『バラックシップ流離譚』 キミの血が美味しいから・17

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 いつ見ても雑然として美意識の欠片もない街並みだ――と、ロド・ギヨティーネは思った。
 だが、それゆえ心に平穏をもたらし、離れがたい気持ちが湧くのもたしかである。
 そんな、勝手知ったる街の景色が、いまのロドにはまるでちがって見えた。
 幼き日に遊んだ広場。盗みを働いた店の者に追われて飛び込んだ生け垣。物心ついたときからずっとおなじ姿を晒し続けている廃屋――
 それらすべてが、不気味で、恐ろしく、目を離した瞬間に牙を剥いて襲ってくる気がした。
 頭では、そんなわけがないと理解している。
 実際に襲ってきているのは、得体の知れない怪物ではなく生身の存在だ。
 うかつにも事を構えてしまった、居住区有数の武装組織。
 その、モールソン一家でも、さらに精鋭中の精鋭といわれている、次男グラッドの直属部隊、ヒババンゴである。
 屈強の猿人《エイブン》のみで構成されたヒババンゴの戦いぶりは、聞きしに勝るものだった。
 疾風のように現れ、嵐のように暴れて去っていく。
 見た目の凶暴さとは裏腹に、冷徹に、かつ嬲るように、すこしずつロドの戦力を削いでいく。

(こっちは敗残の身だぞ! 士気なぞとうに落ちきっているのに、その上こんな戦い方をするのか……!?)

 口をひらけば泣き言しか出てこないとわかっていたので、胸の内だけで存分に喚いた。
 どの道、状況は変わらない。
 なぜ、勝てると思ったのか。
 そう錯覚させたものとはなにか。
 モールソンの幹部を含め、何人かを血祭りにあげた。
 それはあまりに容易く、報復らしい報復もなかった。
 実入りは目に見えて増加し、周囲からの見る目も変わった。
 それで浮かれてしまったのか?

(いや、ちがう! そんなときこそ危険だと自省する理性を、俺は持っていた!)

 だが、それでも――
 組織が大きくなるにつれ、あちこちでタガが緩んでいったのも事実だ。
 気づけばコントロールを失い、ついにはモールソンの逆鱗にふれた。
 否、向こうはハナからそのつもりで、ギヨティーネの隙を窺っていたのかもしれない。

 ――Heee! Heee!

 ロドたちの頭上で、不気味な声が響いた。
 猿人《エイブン》どもの吼え声。
 互いに合図を送り、追いつめる算段をしている。

 ――Heeee! Heeee!

 声はあちこちで反響し、出どころがわからない。
 それがいっそう、ロドたちの恐怖を煽ってゆく。

「ヒーバ! ヒーバ!」

 ひと際野太く、大きな声が応じる。
 おそらくは猿どもの統率者、グラッド・モールソンのものだ。

「「「ヒババンゴォ!!」」」

 斜め後方。建物の壁が吹き飛び、四、五人の猿人《エイブン》が躍り出てきた。
 悲鳴があがり、逃げ遅れた部下数人がとらえられる。
 骨のへし折れる音。
 足をつかんで振り回され、壁に叩きつけられる音。
 長く尾を引く泣き声は、その男が高所まで運ばれたうえで放り出され、地面と激突するまで続いた。
 悪夢のような殺戮が、繰り返し繰り返し行われ、これで四度。
 ついにへたり込んだロドの両脇に、妻と十歳になる息子がすがりついた。
 ふたりとも恐怖に顔を歪め、泣きながらロドを呼んでいる。
 もはや逆らう気持ちは尽きていた。
 この上は、一刻も早く楽になりたいとロドは願った。

「たの……頼む……私はどうなってもいい……だから……家族の命は……」
「泣かせるねえ。ギヨティーネのボスも、ひとりの父親だったってかァ?」
 割れ鐘を鳴らすかのような耳障りな大声とともに、巨大な影がロドの前に立った。
 イグラッド・モールソンやヒババンゴも並外れて大柄だったが、その男はさらにひとまわり、高さも厚みも上だった。

(コイツが、グラッド・モールソン……)

 実際に対面してみると、見た目以上の威圧感だった。
 全身から、すさまじい暴の気配が漂っている。
 一瞬でも、こちらが機嫌を損ねるような振る舞いをするか、あるいは単なる気まぐれで、たちまち命を奪われるだろうという予感があった。

「真摯な訴えを嗤うのはいい趣味といえんな、グラッド」

 グラッドの横から、もうひとり猿人《エイブン》の男が現れた。
 隣のグラッドと比較するとずいぶん小柄に見えてしまうが、それでも身長は平均以上ある。
 削げた頬、神経質なほど整えられた頭髪。髭はきれいに剃られており、酷薄そうな口許が左右非対称に歪められていた。

「単なる演出だよ、兄貴」
「遊びではないんだぞ」
「かってェなあ。そんなんだから嫌われ――おっと」
「なにかいったか?」

 その男に睨まれると、グラッドはおどけたように肩をすくめた。

「あんたが……ザッド・モールソンか?」
「やあ、ロド・ギヨティーネ。こんなかたちでの初対面、残念に思うよ。もっとはやく話し合う機会があれば、ちがう結末もありえただろうに」

 心にもないことを――とロドは思ったが、ぐっと言葉を呑み込んだ。
 後方でふんぞり返っていると思われた敵の頭が、こうして前線に出てきている。
 これはチャンスなのではないか?
 へたり込んだ姿勢のまま両手をつき、額を地面に擦りつける。

「この度は……この度は! 我が身の非才、凡骨なるを顧みず、偉大なる猿人《エイブン》の御方々に逆らいましたこと、深く深く陳謝いたします!!」
「おいおい、なんか芝居がかったセリフを宣いだしたぞ」

 半笑いのグラッドは無視する。
 話す相手は、ザッド・モールソンただひとりだ。計算高いこの男ならば、条件次第で耳を貸してくれる可能性がある。

「かくなる次第と相成りましたうえは、ザッド殿、賢くも懐深き貴方様のお慈悲に縋るのみ! わたくしの身柄、忠誠、財産のすべて! 地盤、人脈、そのことごとくを差し出す覚悟にございますれば! どうか……どうか残った部下と、我ら家族の命をお救い下さい! 貴方様の手足となり、きっと組織のお役に立つとお約束いたします!」
「ふざけやがって。俺のときより要求が増えてるじゃあねえか」
「うるさいぞ、グラッド」

 ザッドが弟を叱責し、ロドに向き直った。
 ゆっくりと顎をなで、思案している。
 ロドが出した条件の旨味は理解しているはずだ。問題は、報復を望む組織の者への対処や、対外的な印象をどう見積もるかだ。
 だが、秤にかければデメリットよりもメリットのほうが明らかに大きい。あとは、向こうから適当な落としどころを提示し、こちらがそれにどう応えるか。
 ロドの覚悟は決まっている。
 どうせ一度は終わった命。首を差し出せといわれれば、即座に呑むつもりだった。

「ロド・ギヨティーネほどの者にそこまでいわれては悪い気はしないな。いいだろう、ただし――」

(よし!)

 ロドは心の中で快哉を叫んだ。
 彼が築きあげたものは灰燼に帰したが、これで最後の目は残る。

 カツッ――

 そのとき、ロドの隣に誰かが立つ気配がした。

「冗談じゃありません。これで終わりなんて、つまらない」

 あんぐりと口をあけ、ロドは声の主を見あげる。
 薄汚れ、血に塗れ、それでもなお悠然と立ち、周囲のすべてを傲然と見回すその女は――

「ラ=ミナエ……生きていたのか!?」
「誰だ貴様は? ヒババンゴの見張りはどうした」
「昔取った杵柄というやつでね、‟音を立てずに”殺すのは得意なんですよ」

 ラ=ミナエは左手をひらひらさせた。

「や、邸にいた敵は? まさか全滅させたのか!?」
「まさかァ。尻尾を巻いて逃げてきましたよ」
「じゃ、じゃあ……なんのつもりでここへ……」
「それは――」

 ゆらり、とラ=ミナエは上体を揺らした。
 次の挙動が読みにくい動き――次の瞬間、彼女は一直線にザッド・モールソンの方へと駆け出した。

「むっ」

 右手の剣を警戒し、ザッドが右に逃げる。だが、それはフェイント。真に恐ろしいのは何も持っていない彼女の手だ。
 ロドの目には、まるで吸い寄せられるようにザッドは左手の間合いに飛び込み、そして顔面をつかまれた。

「ガッ……ア……!? アアァァァァ……!?」

 物音に驚いた群れが飛び立つように、無数の光の蝶が舞いあがった。
 同時に、ラ=ミナエにふれられた箇所とその周辺の皮膚の体色が抜け落ちていく。
 グラッドやヒババンゴたちが驚愕から立ち直るまでのわずかの時間――悲鳴は急速に弱々しくなり、蒼白になったザッドはビクビクと全身を痙攣させた。

「て、テメェ!」

 ようやくグラッドが動いた。
 うなりをあげる剛腕をラ=ミナエはひらりとかわし、素早くロドのところにもどってきた。

「兄貴、息はあるか!?」

 痙攣するばかりでザッドは答えない。
 グラッドが怒りに顔を真っ赤にすると、ラ=ミナエは嘲るように口許を歪めた。

「なんてことを! いまさらザッドひとりをやったところでどうなるというんだ」
「いったでしょう。これで終わりなんてつまらない、って」

 狼狽するロドの腰にラ=ミナエは手をまわし、ひょいと抱えあげた。
「わ、な、なにを――」
「口をとじて。舌を噛みます」

 人ひとり担いでいるとは思えない敏捷さで、ラ=ミナエは近くの家の屋根に飛び乗った。
 グラッドが牙を剥き出しにして吼えた。

「テメェ、逃げるのか!?」
「ええ。祭りの続き――愉しい愉しい鬼ごっこといきましょう」


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