるような。
 それも、ごく最近。

「あ、そうか」

 声に出てしまった。

「どうかしましたか?」
「あ、いやその……すごく変なことを訊くけど、ゆうべ、あたしの部屋に来なかった?」

 ミルシュの表情は変わらなかった。
 動揺しているようにも、怒りを抑え込んでいるようにも見えない。

「さあ。寝ぼけていたのでは?」
「そ、そうだよね。あはは……」
「では、とっとと始めましょう」

 ミルシュはボガートに目で合図した。がんばって、とボガードはシュガーの肩を叩き、監視室へと移動した。
『いつでもいいよ。ただし、無茶はしないでね』
 天井からボガートの声が響く。
 シュガーは‟アルタンユーズ”へと変身すると、腰を落とし、脱力した両腕を顔の前に掲げた。

(初めての実戦形式……)

 乾いたくちびるを舌で湿す。
 本当は初めてではないが、シュガーの意識の中ではそうなのだ。
 対するミルシュは、ただ突っ立っているだけに見えた。
 わざわざ訓練に付き合ってくれているのだ。やる気がない、というわけではあるまい。ボガードに頼まれたから嫌々やっている、というのでなければ。
 隙だらけなフリをして、こちらを誘う意図?
 でも、仕掛けなければ訓練にならない。失敗を恐れず立ち向かえ。
 ゆらゆらと身体を揺らし、ここぞというところで地面を蹴る。雪が積もっていることも考慮し、足爪のスパイクもしっかり使ったな全力のダッシュ。相手が待ちの姿勢なら、予想を上回る速度で驚かせてやる。
 視界いっぱいに迫ってくるミルシュの顔。その真ん中めがけて右ストレートを放つ。

(え? 消え――)

 次の瞬間、景色が反転していた。
 羽根にくるまれたような柔らかな感触。
 見えたのは、しゅるりと右腕に巻きついたミルシュの左腕。雪の吹き溜まりに頭からつっこんだところで、投げられたのだと理解した。
 血のように紅い目で、ミルシュはシュガーを見下ろした。、

「すごい」
「は?」
「ねえ、いまのどうやったの? もっかいやってみせてよ」

 ミルシュは、いいとも嫌とも言わなかった。
 べつに答えてもらう必要はない。こちらがおなじことをして、どう返すかを見ればいいだけだ。
 再度の右ストレート。ぽーん、とシュガーの身体が宙を舞った。今度は気構えができていたので、なにをされたのかよくわかった。
 ミルシュはほとんど力を使っていない。最小限の動きだけでパンチをいなし、シュガー自身の力を利用して放り投げたのだ。
 合気? 柔術?
 違いはよくわからないけれど、とにかくそうした技術によって、シュガーの攻撃は完璧にあしらわれた。
 なら、これは?
 左右のステップで攪乱し、フェイントを挟んで身体をひねる。
 あごを狙ったソバット。ミルシュが右腕をあげた。ガードされる、と思った刹那、蹴りの勢いにもう一人分の力が上乗せされ、シュガーは地面に叩きつけられた。
 鼻をしたたかに打ったが、やはり積もった雪の上で、痛みはさほどでもなかった。
 やっぱり。手加減されてる。

「遅い。弱い。こんなものですか」

 失望したような声が、ミルシュのくちびるから漏れた。

「しょうがないじゃんかさー。そこは大目に見てよ」
「甘えたことを」
「……ひょっとして、前のあたしと比べてる?」

 ミルシュは答えず、今度は自分から距離を詰めてきた。後退しようとしたところで足をすくわれ、またしても空中に投げ出される。

「なんのっ!」

 必死に腕をのばすと、かろうじて爪の一本がミルシュの服にひっかかった。
 引きよせる。爪が折れるかと思うほどの反動。「いたたたた!」と叫びつつ、背中からミルシュに抱きついた。

「は、離れなさい!」

 意外なほどの動揺を見せ、ミルシュはシュガーを振りほどこうとした。耳が赤くなっている。

「ねえ」

 落ちてたまるかと、腕に力を込める。ミルシュの動きが、ますます激しくなった。

「あんた、あたしとどういう関係だったの?」
「本当に、何ひとつ、憶えていないんですねっ」

 ホールドが緩んだ一瞬を衝いて、ミルシュが身体を腕から引き抜く。下からの掌打。あごを撃ち抜かれ、シュガーは仰向けにふっとんだ。
 ぐわんぐわんと視界が揺れる。すぐに立とうとするも、あらぬ方向に力が入り、思うようにいかない。
 なんだろう。いまの一発、これまでにはない憎しみめいたものを感じた。
 記憶を失う前の自分は、そこまで恨まれるようなことを彼女にしたというのか?
 だとすると、これは訓練にかこつけた復讐だったりする?

「いまのあなたに、話すことなんてなにもありません」

 ミルシュが両腕を広げ、羽根を震わせた。柔らかそうな羽毛のあいだから、小さな物体がいくつも出てきた。
 金属片? いや、粒状のかたまり?

『ミルシュ!?』

 狼狽したボガートの声が響いた。

「大丈夫、殺しはしません」
『あ、コラちょっと!』

 とっさに判断しかねていたシュガーの顔のすぐ横を、高速でなにかが通りすぎていった。
 ビシッ、という音がしたので振り向いてみると、背後に立っている木の幹に、ぽっかりと大穴があいていた。

「え……?」

 ちょっとちょっと、この攻撃殺意高すぎません? ていうか、なにしたの?
 いちどきに湧いた疑問の、どれをまず口にすべきかも決められないうちに、今度は足許で雪が舞いあがった。

「わっ、たっ」

 飛ばしているんだ、あの金属の粒を。
 逃げなければ。あんなものを乱射されたら蜂の巣ではすまない。
 豪雨の中放置されたミートパイをダンプカーで轢き潰したよりも、もっとひどい状態になる。
 必死に走るシュガーの背後から、地面を抉り、岩盤を穿つ、恐ろしい音がどんどん迫ってきた。
 時折、弾かれた粒が頭上や脇を通りすぎ、前方に落ちる。そのひとつを、速度を落とさぬまま手を伸ばし、拾いあげた。

「なにコレ。ネジ?」
 たしか、こういう小さいタイプのネジをビスといったはずだ。
 ミルシュの怪人名……どこで切るんだろうと思っていたが、なるほど。ビスと鶴《クレイン》でビスクレインか。
 彼女の能力は、羽根の中に収納したビスを発射するというものらしい。
 たかがネジといっても、弾丸のような速度で撃ち出せば凄まじい威力を発揮するのは見た通りだ。要は、意思を持った指向性対人地雷が追いかけてくるようなものだろう。
 しかも彼女の場合、ふつうの地雷のように一度起爆したらおしまいというわけではない。

「ひええ、怖いよぉ!」
「どうしたんですか? 逃げてばかりでは訓練になりませんよ」
「そんなこと言われても……っ!」

 接近戦で翻弄され、距離を取っても一方的に撃たれまくる。こんなの、どうしろっていうの?

「ドクター! なんかないの? 武器とか、必殺技とか!」
『あるよ』
「ええっ!?」

 なんだよそれ。だったら、はやく教えてくれればいいのに。

『シュガー。キミは何者だい? 怪人《ノワール》としてのもうひとつの名は――』
「前置きはいいから! はやく!」
『しょうがないなあ』

 長々としたため息。だ・か・ら、は・や・く!

『腕の中に仕込んであるよ。きみのメイン・ウェポンだ。取り出すには、「出ろ」と念じるだけでいい』
「こう?」

 左手を目の前でひろげ、ボガートの言う通りにしてみた。
 すると、手首からいきなり、槍の穂先のようなものが飛び出した。


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