『バラックシップ流離譚』 キミの血が美味しいから・10

この話の1へ
前の話へ


 土下座のひとつやふたつは覚悟していたが、レムトは意外にもあっさりと了承してくれた。

「ただし、ヒマなうちだけだぞ」

 新しく世界やダンジョンが見つかれば、探索に駆り出されて修行どころではなくなる。それでも十分すぎるほど、ウィルにとってはありがたかった。
 ニーニヤのときもそうだったが、このレムト・リューヒという人は、無理めと思うような頼み事でもけっこう簡単に引き受けてくれる。

(なるほど、これが大人の余裕というやつか)

 ウィルは感心してうなずいた。

「えっと……これからは師匠って呼んだほうがいいですか?」
「柄じゃない。これまで通りにしろ」

 昨夜は朝まで飲み仲間と騒いでいたというレムトは、くあぁむ、とあくびを噛み殺した。
 レムトの家は居住区の下層にある。そのあたりの特徴として、建物は古くて狭く、ごちゃっと固まっていることが多い。
 要は貧乏で建て替えなどろくにできない住民ばかりということだ。当然、この場で修行なぞできるはずもない。
 そこでふたりは、すこし離れた空き地まで移動した。

「よくこんなところがありましたね」
「先週、火事があってな。ボロ小屋二十棟ほどが焼け、住んでいた奴らもみんな焼死した」
「ええ……」
「といっても、全部の死体が見つかったわけじゃあないからな。その辺を掘り返したらまだ出てくるかもしれんぞ」
「や、やめてくださいよ」

 ウィルは慌てて、黒こげの木材をどかそうと持ちあげていた足を元の位置におろした。

「まずは構えてみろ」

 訓練用に持ってきた木剣を手に取ると、レムトから叱責が飛んだ。

「そっちじゃない」
「えっ、真剣を使うんですか?」
「当然だろう。お前は実戦でも、そのオモチャで敵とやり合うのか?」

 レムトはゆらりと立ちあがると、自分の剣を抜いた。
 柄の中ほどを持ち、腰の位置で無造作に構える。
 彼が視線をウィルに向けた瞬間、凄まじい威圧感がおしよせてきた。
 全身に鳥肌が立ち、動くことも、息をすることも困難になる。

「そら、お前を殺そうと敵がやってきたぞ。本気で迎え撃て。でないと、死ぬ」

 ウィルは必死で喘ぎながら剣を構えた。

「ふむ」

 レムトがくちびるの端をあげた。

「思ったよりサマになってるな。型はきれいだし、震えも止まっている」

 す……と、レムトの足が前に進んだ。

(くる……!)

 左からの打ち込み。剣先を動かして斬撃をそらした。

「力みもない。こちらの動きに自然と対応している」

 何度か打ち込んだ後、レムトが最初の位置まで退いた。とたんに全身を圧迫する感覚が消え、どっと汗が吹き出す。
 肺が求めるまま、ウィルはしばし大きく呼吸を繰り返した。

「どこで剣を習った?」
「えっと……〈図書館〉……です」
「ああ、そうか。あそこに住んでいるんだったな。とうことは、エルガードか?」
「はい」
「あの連中の中にも、まともに武芸を修めた奴がいたとはな」

 ウィルは顔をしかめた。

「……マーカス・ファルンって奴がいるんですけど、主にソイツに……」

 あまりいいたくはなかったが、隠すのも変だと思った。

「その名前には聞き覚えがある。なるほどな」

 マーカスは、エルガードの中でも変わり種だった。
〈図書館〉さえ守れればいいと考え、敷地内限定の装備に頼り切りの同僚たちとちがい、彼はきちんとした師につき、正式な武芸を修めている。
 元々上層の生まれで、金も力もある人々とも繋がりがあるらしい。
 傍目から見ればしなくてもいい苦労を背負い込むのは、若手だからと舐められないため――だったら可愛げもあるのだが、奴はそこまで他人に興味はない。
 ウィルを含め、周囲の人間はおおむね「まあ趣味なんだろう」ということで一致していた。
 繰り返すが、戦闘技術に関して、エルガードは素人が大半である。ニーニヤの護衛役となったウィルを鍛えるのに、当人たちの気持ちはともかくとしてマーカスはうってつけだったし、他に適任もいなかった。

「これなら、すこし本気でやっても大丈夫だな」

 レムトがニヤリと笑った瞬間、汗に濡れた背筋が寒くなるのを感じた。



 居住区八層の中央広場周辺は、比較的平和な一帯だ。
 魚や神を象った噴水で水浴びをする子供たち。色もかたちも様々な果物にお菓子、簡単な料理を出す屋台が並び、行き交う人々の表情も明るい。

「はい。ララムベリーのジェラートだよ」

 氷菓子を両手にもどってきたミツカは、赤味の強いピンク色のそれを、ひとつウィルに差し出した。

「サンキュ。ええと――」
「いいって。今日は私が呼んだんだし」

 財布を取り出そうとしたウィルの手を、ミツカが押さえる。緊張しているのか、若干、彼女の手のひらは汗ばんでいた。

「でも」
「わざわざ来てもらったお礼」

 遠慮しすぎるのも悪いと思い、ウィルはジェラートを受け取った。

「うまいな、これ」

 ジェラートを木製のスプーンですくって口に入れると、強い果実の酸味が舌を刺激した。
 粗く削った氷が溶けていくにつれ、徐々に甘みが増してくる。その味の変化が絶妙で、思わずため息が漏れてしまう。

「でしょ?」

 ミツカがはにかむように笑った。

「それで……最近、どう?」
「どうって?」
「こっちにもどってから。なんか、忙しそうにしてるみたいだったし」

 異世界探索から帰還して、二十日ほどが過ぎていた。
〈幽霊船〉では時間の感覚が曖昧だ。
 もともと航行する虚無の海は常に薄暗く、さもなくば激しく荒れ狂っているため、船内にも昼夜の別はない。
 しかし、そこに住む者にとってはそれでは困る。
 常闇や白夜の世界から来た住民も中にはいるし、時間のとらえ方自体も種族によってさまざまではあるが、いちおうの基準ははじめから設けられていた。
 それが〈幽霊船〉が建造されたとされる世界の、恒星の運行を元に作成された暦である。
 一年を三百六十五日とし、一日を二十四時間とする――郷に入りては郷に従えの精神と、不思議とこれに近い暦を用いている世界が多かったこともあってか、割合すんなりと受け容れられ、住民の生活に浸透している。
 居住区の照明は、各所に設置されたライト・クリスタルと、その発する光を送り届ける送光システム網がメインになっており、光量を調節することで擬似的な昼夜も作り出されている。
 季節に関しては、住民からの要求はあるものの、種族ごとの希望の調整があまりに困難なのと、技術的なハードルの高さもあって、表現するには至っていない。

「レムトさんに修行をつけてもらってる」
「ああー……聞いてるよ」

 ミツカは微妙な表情からは、この件が仲間内でどう扱われているかを示していた。

「馬鹿にしたい奴らにはさせておくさ」
「ごめんね……」
「なんでミツカが謝る? おれが役立たずだったのは事実だし」

 だが、もう二度とそうは呼ばせない。
 ウィルの想いを汲んでくれたのか、レムトのしごきは容赦がなかった。おかげで生傷が絶えない。

「でも、たくましくなったね」
「そうかな」
「うん。すごくかっこ――ううん、なんでもない」

 ミツカはいいかけた言葉を飲み込み、焦ったように首を横に振った。

「なに? よく聞こえなかったけど」
「いいの! それより、呼び出した理由だけど」
「それだ」
「一回しかいわないから、よく聞いてね」

 いつになく真剣な表情になったミツカは、声を落して周囲を気にするようすを見せた。

「明日からしばらくは、七層の中心から後ろの区画には近づかないで。場合によっては、この広場の隣接区辺りも危ないかもしれない」
「それって、大きな出入りがあるってこと?」

 ミツカは無言でうなずいた。
 居住区では、組織同士の抗争は日常茶飯事である。
 中でもミツカたちの所属するモールソン一家は、規模、強さ、血の気の多さと三拍子揃っており、大規模な衝突が起こるときは、かならずなんらかのかたちで関っているといっても過言ではない。

「ミツカは大丈夫なのか?」
「うん、私は平気。ラムダたちも強いしね」

 かすかに声が震えていた。
 かつてウィルを捨てた世界。そこにまだ、ミツカは留まっている。
 どちらがより幸福かなど、誰にもわからないのかもしれない。


この話の1へ
次の話へ


いいなと思ったら応援しよう!