『バラックシップ流離譚』 蓑皿・3

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「わたくし、トブラック・カンパニー所属、タイラ・ミツキと申します」
 スーツ姿の女性は、そう名乗った。
 年齢は二十歳かそこら。黒髪を頭の後ろでまとめている。
 柔和な笑み。
 下層民である僕らに対しても見下すようなところはかけらもなく、慇懃な中にも親しみやすさが感じられた。
 もっとも、それも職業上必要な演技である可能性は高い。
「トブラックの社員がなんの用だ?」
 相手の態度に感心している僕とは対照的に、オルムスは警戒心をあらわにしていた。
 まあ、隠したいものがある人間とは、得てしてそのようなものだ。
「決まってるじゃあないか、そんなの」
 僕は呆れてため息をつく。
 タイラさんと目を合わせると、彼女は小さく頭を下げた。
「逃げ出した家畜のことですよね?」
「おい、ストルティ!」
「ええ。話が早くて助かります」
「お察しの通り、ここにいます――オルムス」
 オルムスは渋々といったようすで奥にいくと、少女の手を引いてもどってきた。
「驚きました。本当に人族そっくりなんですね」
「あなたはギンメル人地区の担当じゃあないんですか?」
「そうなんですが、生きているカリュメを見るのは初めてです」
 船内の物流を監視するトブラック・カンパニーは、あらゆる組織に自社の人員を送り込んでいる。
 もし不適切な買い占めや物資の隠匿などが見つかれば、実力部隊が出張っていって「物流を正しい状態に修正」する。
 しかし、平時には組織の運営に関する助言を与えたり、面倒な交渉ごとを肩代わりしてくれるなど、組織にとって有益な面もある。
 そもそも彼らがいなかったら、船内は物資の奪い合いで血みどろの状態になるか、さもなくば憲兵隊にまとめて殲滅されていた可能性が高い。
 それゆえ、〈派遣社員〉と呼ばれるトブラックの監視者《ウォッチャー》たちは、畏れ、煙たがられると同時に、あらゆる層の住人からの尊敬をも勝ち得ていた。
「いったいなにがあったか、聞かせてもらってもいいですか」
「ええと……彼女、を見つけたのはあなた?」
「見つけたのはそこの、僕の友人ですが」
「お話は貴方と進めろ、と。そういうことですね」
「はい」
 オルムスには「任せろ」と目くばせしておいて、僕はタイラさんに向き直った。
「近頃はカリュメのことを知らない方も多くて、そこから説明する必要があると思っていたので。ストルティさん、でしたね。どこでそんな知識を?」
「読書が趣味で、時間があるときは〈図書館〉に。特に、居住区の歴史には興味ありますね。僕らの利害にも直結しますし」
「感心ですね。ええと――」
「構いませんよ。率直に仰っていただいたほうがいい」
「では、失礼ながら……下層のお住まいにしては、とても聡明な方とお見受けしました」
「褒めてますか、それ」
「もちろん」
 タイラさんの視線が鋭さを増したように思えたが、それはほんの一瞬のことだった。
 ほんとうに、気のせいだったかと思うくらいに。

 込み入った話になるかもしれないので場所を変えましょう、とタイラさんは提案した。
 もちろん僕は警戒したが、ここで立ち話というのもお互いまずい。
 それに、相手が業を煮やして強硬手段に訴えれば、僕らに対抗するすべはない。
 連れていかれたのは、ギンメル人の住む一帯だった。
「よくある話なんです。ある組織とある組織の抗争が激化し、無関係の地区に被害が及んだ。それがたまたま、ギンメル人の所有する建物だったというだけで」
 彼女の言葉を裏付けるように、土で固めて作った建物はあちこち壊れており、住民と思しきギンメル人には、触覚や角が欠けていたり、痛々しく傷口から体液を垂れ流している者もいた。
 僕らとすれ違う瞬間、彼らは棒でつながれた操り人形のように寸分たがわぬ動きでこちらを向き、それからギギギ、と首を元にもどして、各々やっていた作業を再開する。それは主に家具や建物の修復だった。
「タイラさんは、怖くないんですか?」
「なにがです?」
「だって、彼らの好物はカリュメで、その……」
「捕食される心配はないか、ということですね」
「ぶしつけだったらすみません」
「べつに謝罪されるようなことではないです。当然の疑問ですから」
「はあ……」
「怖いと感じたことはありませんね。私たちだって、牛や豚を見ただけでお腹がすいたりはしないでしょう?」
 私が調理済みのカリュメしか見たことがなかったからかもしれませんが――ミツキさんがそうつけ加えると、僕の隣でオルムスが顔をしかめた。
 少女をひいている手にも力がこもる。
 怯えるのも無理はない。少女に同調する限り、ここはおぞましい化け物の巣と変わらないからだ。
 一番奥の、一番大きな建物は、泥団子をいくつも積み重ねたような外観だった。
 その中で僕らは、ギンメル人の女王だという人物と面会した。
「この方がジグヘー殿です。ギンメル人の言葉は我々には再現が難しいので、近い音をあててそうお呼びしているだけなのですが」
 女王といっても、他のギンメル人よりひとまわり身体が大きく、腹部と思われる部分が膨らんでいる以外は似たような見た目をしている。
 派手な装飾を身に着けているわけでもなく、藁を敷いただけの床にふつうに座っているだけだったので、ミツキさんに言われるまで、偉い人物だとはまったく思えなかった。
 しかし、よく見れば左右に、立派なアゴを持ったギンメル人が侍っている。恐らく衛兵だろう。
 すぐに気づけなかったのは、窓から入る光以外、部屋に照明がなかったからだ。
 人や他の亜人種のような武器を持たず、いっさい身動きもしないので、彫像が立っているのだと勘違いしてしまう。
「ギギギ……」
 女王ジグヘーが、奇怪な音を発した。
 タイラさんによれば、ギンメル人はこうした節を擦り合わせる音と、フェロモンを使って会話するらしい。
 フェロモンはほぼ同族専用のコミュニケーション手段なので、対外的には擦過音を用いるとのことだが、これも言われなければ言語とは到底認識できない。
 そして、これを言語を最も巧みに操れる者が女王に選ばれるのだとか。
「まずはお礼を、とジグヘー殿は仰っています。脱走したカリュメを連れ戻してくれたことに対してです」
 タイラさんが通訳した。
〈派遣社員〉は、監視者であると同時に、他種族との交渉の窓口を兼ねることも多い。
「連れ戻したわけじゃない」
 ムキになって反論しようとするオルムスを、僕はなだめる必要があった。
 感情的になっては、まとまる話もまとまらない。
「オルムスの希望は、この少女を譲り受けることです。僕は友人として、彼の意思を最大限尊重したい」
「難しい話ですね。ギンメル人と他種族との軋轢を避けるためには、これまで通り、すべてのカリュメは人目につかない場所で飼育したい」
「もし、このまま素直に彼女を返した場合、どのような見返りがありますか?」
「というと?」
「不慮の事故が原因とはいえ、今回のことはそちらの落ち度と言えます。僕たちは、あなた方が負うべきペナルティを未然に防ぐカードを持っているわけです」
「望みどおりにしなければ、こちらの失態を吹聴して回るぞ、ということですか」
「そこまで不遜ではありませんよ。あなた方が強硬手段に訴えれば、僕らに抗うすべはないんですから」
「そうですね。ギンメル人に――というより、我々トブラック・カンパニーには、すべてをなかったことにするだけの力も、たびたびそれを行ってきたという歴史もあります」
 やはり、と僕は確信した。
 いま、真に相手にすべきはギンメル人ではなく、彼女――タイラさんだ。
 独自のコミュニティに籠って暮らしてきたギンメル人は、百年の時を経ていまだ居住区《ここ》の慣習に馴染めていない。
 解決能力を持っているのは、彼らとは逆に、積極的に外部に干渉し続けてきたトブラックの人間だ。
 甘い相手じゃない――けど、つけいる隙はある。
 トブラック・カンパニーの掲げる理念は公益。
 元々は閉鎖空間に近い船内での餓死者を減らすため、食料の公平な分配を目的として設立されたのが、その始まりだ。
 確たる法なき居住区にあって、その理念を貫けるのは、それだけの力があるからに他ならない。
 そういう出発点を持つ組織なら、無力な民を殺すのは、できるだけ避けたいはず。
「もちろん、お返しいただけるなら相応のお礼はいたします」
「それは金銭で?」
「もしくはそれに準じる品で。あなたとご友人が、一段上の生活ができるのに十分な額をご用意できるでしょう」
「なるほど。では確認しますが、カリュメ一頭の相場はいかほどですか?」
「そうきましたか」
 タイラさんは、きっちり左右対称の笑みを浮かべた。
「礼金をそのまま、カリュメの購入代金にあてるおつもりですか?」
 動揺は見られない。
 予想済みだったか、あるいはポーカーフェイスが完璧なのか。
「普通の家畜の礼を考えても、そこまで法外な値がつくとは思えませんが」
「お答えするのは難しいですね。なぜなら、すべてのカリュメはギンメル人によって消費されるので、相場自体が設定されていないのです」
「そうなんですか」
 全面的に信じたわけではないが、あえて乗ってみる。
「つまり、譲り受けるにせよ、買い取るにせよ、カリュメを外に出すのは絶対に無理と?」
「絶対……とは、言いませんが。すべては元通り、というのが双方にとって最善と考えます」
「ふぅん……でも、そうはなりませんよね」
「なんと?」
 はじめて、タイラさんの顔に感情めいたものが浮かんだ。
 怒り。驚き。戸惑い――それが果たしてなんだったのか。
 ほんの一瞬、かつ僅かな変化だったので判然とはしない。
 けれども、確実にある種の手ごたえはあった。
「百年ぶりとはいえ、こんな些細で、しかも偶発的な事故で、二度目の脱走は起こってしまった。むろん、あなたがたは再発防止策を講じると主張するでしょうが、それでもいつか、三度目が起きるでしょう。それこそ、カリュメという家畜が存在する限り」
「予言ですか?」
「忠告、と取ってもらえれば」
 できるだけ抑えた声音で返す。
 悪意の類があるなどとは微塵も思われてはならない。
 トブラックの――否、秩序に対する敵と見なされれば、その瞬間に僕らの運命は決する。
「……人の為すことに完璧はありません。しかし、限りなくゼロに近づけることはできます」
「それにしても、ギンメル人の生活状況や物理的スペースといった制限はついて回る」
「あなたは、何が言いたいのですか?」
 来た。
 これが核心。
 果たして吉と出るか、凶と出るか。
 舌が口内にはりつく感覚があり、緊張していたのだと今更に悟る。
 呼吸を整えつつ、ゆっくり唾を飲み込み、僕は声を発した。

「最善は他にある、ということです」

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