【小説】怪獣専門誌の編集部が巨翼と邂逅する話②大東公出版・書籍第二部・前
東宝三大怪獣が実在する世界。ラドンを追うことに情熱を燃やす女性ライターと、出版社のお荷物・怪獣専門誌編集部によるドタバタお仕事物語
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大東公出版・怪獣専門誌担当・書籍第二部①
次の日の朝九時三〇分を回ったころ、印刷所へ下版データの納品を終えたラドン先生こと●●が、色校サンプルを抱えて編集部に帰ってきた。
飛倉も千若も、自分の椅子の背もたれに深く身体を預け、まぶたを閉じている。ここ五日ほど締め切りに向けて追い込みが続いていたから無理もなかった。
「編集長、……飛倉さん!」
「ああ、君か。データ、笹川サンに渡せた?」
「はいッ! ちょうど出勤してくるところを正門のところで待ち伏せしてやりましたよ」
「ご苦労。助かったよ。今回の君の原稿、苦労した甲斐あってよく書けてたじゃないか」
「え⁉︎ あ、どうも! ガイドブック向けの旅行プラン紹介なんて初めてだったので……。もっと早く書ければよかったんですけど。すみませんでした」
「済んだことはいいよ。それより今日の午後は『怪獣公論』の企画会議がある。せっかくだから君も顔を出せば」
「そりゃ喜んで出ますし、この私が出るべきですけど今日の今日ですか⁉︎ あの私この明け方まで会社と谷田部さん家を結局三往復してましてね⁉︎ で、今は、印刷所まで走って行って、走って帰ってきたところ。御社のサーバーのせいで! 明日がいいナー。明日にならねぇカナー」
「無理だね。そんな君に朗報なんだが、白山通りを南に行ったところに二十四時間営業のスーパー銭湯ができた。油そば屋の角を入ったところだ。色校チェックはいいから午後まで会社抜けて休んできていいぞ」
大東公出版は社員数約八〇名。出版業界にあっては中堅クラスの企業であり、収益のメインは月刊ないし週刊で発行される定期誌。これは雑誌第一部から第三部までが担当する。書籍第一部は、社会・政治・科学・実用など単行本の編集チームだ。
そのなかにあって書籍第二部の受け持ちは、利益度外視の企画本やムックなど。つまり、大東公出版の社是を体現するレガシーとして発行し続けている(惰性とも)別冊や、社内の消極的企画競争(押し付けあいとも)の結果こぼれ落ちてきた単発企画などだ。
前者のひとつが、我が国にたびたび姿を現わしては社会に種々の爪痕を残す怪獣を取り上げる別冊『怪獣公論』である。
『怪獣公論』の創刊は、一九五四年。あのゴジラ上陸の衝撃とその社会への影響を、さまざまな立場の人が論じる場として創られた。以降、ゴジラとアンギラスによる大阪城大破壊、阿蘇のラドン事件、インファント島人身売買事件に伴うモスラ来襲などセンセーショナルな怪獣災害が発生するたびに号を重ね、現在は一年に一度のペースで発刊されている。
『怪獣公論』が同社のレガシーたる所以は、怪獣を取り上げる媒体の特殊性と、それ自体の希少性にあった。世間一般が怪獣と聞いてまず思い浮かべるイメージは「災害」である。地震、台風、水害などの災害を取り上げる一般向け定期刊行誌が稀有であるのと同様に、怪獣のみにフォーカスし年一回とは言え定期的に刊行が続いている媒体は他に類を見ない。研究者が論文を投稿する学術誌であれば、生物学・生態学的または防災の観点から怪獣を論じるものがあるものの、客観的なエビデンスと再現性を重視した研究成果が求められるそれとは異なり、市井の文化人、知識人、論客、はたまた怪獣信奉者までもが主観を交えて怪獣を論じられる場となっていた。
だからこそ『怪獣公論』創刊以来の歴史を振り返ると、掲載された言説が、世間の怪獣観に影響を及ぼしたり、そこで提起された議論を通じて社会を動かしたりした事例は少なくなかった。大東公出版の上層部としてもその点は自負するところである。
一方、書籍第二部がこの日の朝まで取り組んでいた旅行ムックは定期刊行物ではなく、単発の企画だ。編集部間での押し付けあいの結果ではなく、宙ぶらりんになっていた企画書の存在を知った飛倉が、珍しいことに自ら取りに行った仕事だった。
その企画とは、災害から復興を遂げた被災地に焦点を当て、その土地の魅力を伝え、観光プランを紹介するガイドブック。もともとは雑誌第一部が編集している月刊誌の一コーナーとして連載されたのが好評だったのを受けて、その拡大版として企画されたものだ。ここで言う災害には怪獣によるものも含まれたので、ラドン先生こと●●にも執筆の仕事があった。彼女が担当したのは、もちろん、ラドンが飛ぶたびに被災する熊本県である。
さて、●●がスーパー銭湯へ行ってみるかと階段を降りていくと、出社してきた雑誌第一部の戸波と行き合った。
「あー! ●●ちゃんお疲れー! ……ほんとにお疲れね⁉︎」
●●はフリーランスだが頻繁に会社に顔を出す。雑誌第一部の戸波とは直接仕事でやりとりすることはなかったが、あいさつがてら言葉を交わすうちに妙に気が合うのがわかり、今では立ち話に花を咲かせることもしばしばあった。
戸波は●●が何かの用事で朝だけ編集部に立ち寄ったものと思ったらしい。●●は昨晩の顛末を語った。
「もうたいへんでしたよ! 表紙のデータに修正が何回も入って、デザイナーさんのところまで三往復! もうあの黄色い表紙見るだけでうんざり!」
「昨日下版だったの⁉︎ それで『ラドンの宅急便』?あー、そりゃそうだわ……、昨日は会社のサーバーのメンテナンスやる日だってうちのボスが話してたもん。なんなら今朝もSlackにお知らせ出てたよ」
「えーッ⁉︎」
なんてこと⁉︎ みんなが不慮のトラブルと信じていた、私がひと晩中駆けずり回ることになった原因が、事前に予定されていたことだという。
●●は階段を駆け上がり、鼻息荒く編集フロアに舞い戻った。
「編集長ッ! そのパソコンでSlack見てください!今!」
飛倉は彼女の勢いに面食らいながらもPC画面からSlackの社内連絡用スレッドを開く。今朝の九時過ぎに投稿された業務連絡を見た途端、横から覗き込んだ千若、●●ともども眉間に皺を寄せることになった。
それ今朝言うことじゃなくね……?
「御社の総務はじゃぱりパークかよッッ⁉︎」
「編集長、なんでこんな大事な連絡が回ってこなかったんでしょう? 戸波さんは知ってたんですよね?」
「さぁてね……。そのフレンズの単なるうっかりなのか、そうでないのか。わからんよ」
飛倉の言葉の後半は、書籍第二部の業務遂行に対して、何らかの社内政治力学が働いた可能性を念頭に置いたものだ。
「たったふたりの部署だからって軽く見られてる!」
「昨日いちばん汗水流したの私なんだけど、数に入れてくれないの⁉︎」
口々にいろいろな方向へ不平を述べるふたりをなだめて飛倉は言う。
「まぁ、全編集部の下版スケジュールをいちばんよく知ってるのは総務の連中なんだ。わざわざ下版日に被せてくるような真似はせんよ。ズレ込ませたのはこっちだ、文句は言えん」
***
昼休み。愛煙家の社員の溜まり場になっている屋外階段の踊り場に、煙草を吸わない飛倉の姿があった。顔を合わせているのは雑誌第一部の部長、相模だ。
「自分から手を挙げた仕事でこのザマか、飛倉。お前らには珍しく売れそうな企画なのに、つまらんトラブルで出せなくなったら目も当てられないぞ」
「ウチには馴染みのないジャンルだったのもある。イチマガ(雑誌第一部)の人脈を頼れなかったのは誤算だったよ。まぁ、部下たちに経験を積ませることができたのはプラスになったさ」
件の旅行ムックの元になった連載は、相模らが編集を担当している月刊誌の企画だ。定期誌から派生したムックの編集は、取材対象やお抱えのライター陣に共通する部分が多く、勝手知ったるその雑誌の編集チームが並行して進めるのが慣例だった。他部署が割り込むように仕事を取っていくというのは例外的なパターンだ。
飛倉らにとって旅行ガイドブックは始めて手を出す分野だったにもかかわらず、取材に精通した雑誌第一部の人材と人脈の協力を得ることができなかったのである。これがまったく畑の違う怪獣ライターたる●●にも仕事が回ってきた理由のひとつだった。
実はこの件に関して、社内には飛倉が雑誌第一部の仕事を半ば横取りしたふうに感じる者もあった。だから穿った見方をすれば、雑誌第一部の非協力的な姿勢の裏に(誰かの能動的な行動の結果ではないにせよ)ある種のサボタージュを加えるような意思が働いていたとしても不思議ではなかった。
「ウチは売り上げが見込める企画をいくつも同時に進めてるんだ。リソースは有限。悪く思うな。それよりこのご時世だ。普段利益を生まないお前らの立場、もっと真剣に考えたほうがいいんじゃないか」
「ご忠告、痛み入るよ。心配しなくても、我々の立場でしかできない仕事はなにか、いつも考えてる」
「どうでもいいが、デザイナーや印刷所とウチが築いた信頼関係、壊されるのだけは許さんからな」
相模はそう言うと吸殻を灰皿に捨て、丸めて手にしていた彼らの雑誌で飛倉の背中を軽く叩いてから、その場を後にした。
次の話につづく↓
※この物語はフィクションです。登場する人物・企業・出来事は、実在する如何なるものとも無関係です。
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特撮怪獣映画『ゴジラ』(1954)でヒットを飛ばした東宝が、1956年に公開した『空の大怪獣ラドン』。いいですよね『空の大怪獣ラドン』。今週末は調布の4Kデジタルリマスター版上映イベント観てきます。
この小説は、本作のファンサークル「ラドン温泉」が2022年冬のコミックマーケットC101で頒布した合同誌に収録されたものです。ラドン70周年を盛り上げるべく、加筆修正して公開します。
元ネタは友人のキミコさんによる短編の世界観です↓
元ネタ(聖典)↓
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