『バラックシップ流離譚』 キミの血が美味しいから・20

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 ゆらり、ゆらり、と身体を揺らして、ラ=ミナエが近づいてくる。
 両腕もだらりと下げ、剣を引きずっている状態だったが、ウィルにあえてこちらから仕掛ける勇気はなかった。

「弟子を取った、といっていたな……張り合いがある、とも……そうか、お前か。お前だったのか」
「こいつ、レムトさんと知り合いなのか?」

 虚ろな目を宙に向け、ラ=ミナエは「ああ……」と息をついた。

「だから、こないのか。こんなモノがいるから。私のことなどどうでもいいと」
「ウィル!」

 ニーニヤがウィルの襟首をつかんで後ろに引いた。
 凄まじい速度で繰り出された横薙ぎが鼻先をかすめる。
 危なかった。
 予備動作がまるで見えなかった。
 ニーニヤがひっぱってくれなかったら、ウィルの頭は輪切りにされた野菜のようになっていただろう。

「まだくるぞ」
「わ、わかってる!」

 気を取り直し、ラ=ミナエの動きを注視する。
 地をえぐるような下からの一撃。今度はかろうじて受ける。びりびりと腕が痺れた。横合いからヘビのようにのびてくる突き。これも、なんとかいなす。

(いけるか……?)

 いろいろ混ざっているようだが、基本はレムトと同じ流派のようだ。
 これなら、ある程度は攻撃を予測できる。
 だが、問題はその先。

「かはっ」

 ラ=ミナエが笑った。

「いつまでもつかな?」

 そのとおり。守ってばかりでは、いずれやられる。
 どこかで反撃に転じるか、隙を作って逃げるか。
 できることなら、後者を選びたいところだが……。
 さらなる一撃――切っ先がのびてくるような錯覚。身体を横に倒したが、頬をかすった。
 これまで通りなら受けられたはずだが、相手はギアを一段上げてきた。
 バランスが崩れる。次の攻撃は、防げない。

(くそ……!)

 ウィルが絶望しかけたとき、頭上を影が覆った。
 長い身体を持った、巨大な生物。
 細長い針を束ねて井桁状に組み、それを連ねたような姿は――
 ニーニヤがブランチ・クロウラーと名付けた、異世界の怪物だった。

(な、なんでコイツがここに?……そうか、あのとき……)

 あの探索行で、蝙蝠人《バッティスト》の少女は怪物の身体の一部を入手していた。
 それを媒体に〈億万の書《イル・ビリオーネ》〉から召喚したのだ。

 ザキザキ……ザキザキ……

 鳴き声か、あるいは井桁が軋んでいるのか。
 神経に障る、不気味な音を響かせながら、ブランチ・クロウラーが頭部と思しき部分をラ=ミナエに向ける。
 直後に、空気を切り裂く音がした。
 怪物の身体を構成する針が、矢のような速度で伸びた。
 ラ=ミナエはとび退ってかわしたが、回避しきれずに数本の針が左腕と手の甲を貫いた。
 だが、ラ=ミナエは呻き声ひとつ発さず、右の手のひらでなでるように針にふれた。
 たちまち、針は光の蝶となって消滅する。

「まずいな」

 ニーニヤが口許をひきつらせた。
 召喚生物は生命エネルギーの塊といっていい。
 つまり、それを飛散させるラ=ミナエの能力とは相性最悪というわけだ。
 ラ=ミナエが跳躍し、腕をひと振りすると、焼きごてをあてられた氷のように、ふれられた部分がかき消える。
 それを何度か繰り返すと、ブランチ・クロウラーの残骸は実体を保てなくなり、ついには残った部分も塵となって散ってしまった。

「いやはや参った。足止めにすらならないとはね。これでは貴重な資料を浪費しただけじゃあないか」
「呑気にいってる場合か!」

 ウィルはすでに、ニーニヤの手を引いて逃走を始めていたが、たちまち追いつかれてしまう。
 肩越しに、ラ=ミナエが剣を振りかぶるのが見えた。
 もう駄目だ、と思った次の瞬間、景色が切り替わった。
 さっきまで駆けていた路地ではなく、建物の屋根の上にふたりは移動していた。
 縁に立って下のようすを窺うと、ラ=ミナエと見知った少女が対峙していた。

「ミツカ!?」
「よかった、間に合った」

 ミツカはラ=ミナエのほうを向いたまま、嬉しそうに応えた。
 軽く動かし続けている両手の先で回転しているのは、鉄鎖か。
 屋根の上に移動する直前、手首になにか巻きついた気がしたが、おそらくあの鎖だろう。
 ミツカの能力――紐状のもので繋いだ人や物の座標を入れ替える――を使ったのだ。

「ここは私が食い止めるから、ウィルはニーニヤさんと逃げて」
「よせ! 殺されるぞ」
「あの坊やのいう通りだよ。お嬢ちゃん、あの場では三番手といったところだったろう?」
「…………まったく」

 ミツカの口許に苦笑が浮かんだ。

「ウィルもあんたも、私をなめすぎだっての」

 いい終わるより早く、鎖の先の分銅がラ=ミナエの眼前に迫っていた。
 ウィルの目には、ミツカが指先を軽く動かしたようにしか見えなかった。
 ラ=ミナエは剣の鍔で分銅を弾くと、慌てて距離を取った。
 すかさずミツカが追撃をかける。嵐のように回転する鎖が、周囲にある物を薙ぎ倒しながらラ=ミナエに襲いかかった。
 ラ=ミナエは上に逃げた。凄まじい跳躍力で、軽々と屋根の上まで登っていく。
 ミツカも適当なベランダの柵に鎖を巻きつけ、反動を利用して後を追う。
 着地の瞬間を狙ってラ=ミナエが攻撃しようとするも、もう一本の鎖を振り回して牽制し、近づけさせない。

「やるねえ」

 ラ=ミナエが感嘆の声を漏らす。
 ウィルも同感だった。
 ミツカの戦いを見るのは異世界探索以来だったが、あのときは援護に徹していたせいもあり、さほど目立ってはいなかった。
 まさか、これほどとは。
 あるいは戦闘のセンスや才能では、ラムダをも上回るかもしれない。

「でも」

 ラ=ミナエが、これまでにない速度で踏み込んだ。
 間合いをずらされながらもミツカは攻撃を繰り出すが、巧みな剣さばきによりふたつの分銅はあらぬ彼方へ飛ばされてしまう。

「お嬢ちゃんとやりあうのも愉しそうだけど、あの坊やを殺さなくちゃあならないんでね」

 ミツカは慌てて鎖を引き戻すも、その隙にラ=ミナエは彼女の横をすり抜けた。
 まずい。
 逃げるか? だが、すぐに追いつかれるだろう。ならばどうする?
 迷っている一瞬のうちに距離を詰められた。
 喉に掌打を喰らい、そのまま背後にあった鐘楼に押しつけられ、身動きを封じられる。
 ラ=ミナエは剣を口に咥え、右手をあけた。

「じっくりと眺めるがいい。己の身体から命の抜け出ていくさまを」

 あの恐ろしい右手が、ウィルの胸に近づいてくる。

「それを見て、お前はどんな顔をするのかな?」
「ぐ……や、やめ……」
「ウィル!」

 鍛えあげられた戦士の握力は、ウィル程度の力ではびくともしない。
 死ぬ覚悟など、できているはずもなかった。
 そもそも、そんなものがあるくらいなら力づくでもニーニヤを止めていたはずだ。

(ちくしょう……情けねえ)

 力も覚悟も中途半端。
 そんなザマでは、どこにも居場所を得られない。
 生きていたとしても、また捨てられるのがオチだ。

「ダメだ! ウィル……ウィル!」

 ニーニヤが叫んでいるのが聞こえた。
 彼女がこれほど必死になっていた記憶はない。
 心なしか、涙まじりなような気さえする。
 ばかな。ニーニヤが、ウィルのために泣くなんて――

「なに?」

 唐突に喉をつかんでいた手が緩んだ。
 見ると、ラ=ミナエの右手首に鎖が巻きつき、ぴんと張っていた。

「やらせない!」

 顔が真っ赤になるほど力をこめて、ミツカが鎖を引く。
 ラ=ミナエは体勢を崩しかけたが、踏みとどまって逆に鎖をひっぱった。
 体重の軽いミツカはたたらを踏み、その拍子に屋根の縁が崩れた。
 あっという間もなく、少女の身体は空中に投げ出された。

「ミツカ!」

 だが、次の瞬間。
 ウィルの目の前にミツカが現れ、代わりにラ=ミナエが空中に移動していた。
 ミツカが鎖を手放すと、ラ=ミナエの姿は建物の陰に消え、落下音が後に続いた。

「さあ、いまのうちに」

 声もなくウィルが立ち尽くしていると、振り返ったミツカが身体を押した。

「あれくらいじゃアイツは倒せない。だから、いまのうちに。なるべく時間を稼ぐから」


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