『バラックシップ流離譚』 アリフレイター・4
その日、ゼラーナが馴染みの骨董品店に立ち寄ると、店主が困った顔をしていた。
「どうしたんですか?」
「ああ、よかったよゼラーナちゃん。アンタに会いたいって人が来てるよ」
鼻の下にたくわえたヒゲをもぐもぐさせながら店主が目配せした先に、一人の女性が立っていた。
痩身にして長身。仕立ての良いスーツを身に着け、いやに背筋がピンとしているのが印象的だ。
無言で棚の商品をあれこれ手に取り、ためつすがめつしている。
だが、あまり熱意は感じられず、単に暇つぶしでそうしているようだった。
「アンタにブツを見てもらいたいんだってさ。今日来るかもって伝えたら、待たせてもらうって言ったきり、ずっとあんな感じで」
「ああ、たしかに居座られたんじゃあ迷惑だよね。サクラ代わりにしたって、ありゃトブラックのモンだろ」
トブラック・カンパニーの社員といえば、それが制服というわけではないが、皆スーツを着込んでいるイメージがある。
まるで己を巨大な機械の部品とでも思っているような独特の雰囲気を纏っている者も多く、そこがゼラーナとしては、常々相容れないと思っていた。
もとより、船内の物流を監視し、ひいては秩序を維持する番人のような組織であってみれば、ゼラーナとの相性が良いはずもない。
近隣の住人にしたところで、多かれ少なかれ、まともな世界の常識からすれば犯罪者やそれに近い者のほうが多いくらいで、言ってしまえばトブラックの社員は、ここでは煙たがられるのがふつうなのだ。
「ハイ。私がゼラーナだけど」
「はじめまして。アステラ・ディキと申します」
女はゼラーナに向き直ると、完璧な礼をしてみせた。
スーツの胸許を大きくあけているのは、細い身体には不釣り合いに大きな胸が収まりきらないからだろう。
つば広帽をかぶり、のぞく前髪は左右非対称で、右目を隠している。
両手に手袋をはめている他は、装飾品の類をいっさい身に着けていない。
気品と優雅さ。
抑制の利いた声音。
ゼラーナが仕事のため必死に習得したそれらを、彼女は息をするように使いこなしていた。
「私に用だって?」
「ええ。ここのご主人にもお伝えしたのですが、見て頂きたい品がございまして」
カウンターへ移動すると、アステラは懐から小さな箱を取り出した。
中身は、手のひらほどに収まるほどの大きさの、黄金のメダルが一枚。
「先日上層でひらかれたオークションで出品予定だったものです」
「ああ、なにやらひと悶着あったらしいね。オークション自体が途中で中止になったとか」
「そのことはいま、どうでもよいことです」
雑談をする気もなしか、とゼラーナは内心反感を覚えたが、何事もなかったように会話を続けた。
「見事な細工だねえ。表側に描かれているのは魔獣……でなけりゃ荒ぶる神ってとこか。用途はおそらく魔除け。特別な力みたいなのは感じない。私が知ってるどの系統にも属さない文化と思われるから、出所は新しく見つかった世界だろう」
ゼラーナが目でうかがうと、アステラは小さく首肯した。
「なるほど。確かな目をお持ちだ」
「そりゃどうも。買い取りが希望なら、こんなチンケな店じゃなくって、上層の好事家を紹介するぜ」
「チンケな店で悪かったな」
主人がハタキを振りながら文句を言った。
「いえ。いましばらく手許に置いて、価値を見定めたいと思います」
「慎重なんだね。それとも焦る必要がないとか?」
「さて。あまり、そういう気持ちになったことはありませんね」
「どんなものでもいつか失われる。機会は逃さないことだね」
「ご忠告、痛み入ります」
帽子を持ち上げながら目礼し、アステラは店を出ていった。
骨董品店からすこし離れた場所に、トブラック・カンパニーの所有する事務所がある。
管理している社員がマメなのだろう。床にはチリひとつ落ちておらず、備品もすべてきちんと整理され、どこになにがあるのか一目瞭然だった。
事務所の一室は会議などに使われており、アステラ・ディキが入っていくと、すでに集まっていた面子が会釈をした。
左から、丸眼鏡をかけた青白い顔の男。黒髪の若い女。そして小柄な体格にそばかすの残る童顔という、控えめに言ってかなり幼く見える女の三人だ。
いずれもトブラック・カンパニーから他組織に出向している社員――通称〈派遣社員〉である。
「遅かったですね」
黒髪の女が言った。
取りようによっては冷淡にも、あるいは咎められているようにも聞こえる。
「さて。時間通りだと思いますが」
「たしかに。ですが貴女の場合、枠に収まりさえすればなにをしても良いと思っている節があるように見受けられますので」
「不測の事態に備え、常に柔軟に対応できる状態を確保しているとご理解下さい」
「いや、それはいくらなんでも都合よく解釈しすぎでしょう」
「ま、まあミツキさん、まずはアステラさんの報告を伺いましょう」
小柄な女が、おろおろしながら促した。
彼女は見た目通り、四人の中でもっとも若輩である。
「いいんデすヨ、シシリィさん。これは二人のいつものヤりとりデ、いわバ挨拶のようなものデす」
「で、ですけど……」
「ここ一年のあいだに発生した四件の詐欺被害。いずれもただの石やボロ布といったゴミ同然の品の価値を誤認し、高額で買い取らされています。おそらく、生物の認知能力に影響を及ぼす能力が使用されたのでしょう」
「ああっ、唐突に始めてるし!」
「まったく、自由なんだから……」
ミツキが小声でぼやく。
「犯人と思われる人物は、被害者の証言から人族の若い女、それもかなりの美人であることがわかっていますが、髪や瞳の色はばらばら――まあ、変装くらいしますよね。奇妙なのは、誰に聞いても女の印象が曖昧で、それ以上の特徴が見出せなかった点ですが、このことが逆に、彼女の能力の裏付けとなりました」
「ナルほど。ゴミの価値を高いと勘違いした結果、相対的にソレを持ってきた人物の印象が薄くなっタというコトですカ」
「しかし、それでも痕跡を完全に消し去ることは不可能で、被害を受けた店の雇った刺客の中には犯人に辿り着く者もいました」
「が、抹殺には失敗したト」
「その通りです、トノヤマさん。犯人の能力は応用範囲が広く、またそれを使いこなすだけの知性も併せ持っている」
「そんな相手に接触を試みるだなんて」
「最後の確証が欲しかったのです」
あきれ顔で言うミツキに、アステラは穏やかな笑みを向けた。
「ミツキさん、いつもはあんな感じじゃないのに、どうしてアステラさん相手だと刺々しいんです?」
「そこはそれ、長い付き合いデスから。肝胆相照らしすギるあまり、遠慮がなくなってイるのかと」
「そ、そうなんですか?」
議論はすでに、アステラとミツキ、一騎打ちの様相を呈していた。
「これは、私が対象に見せたメダル。そしてこちらは、予め用意しておいた、メダルとほぼ等価という鑑定結果が出ている壷です。対象との接触後も、ふたつの品の価値に、私は差異を感じていません」
「そんな自己申告」
「私は毎晩寝る前に瞑想する習慣があります。己の心を見つめる行為には慣れているのです」
「べつにいいけど、わざわざ言うのは気持ち悪っ。――で、能力を使わなかったのなら、犯人である確証も得られなくないですか?」
「確証はありませんが確信ならあります。これは、危険だったのではないかという疑問への回答で」
「はいはい、わかりました! それで結論は?」
「対象の能力の全貌はわかりませんが、価値判断を歪めるものであることはほぼ間違いありません。発動条件は接触。一度発動してしまえば距離を置いても効果は持続する。持続時間は一日程度。ただし能力の過少に錯誤させるのは、フルールリアンのあいだでは常識的行為です」
誰も口を挟まない。
アステラの分析には、ミツキでさえ一目置いているのだ。
「よって作戦の決行は二日後を提案します」
「異議なし」
「異議ナし」
トノヤマとシシリィが即座に答え、ミツキはいったん深く息を吸い込んだ。
「……異議なし」
「では、決定通りに。二日後には対象――詐欺師ゼラーナの息の根を止めます」