『アンチヒーローズ・ウォー』 第二章・7

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 一度死んだことで、ここから先――あと一歩、踏み込んだらやられるって勘が働くようになるんだって。

 戦場で味わった、その感覚。
 垣間見た、あの瞬間。
 死という暗闇。
 そこから伸びてくる手につかまれたら、二度とは戻ってこれないという予感。
 全身が竦んだ。
 踏み出そうとした足は動かなかった。
 その結果好機を逃し、逆に攻撃を受けた。
 身を守るはずの直感に、裏切られたかたちだ。
 左膝の裏側に痛みを感じる。小太刀で斬られたのだ。
 体重を支えることができず、がくりと膝をついた。

「これでゆっくり話ができるかな?」

 笑みを含んだ声とともに、虚空から滲むようにユリーが現れた。

「いいザマだね。ほら、助けを呼んでもいいんだよ? そうしたら、大好きなお友達が助けにきてくれるかもしれないからね」
「わかってていってんでしょ」

 くちびるをひんまげてシュガーは返した。
 シャーリーをやったのは自分だろうに、よくいう。
「そうだね。自分でもひねてると思うよ。でも、これが僕らのあるべき適応なのさ」

 すうっ……とユリーの目が細められた。
 なにもかもを突き放し、ふれさせまいとするかのような目。

「僕らはひとり――ひとりだ。いつだって、どこでだって。僕らが怪人《ノワール》として在る限りはね」
「なにをいってるの?」
「利用され、身代わりにされ、打ち捨てられる。誰も、なにも信用できない。それが怪人《ノワール》だよ。いったい、なにを勘違いしてるんだか。仲間ごっこ? 友情ごっこ? 甘ったるくて反吐が出るね!」

 ユリーが吼え、斬りかかってきた。
 斬られた膝の腱は――肉を変形させ、出血を抑えたのでなんとか動かせる。
 横に跳んで避けた。痛みに悲鳴をあげそうになる。機動力は三割……いや、四割減といったところか。

「お前らみたいな甘ちゃんは!」

 空中からユリーが降ってくる。
 靴の踵に仕込まれた刃が喉笛を狙ってきたが、これもなんとかかわした。

「どうせ戦場に戻っても犬死にするだけなんだよ!」

 しかし、体勢が崩れて反撃に移れない。その隙にユリーはまたしても保護色を使って姿を消す。

「だから、僕がここで殺してあげてもいいよねえ?」

 シュガーが床に這いつくばっていると、勝ち誇ったような笑い声が頭上で響いた。
 音や匂いで居場所を探ろうにも、建物内の反響で声の出所は判然としないし、体臭も元々薄いらしく、感じ取ることができない。
 当然、忍びの術に長けた者が本気で気配を断とうとすれば、物音などいっさいしなくなる。
 知覚できない相手から、いつ攻撃を受けるかわからない状況というものは、想像以上に精神的負担が大きく、恐怖や不安といった感情を一秒ごとに増幅させていく。

「ふ……くく……」

 シュガーは、喉の奥からこみあげてくるものを抑えることができなかった。
 くく……くくく……うずくまったまま、肩を震わせる。

「なんだ。おかしくなったのか?」
「いや、ちょっとね。優しいじゃん、って思って」
「なに?」

 ユリーの声が、わずかに裏返った。

「だって、あたしらが戦場にいったら酷い目に遭うから、その前に止めてくれてるんでしょ?」
「止めるもなにも、殺すっていってるんだけど」
「本気でやらないとわからない的な?」
「そんなわけないだろ!」

 建物の壁が、ユリーの怒声でびりびり震えた。

「いいさ。お喋りはもうおしまい。いまから殺すよ!」

 恐怖はまだ消えない。
 でも、相手が感情を露わにするたび、すこしずつ和らいでいった。
 というより、だんだんと正体がわかるようになったというほうが正確か。
 一度死んだ経験は、記憶からは消えても肉体に刻み込まれている。

 それは――
 ユリーのいう、一線を越えれば死ぬという直感は――

 一方で、そこを越えれば確実に相手を倒せるという、勝機を見出す瞬間とも近しい。
 戦闘経験の浅い者はその判別を誤り、しばしば命を散らすことになる。
 だが、シュガーの場合はどうだ?
 死というものが感覚的にわかる者にとっては、それはアドバンテージとなるのではないか?
 もしそうならば、再生怪人はかならずしもヴァージン・ノワールより劣った存在ではない。
 視界の端に赤い光が見えた。
 停止光線。
 薄皮一枚の似姿を残し、床と同化しながらの回避。次の瞬間には、デコイがまっぷたつにされる。

「へえ。さっきも、そうやってよけたのか」

 ユリーが、なるほどとうなずいた。

「変身能力《シェイプシフト》かあ。しかもかなり高度なやつだね。僕の記憶が確かなら、再生手術前はなかった能力だよねえ?」

 後退りして距離を取るユリーの身体が周囲の景色に溶ける。

「赤の光線とは相性が悪いみたいだ」
「そうよ。あんたの攻撃なんて怖くないんだから!」
「おいおい、自分でも信じてないことをいうもんじゃあないよ。わかってるだろう? 僕には黄色の雷撃もある」

 シュガーは口をつぐんだ。
 ユリーがここまで、雷撃を一回しか使っていない理由――考えられるのは、連射がきかない、発射までに溜めが必要、エネルギーの消耗が激しい――こんなところか。
 まさに切り札。
 最初に撃ったのは、シュガーたち三人をまとめて攻撃したかったのと、ゾルダ相手に有効な攻撃手段だったからだ。
 機動力の低下。
 逃走が困難な限定的空間。
 一方的に位置を補足されているこの状況。
 はっきりいって、雷撃は撃てば当たる。
 ユリーにしてみれば、完全に勝ちが確定したと思っているだろう。

 だが、それは間違いだ。

 クリーチャー街道まっしぐらとまでシャーリーにいわれた変身能力。
 これまでの訓練と、戦闘中いろいろ試してみて、できると確信した。
 それは――

「なに!?」

 二階の天井付近から、狼狽するユリーが現れた。
 首と四肢には触手が巻きついている。
 シュガーはまず、身体のおよそ半分を、視認が困難なほど細い糸に変えた。
 そして、それを網目状に張り巡らせ、床から天井まで、そこにある物すべてを覆った。
 これで、ユリーがどれだけ巧妙に姿を隠したとしても、たちどころに補足できる。

「くっ……このっ!」

 ユリーは激しく抵抗し、巻きついている触手を小太刀で切りつけた。
 痛みに耐えかね、シュガーは触手をほどいた。
 だが、こうなることも計算済みだ。
 ユリーを放り出したのは、空中。
 どんなにすばやく動ける怪人《ノワール》であろうと、そこではただの的だ。

「どあああああああ!」

 全力での助走――からの跳躍。
 振りかぶった右腕が、みるみる膨らんでゆく。

「名付けて、ミートボール・スパイク!!」

 巨大な肉球がユリーをとらえ、凄まじい反発力で反対側の壁に叩きつけた。
 バウンドし、もどってきたところへダメ押しの一発。全体重を乗せて床に押しつける。
 衝撃もさることながら、柔らかな肉球を顔面にあてられれば呼吸ができなくなる。
 たっぷり二分置いて腕を元にもどすと、ユリーは白目をむいた状態でのびていた。
 手首の端末からブザーが鳴り響く。

『ケット・シー・チームの両名、行動不能! 以上で訓練を終了する!』


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