AI生成イラストに関する思い
はじめに
この数年で人間のテクノロジーは著しい発展を遂げました。中でも人工知能「AI」に関する技術は世界各国で話題となっており、AIの成長により暮らしの安全・支援・サービスの向上など、私が生まれた頃に比べて世の中は大変便利になりました。しかし、どんな便利な道具も使い方を誤ればそれは凶器になりかねません。
2024年11月15日、X(旧Twitter)の利用規約が大きく変更されました。私は普段、イラストレーターとして創作活動を半分仕事半分趣味で続けており、変更された規約内容の中でそれに関わる重要な部分に困惑しました。
『サービス上でまたはサービスを通じてコンテンツを送信、ポスト、または表示することにより、お客様は、現在知られているまたは今後開発されるあらゆるメディアまたは配信方法で、あらゆる目的で、かかるコンテンツを使用、コピー、複製、処理、適応、変更、公開、送信、表示、アップロード、ダウンロード、および配信するための、世界的、非独占的、ロイヤリティフリーのライセンス(再許諾の権利を含む)を当社に付与するものとします。明確にするために記すと、これらの権利には、たとえば、キュレーション、変換、翻訳などが含まれます。(中略)お客様は、このライセンスに、当社が(i)お客様によって提供されたテキストやその他の情報を分析し、その他の方法で本サービスを提供、促進、改善する権利(生成型か他のタイプかを問わず、当社の機械学習や人工知能モデルへの使用やトレーニングなど)、および(ii)当社のコンテンツ利用規約に従い、サービスにまたはサービスを通じて送信されたコンテンツを他の企業、組織、または個人が利用できるようにする権利(サービスの改善、および他のメディアやサービスでのコンテンツのシンジケーション、放送、配信、リポスト、プロモーション、公開など)が含まれることに同意するものとします。』
(X利用規約「本サービス上のコンテンツ」より引用)
長文ですが、これらの内容を簡潔にまとめますと「Xを利用するユーザーは、投稿したもの(テキストや画像)をサービス向上・改善のために人工知能モデルへの学習に利用されることに同意する」ということになります。
この規約の変更に、様々なイラストレーターや芸術活動者は深く憤りと焦りを感じ、中にはXでの活動を辞められた方もいます。
一連の騒動の少し前から、人工知能モデルへの学習(以下、生成AI・AI学習)に関し、活動を続ける私の中で思う所がいくつかありました。少々過激な内容となるので当時どう思っていたかは割愛しますが、その頃から「これから創作活動はどうなるのだろう」「もし生成AIで簡単にイラストができるなら、私は必要ないのではないか」と悩むことが多かったです。情報の錯綜もあり、焦りと不安から当時はAIに全面的に反対をしておりました。
私は自分ではどうにもならないことはすぐに周りの誰か(主に家族)に話さないと気が済まない性格ゆえ、母にこの話をしました。また2024年11月15日、この日は仕事先へ向かう予定があり、「どうしたらいいのか」と職場の方にも相談をしました。Xで繋がっている別の創作活動者の方とも意見を共有しました。
その中で、自分に心境の変化が訪れたのです。
このノートは、そんな私の感情の変化と意見を今この瞬間に書き残しておこうという想いで書いたものです。私の考えに反対する方もいらっしゃいますし、不快な気持ちになる可能性もあります。その場合はこれを読むことをやめて頂いて構いません。
あくまで感情論が主体となる内容ですので、参考文献・出典元があやふやで情報の信ぴょう性は正直なところご期待するものではないと思います。それでも宜しければ、ノートを読み進めてください。
このノートの構成
一応文章として成立させるため、最低限はわかりやすくします。
私がはじめて触れたAI
記憶の限りでぱっと浮かんだ、自分がはじめて触れたAIは私が高校生だった頃に大学説明会で聞いた、はこだて未来大学の「きまぐれ人工知能プロジェクト 作家ですのよ」です。星新一のショートショートを分析し、面白い小説をAIに書かせるといったものです。かなり前の思い出なので講演の内容はほとんど覚えておりませんが、機械が自分で小説を書くということに非常に驚きました。
そもそも限られたアルゴリズムの中で自由な創作ができるのか?それはヒトの発想を超えるのか?
その頃は関心が薄かったのですが、しばらくした後に「AIのべりすと」にて面白半分で実際にAIに小説を書かせて試したことがあります。登場人物の設定やあらすじの導入をある程度こなし…完成した作品はかなり支離滅裂で、唐突に知らない人物が出てきたり「どうしてそうなった?」なんて笑ってしまう展開の連続で、身内の中のネタであれば楽しめましたが、お世辞にも世界に出回るような完成度ではありませんでした。
しかしAIはこんなこともできてしまうのか…すごい世の中になったなぁ、とテクノロジーの進化にただただ唖然とするばかりで、専門外で知識もない私は「すごい」という感情以外はありませんでした。
それからさらに数年が経ち…今度は「イラストを描くAI」というものが話題になったのです。例えば「女の子」「眼鏡」「ロングヘア」と打ち込めば、すぐにロングヘアで眼鏡をかけた女の子のイラストができます。普段の私のペースで新しいキャラクターを作ると、最低で二時間、最長で一年以上かかります。それがものの数分でできてしまうものですから本当に便利で完成された道具です。(これはなんとなく眺めていただけで実際には使用しませんでした)
しかしこの時、どうにも言葉にしがたい複雑な感情を覚えました。
もしかして、私がいなくても機械が勝手にイラストを生産してくれる?
とある同業者の方の意見
複雑な感情を抱きつつ時は進み、生成AIの進化は加速します。特定の画風を学習させ同じ画風で別のイラストを生成するもの、テキストを打ち込みプログラムすることでイラストを生成するもの。果てには音楽や動画まで、もはやAIに作れないものはないのではないかと恐ろしくなりました。もちろん生成するものがすべてではなく、デジタルでイラストを描くためのサポートとして活躍するものもあります。しかし昨今はその域を遥かに超え、「AI自身がイラストを描く」ようになったのです。
すなわち、わざわざイラストレーターという職業の人間を用意せずにイラストを生み出せる。
初期は完全な趣味で活動していましたが、これからはイラストレーターとして誰かのために働きたいという気持ちがあり、そんな私にとってこの憶測を見た時はかなり動揺しました。Xで活動していた他のイラストレーター達も様々な感情をポストしていました。しかし元々趣味に生きる人間でしたので、まだ私が楽しければそれでいいと開き直り…。
いや、絵柄を学習できてしまうのでは、つまり「私」そのものがいなくても私の絵は、できてしまう?
それどころかわざわざ自らの手でアレコレ汗水垂らして苦労する方が馬鹿馬鹿しい、結局生成AIで作れるのならば創作も全部AIに任せれば何も苦労しない、AIが描こうがイラストレーターが描こうがどうせ同じイラストだろうという同業者のお声も見受けられ、非常にショックを受け自分自身、精神的に荒れ狂っておりました。実際、そういう部分もあるのかもしれません。
そういえば料理でも、いちいち自分の手で作るのは面倒だからと冷凍食品をレンジで温めて食べますね…。別に冷凍食品を温めて食べることに罪はありません。冷凍食品は手っ取り早くできて美味しく食べられる。手間と負担を抑えられる。
そんなごくごく普通の、便利に効率化された日常を過ごしている。
私は必要ないとばっさり切られた事実と、実際は気がつかないが似たような行動をしているという矛盾。
私に反論する権利はないのでしょう。
私の願い
そして、Xの利用規約が変更されることになりました。私にできることと言えば、建前だけでもメンタルを強く保ち、できる限り生成AIの話題から目を背けることでした。気にしてしまえばただつらくなるだけ。AI学習対策に関するポストは膨大な数を誇り、Xで繋がっている同業者の方々も対策に追われ苦労されています。対策があるのであれば安心…と思われたかもしれませんが、今度はAI学習対策用のウォーターマークを除去できてしまう方法ポストまで目にしてしまい、もう何が正しい情報で、何が一番有力なのか、自分には判断ができませんでした。今でもそうです。
非常に苦しく、到底自分だけではどうにもできない壁が目の前にある。
しかしそれでも、私は筆を折るという選択肢はしません。
いえ、はじめから「筆を折る」選択肢など存在しませんでした。
確かに生成AIは便利であり、それは紛れもなく人間の作り上げたテクノロジーの結晶で、楽ができます。楽ができるならそうすればいいですし、生成されたイラストが好みであるならそれは大変素晴らしいことです。また生成AIは、芸術活動に無縁だったり様々な事情で創作活動が困難な方の助けになることだってあるかもしれません。
「創作者」である私の観点・技術的観点・福祉的観点での使い道や価値観は同じとは限らない。
ならばどうするか?
私は創作を続けます。
私は、限られた人生の中で、自らのこの手でイラストを描きたい。
そんな「願望」と「欲求」は決して機械による意思ではなく、「私自身」の意思に他なりません。
これらに決定的な根拠や科学的な証明は何ひとつありませんし私もわかりません。
ただ自分が、それを望みました。その気持ちと他者の思想・やり方の違いに気づけたことが一番大きな心境の変化です。
まとめ
私は反AIでもなければ、AI賛成でもありませんので、専門的意見や思想に関する理解はかなり浅く、常に自分の直感で動いてます。対策面倒臭いなぁ、ウォーターマーク入れたらせっかく描いた絵が台無しになる…など、もうそれを言ってしまえば、いずれは私の作品は学習され模倣される時が来るでしょう。いえ、インターネットに作品を掲載している時点で生成AIだけでなく他の問題も発生する可能性はゼロではないとXで活動し始めた頃から認識していました。
このノートを書くキッカケのひとつである、ある創作活動者はこう仰いました。
『作者自身が描いた絵に付加価値がつくのであって、絵柄を学習し生成された絵にそんな価値などない』
創作活動をされている方々が、ひとりでも多く安心して活動できる世の中を願うばかりです。生成AIを排除することは恐らく不可能ですが、安心して活動できる法整備・作品と作者を守るシステムが完成して欲しいものですね。
追記:私の作品を無断転載・自作発言・AI学習に利用することは固く禁じます。
もしそのようなことが発生しましたら、
出るとこ出てもらいますので覚悟してください。
釘バットを構えた私より
~参考サイト~
X利用規約 https://x.com/ja/tos
きまぐれ人工知能プロジェクト 作家ですのよ https://www.fun.ac.jp/~kimagure_ai/