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【小説】怪獣専門誌の編集部が巨翼と邂逅する話⑧ラドン飛翔災害
阿蘇の空をラドンが飛ぶ。怪獣専門誌編集部はソニックブームの脅威を目の当たりにする。
ラドンを追うことに情熱を燃やす女性ライターと、出版社のお荷物・怪獣専門誌編集部によるドタバタお仕事物語
最初(プロローグ)から読みたい人はこちら↓
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ラドン飛翔災害
時間にすると十秒にも満たない一瞬の出来事だったが、外がどんな被害を受けているか想像がつかなかった。
破壊音はしなくなったものの、何かが地面に叩きつけられるような音は断続的に続いている。
ソーラー設備に向かった藤林氏はどうなった……?
藤林氏の安否に思い至った飛倉と千若が外へ出て行こうとすると、森里支店長が引き止めた。
「外に出たらダメです。ラドンが飛んだあとは一時間経っても空から瓦礫が降ってくることがあるんです。十二年前もそれで何人か亡くなりました。あと一時間、ここに居れば安全ですから……!」
「……ですが藤林氏は?」
「それでしたら、乗ってきたバンの荷台に現場用のヘルメットがありますから使ってください」
森里から車の鍵を受け取り、藤林夫人と外へ出る。
そこに車は無かった。
車どころか、人の営みが形作るあらゆるものが原型を留めていなかった。
谷川地区にあった家屋の、およそ人の背丈よりも高い部分はすべて、吹き飛ばされるか、薙ぎ倒されるかされている。電柱は基礎ごと引き抜かれて上下逆さまに地面に突き刺さっている。
とにかく、三人で藤林氏の発電施設へと続く小道を進む。その間にも空からは本来地上にあるべきだったもの(例えば屋根瓦やエアコンの室外機など)が降ってきていたが、林の中に続くその小道には頭上に木々の枝があって、他よりは危険が少ないと言えた。
発電施設があった場所。斜面に並んでいたソーラーパネルはことごとく散逸して、残された支柱だけがそこに設備があったことを示していた。
藤林氏もソーラーパネルと同じ運命に……?
夫人は言葉もない。
氏の行方を示す手掛かりだけでも見つけられないかと周囲を見回すと、発電施設の土地と林との境い目あたりに、瓦礫が集まっている場所があった。おそらく風が吹き溜まるところに押し寄せられたのだろう。
「あそこを見てください!」
瓦礫と地面との間に、何かが動いている。目を凝らすと、人間の腕に違いなかった。
藤林氏だ! まだ生きている!
今は更地になったこの土地を突っ切って助けに走ろうとした千若の目と鼻の先に、人間と同じくらいの大きさの何かが落ちてきて、大きな音を立てて、壊れた。
「あっっぶなっ……‼︎」
冷蔵庫だった。冷凍室の引き出しが衝撃で二メートルほど弾け飛んで、ジップロックに包まれて冷凍されていた魚が散乱した。
「……そぎゃん魚が入っとるんは隣の鈴木さん家のかも知れんね。釣り好きやったけん……」
「とにかく林に沿って助けに行くぞ」
藤林氏は瓦礫の下で、発電施設の排水溝に身体を収めて命を守っていた。
三人で協力して瓦礫を取り除き、助け起こす。不運にも藤林氏の左脚の膝下は瓦礫の下敷きになって骨折していたが、それでも命を取り留めたことに一同は安堵した。
飛倉と千若が藤林氏に肩を貸して歩き始めると、夫人は「ご近所さんば探しに行かんと」と、ひと足先に山を下りた。
このとき、阿蘇山上空の方角から、ひと続きになった人工的な爆音が響いてきた。人類の叡智の鳴動はジェットエンジンの排気音。
木々の間からその方角に目をやると、四条の飛行機雲が空を切り裂いて伸びていくのが見えた。
雲の先にいるのは漆黒の戦闘機。
千若が興奮を隠せない声で呟く。
「特生自衛隊……。築城のブラックバイパーです! あれならラドンについていける!」
空自の主力戦闘機F-2を巨大生物迎撃用に改修。高G機動の足枷となるパイロットの代わりに、各種センサーとAIをコクピットへ乗せて無人機化した機体。インテークの左右にハの字に開いたカナード、エンジン末端に推力偏向ノズルを備えた、運動能力向上機だ。
築城のエアベースから遠隔操縦される四機編隊は、向かって左に旋回して三人の視界から消えた。
「熊本市街の方向だ……」
ラドンの脅威はまだ去っていない。
戦況はここからではわからず、いつラドンが戻ってきてもおかしくない。
来た道を急いで戻ると、老夫婦がシェルターへ避難してくるところだった。森里支店長と藤林夫人に付き添われている。
時間が経つにつれて落下物は少なくなってきたが、それぞれ座布団などで頭を守って歩いてくる。
自宅は全壊したものの、警報を聞いたときに急いで掘り炬燵に潜り込んで難を逃れたという。
シェルターに入ると、同じく近所に暮らす年配の女性が避難してきていて、細見と今後を心配する会話をしていた。
藤林夫妻によれば、この時間、谷川地区にいた人物はこれで全員。藤林氏の骨折を除けば全員無事だったのは幸運と言えたが、家族には街に働きに出ている現役世代や、中学校へ登校している孫などもいる。
連絡が取れていない彼らの安否確認と藤林氏の応急手当てがこの場にいる九人の急務となった。
まず負傷した藤林氏だが、病院で医療を受けるまでは添え木などをして患部を固定するのが重要と思われた。
「雑誌か何かが使えるはずです」と言い出したのは千若だ。足に添わせて筒のように丸めると簡易的なギプスのように使えるという。
ちょうどいい雑誌を飛倉が持っていた。黄色い表紙の復興旅行ガイドブック。
シェルター内にあった手頃なクッションの中綿で、ふくらはぎからアキレス腱にかけての隙間を埋めるようしてから、ガイドブックを当ててテープで固定した。
「ありがとう。命があっただけ儲けもんと思わんばね」
「痛いでしょうけど、これでいくらかマシなはずです。助けが来るまで頑張りましょう。やっぱり雑誌はデジタルより紙で読むのに限りますね! ……編集長、どうかしました?」
飛倉の頭をよぎっていたのは高速バスで出会ったあの母子のことだ。熊本のどこかにいるはずの彼女たちも、今、まさにラドンの脅威に晒されているかも知れない。
だがここであの一家を心配してもどうすることもできないのだ。
とにかく、今は藤林氏を病院へ連れて行くことと、通信手段の確保が喫緊の課題だった。
この場で唯一の情報源のラジオによると、ラドンは天草から長崎を飛び越え、現在、東シナ海上空で自衛隊の無人戦闘機と交戦中。
この猶予を利用して、助けを呼ぶために通信が回復するところを探さなければならない。谷川地区から外へ続く、車が通れる唯一の道(取材班が通ってきた道だ)を進んだ一同は落胆した。
太陽光発電施設があった斜面の一部が土砂崩れを起こし通行不能になっている。それに加え、藤林氏が誘致したという通信基地局の設備も壊滅していたのだ。
この状況で次は何をすべきか? 話し合う暇は無かった。
誰かが持ち出してきていたラジオから「ラドン、阿蘇方面に進路変更」との報がもたらされたため、今度はシェルターへ戻ろうと歩を速める。
歩きながら、誰ともなしに阿蘇山の方向を振り返る。見えるのは阿蘇の稜線に切り取られた空。
その空に、まず飛行機雲が見え、それを追う太古の巨翼が見えた。
「あれがラドンか……」
全員が避難を忘れてそれを眺めた。
方角からして、阿蘇山を挟んで反対側の外輪山上空を飛んでいるにもかかわらず、その大きさはまるで頭上のトンビくらいに見える。
千若はカメラバッグから望遠ズームレンズを取り出し、首から掛けていた一眼レフの標準レンズと交換する。飛倉もミラーレス一眼を手に取った。
目一杯ズームしたふたつのレンズは全く同じ方向を追いかける。シャッター音が重なる。
ラドンに追尾されているブラックバイパーは一機で、ほかにいたはずの三機はどこにも見当たらない。残る一機はなんとかラドンを振り切ろうと右へ左へ急激な機動を繰り返す。有人機ならパイロットはとうにブラックアウトしているであろう飛び方。だが、ラドンの運動能力は常にそれを凌駕した。操縦者の先手を読み、常に機体の後方斜め上に先回りしているように見える。
太陽は既に傾き始めて久しい。夕暮れが迫り光量が落ちてきた空を背景に、ファインダーへ老獪な影を捉え続ける。
絞りは開放、ISO感度も誌面で使えるギリギリまで上げているが、ブレずに撮れているか千若は自信がなかった。
「シャッタースピードが追いつかない……! サンマガ(雑誌第三部)のヨンニッパ借りてくればよかった!」
「バードウォッチングする予定はなかったんだ。撮り続けろ」
撮った写真をディスプレイで確認する暇はない。数多く撮ったなかに使える写真が混ざるのを期待して、ふたりはシャッターを切り続ける。
にわかにラドンの飛び方がキレを増す。それまでブラックバイパーを追い立てながらもどこか優雅ささえ感じさせる曲線的な軌跡を描いていたものが、鋭角な方向転換が目立つようになった。
そして——。
ファインダーが切り取る空が、一瞬、オレンジ色の光に包まれ、その一角が黒煙で覆われた。
最後のブラックバイパーは、弄んでいたオモチャに飽きた子供がそうするように、または味わうのが億劫になった飴玉を噛み潰すように、ラドンによって撃墜された。
悠々と阿蘇山へ飛び去るラドンと、炎を上げて外輪山に落ちてゆく無人機の残骸とが、ひとつの画角に収まらなくなって、千若がカメラを構えるのをやめたころ、その爆発音が遅れて聞こえてきた。
次の話につづく↓
※この物語はフィクションです。登場する人物・企業・出来事は、実在する如何なるものとも無関係です。
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特撮怪獣映画『ゴジラ』(1954)でヒットを飛ばした東宝が、1956年に公開した『空の大怪獣ラドン』。いいですよね『空の大怪獣ラドン』。2年後、2026年には70周年です。
先日、調布シネマフェスティバルの『空の大怪獣ラドン<4Kデジタルリマスター版>』上映イベントに行ってきたのでレポも書きました。
★この小説は、本作のファンサークル「ラドン温泉」が2022年冬のコミックマーケットC101で頒布した合同誌に収録されたものです。ラドン70周年を盛り上げるべく、修正して公開します。
元ネタは友人のキミコさんによる短編の世界観です↓
元ネタ(聖典)↓