『バラックシップ流離譚』 影を拾う・3

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「お姉ちゃん、ここのエライ人と知り合いだったの?」

 ひそひそとマキトが訊ねた。

「偉いかどうかは微妙だけど、すごい人ではあるかもね、いちおう。あと、知り合いってのも微妙。向こうはたぶん、会ってもわかんなそうだし」
「なにそれ、大丈夫なの?」

 少年の不安顔は見ていて飽きないので、シャービィはだんまりを決め込んだ。
 それに、わざわざ説明するのも面倒くさい。

「ここの三階です」

 東館の前まできたところで、案内役のマーカスという男がこちらを振り返った。
 端正な顔立ちで、さぞかしモテるだろうと思わせる。
 それにしても、案内役にエルガードをつけるとは……。
 警戒されているのだろう。まあ、無理もないが。
 特別客員司書というのは文字通り特別で、〈図書館〉関係者にとっては生きた至宝ともいうべき存在なのだ。
 近頃はあちこち出かけているらしく噂はよく耳にするが、本音をいえば閉じ込めておきたいところなのだろうと推測する。
 三階の閲覧室は、数百人はゆうに入れるスペースがあり、細長い机がいくつも並べられていた。
 その真ん中あたりに、ぽつんと座っているのが目的の少女だった。
 儚くも美しき黒髪の乙女。
 万象を記す書物を受け継ぐ蝙蝠人《バッティスト》。
 特別客員司書ニーニヤ・レアハルテ――またの名を〈記録魔《ザ・レコーダー》〉

「お邪魔して申し訳ございません。ニーニヤ様に、伺いたいことがあるというお客様が参られまして」
「構わないよ。変化とは常に、逃れがたく、避けがたく……そして望ましくもある事象だ。ボクにとってはね」

 恭しく告げるマーカスに、ニーニヤは本のページを捲る手を止めることなく応じた。
 いまのを翻訳すると、読書ばかりで退屈していた、といったところか?

「何者だ、そいつら」

 ニーニヤの傍らに、少年が立っていた。
 少年といってもマキトよりだいぶ年上で、十代後半くらいだ。
 地味なので気づかなかったが、そういえばニーニヤのそばにはいつも護衛役の彼がついているのだった。


「シ、シャービィ・グランソールと申します。こ、こっちはマキト」

 べつに緊張しているわけではないのだが、親しい者と話すとき以外はどもりがちになってしまう。
 なめられるし、治したいとは思うものの、どうしようもないのだ。

「グランソール……偉大な魂か。いいねえ、勇壮にして豪気だ」
「は、はは……名前負けしてるんで、あんまり名乗りたくないんですけどね……」

 ニーニヤは本を閉じ、席を立つと、滑るような足取りでシャービィたちのほうに歩いてきた。

「ニーニヤ」
「どうしたんだい、ウィル」

 護衛の少年の呼びかけに、ニーニヤが足を止める。
 言葉を発するたびに、なまめかしく動く口許、視線の動き、さらさらと揺れる黒髪。
 なにもかもが吸い込まれるほどに美しい。
 どうしてこんな生き物が存在しているのだろうと、らしくもなく嫉妬にも似た想いが湧きあがるのを感じる。

「あんた、どこかで会ったか?」

 少年はニーニヤを後ろに庇うような位置に立つと、シャービィの顔をじっと見つめた。

「え、ええ、実は。……でも、一方的にこちらが存じあげているだけで……そういう人は、たくさんいるのでは?」
「……たしかに、コイツ《ニーニヤ》は無駄に目立つからな」
「そんなことより用件を聞こう」

 ニーニヤが、待ちきれないといったようすでウィルの袖をひっぱっていた。

「この生き物のことで、なにか知ってたら教えてほしいんです」

 マキトが鞄を机に置くと、中の影生物たちが暴れたのか、もぞもぞと動いた。
 たちまちマーカスとウィルが警戒心を露わにする。
 シャービィは、大丈夫だと身振りで示した。

「こ、子供が素手で捕まえても平気なヤツです。危険はないはず……というか、人によってはふれることもできないというか」
「ほう」

 ニーニヤが目を輝かせた。

「じゃあ、いきますよ」

 マキトが鞄の口をひらく。
 最初に中を覗いたのはマーカスだった。

「む……何もないが」
「どれどれ」

 ニーニヤも身を乗り出す。

「ボクには黒いものが蠢いているように見えるけど」
「おれも。アンタ、目が腐ってるんじゃあないのか?」
「なんだと」
「み、見えるかどうかも、個人差があるみたいです」

 マーカスのこめかみに青筋が浮かぶのが見えたので、シャービィは慌てていった。

「ますます興味深いね――おお、すり抜ける! まるで霞にふれているみたいだ!」

 周囲が止めるよりも先に、ニーニヤは鞄に手を入れていた。

「だ、大丈夫なんですか?」
「危険はないといったのはキミだよ」
「そうだよ。お姉ちゃんだっておなじことしたじゃないか」
「わ、私は大丈夫なの――あ、いやいやいや。なんでもない」

 ニーニヤが目くばせすると、ウィルがうなずいて書庫の方へ走っていった。
 戻ってきた彼は、ひと抱えほどもある大きな本を持っていた。

「フフフ……驚くといい。これが噂の――」
「あ、私見たことあります。アレですよね。この世のあらゆることが書かれているっていう」
「なんだ、知ってるのか」

 ニーニヤは不満そうに口をとがらせた。

「その通りだよ。これがボクの受け継ぐ〈億万の書《イル・ビリオーネ》〉さ。正確には、万象を記す"途中”なんだけどね」

 革製の表紙には、おそらく宇宙を表しているのであろう精緻な装飾が施されている。
 ニーニヤは愛おしむような手つきでそれをなでながら、ウィルに「何ページだっけ?」と訊ねた。

「項目は【影】でいいのか?」
「ちょっと大雑把すぎるね。【不定形生物】からいってみようか。正解でなくとも、関連項目から辿れるかもしれない」
「了解。それなら三一七ページだな」

 ニーニヤが本を開くと、たしかにそのページに該当の項目が載っていた。

「すごい! お兄ちゃん、ぜんぶ覚えてるの?」
「瞬間記憶ってヤツでね。字を教えるついでに読ませてやったのさ。ボク以前の継承者が書いた部分はさすがに覚えきれていないから、助かっているよ」
「よくいうぜ。自分が書いたとこだって怪しいもんだろ」

 どうやら危険はなさそうだと判断したのか、マーカスがそっと閲覧室を出ていくのが見えた。
 その後は、シャービィを除く三人でワイワイ盛り上がりながら、貴重な魔書の世界を逍遥していた。

「ふむ。こうしてみると、はっきりとした形を持たない怪物の類はたくさんいるものだね。大別すれば、魔法生物、原生生物、アストラル体の三つに分類できそうだね」
「考察はいいよ。大事なのは、この影の正体だろ」
「まったく、ウィルはせっかちだね。知的探求の神髄は寄り道にこそあるというのに」
「そうだよ、お兄ちゃん。いろんなことがわかって、僕は楽しいよ」
「マキト君は見込みがあるね。もうすこし大きくなったら、ここで研究者をやるといい」
「お前ら……相性ばっちりじゃあねーか」

 ああ、まったく。
 若者の生き生きとしたようすとは尊いものだ。
 自分には眩しく、遠く――懐かしさに、うかうかと輪に混じろうとすれば痛い目に遭う。
 残るのは、虚しさと疲労感。
"もはやどうにもならず”、自分が何者であるかを否応なく思い知らされる。
 だから、興味のないフリをして、離れた場所から眺めているくらいが丁度いい。
 それなのに、少年は彼女に無垢な瞳を向け、こっちへ来いと腕を引くのだ。

「ねえ。お姉ちゃんも、いっしょに考えてよ」
「ええ……いいよ、私は」
「なんでさ。さっきまで、あんなにノリノリだったのに」
「べつに、ノリノリだったわけじゃ……」

 逆らいきれず、シャービィはマキトの隣に座り、皆とともに本を眺めるはめになった。
 まあ、読書自体はつまらなくないので、適当に相槌を打つ。

「影というものは古今、文明を築くほどの知性体にとってよほど想像力をかきたてる対象であるらしく、あらゆる世界に伝承が残っているそうだ」
「でも、それって作り話ってことだろ?」
「とも限らない。幾つかの世界においては、思念が物理的な影響力を及ぼすとされる。要するに、想像や願望が実体を持つということだ」
「その法則……みたいなものは〈幽霊船〉にも当てはまるのか?」
「どうかな。キミの意見はどうだい、シャービィ」
「私!? え、ええと……あるよ。そういうのは、この船にもある……魔法ってやつが、そうだよ」

 しどろもどろになりつつ、シャービィは答えた。

「魔法。魔法ね……そういえば〈幽霊船〉でも最大の魔法使いと呼ばれているのは、〈竜の子ら《ドラゴニュート》〉を束ねる小竜姫だったね」

 なにか思い当たったのか、ニーニヤは物凄い勢いで〈億万の書《イル・ビリオーネ》〉のページをめくりはじめた。

「あった。これだ」

 ニーニヤが指さしたのは【鬼】の項だった。
〈幽霊船〉の住民としても知名度の高い戦鬼《オーガ》や青鬼《ヤーカ》、牛人《タウラ》とその変種とされる牛頭鬼《ゴズ》。
 様々な世界の伝承や、学術的な位置付けといった記述の中に、短くこんなことが書いてあった。

『竜族の一部では、影に似た小型の妖《あやかし》をこう呼ぶ』


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