ROCK READING『幸福王子』感想
王子様みたいだからあなたを好きになったのか、あなたが好きだから私にはあなたが王子様に見えるのか。たぶんどちらも本当で、そしてどちらも間違っている。
2020年の日本で、今、生きている人の格好よさを「王子様みたい」だって思ってしまう自分の感性をとても恥ずかしく思っていたから、それを自分の胸の内から取り出して彼らを言祝いだり、他人に見せたりするのは何となく控えていた。
幸福王子を演じる本髙克樹さんを眺めながら思ったのは、かつての王子たちを装飾していた高貴な家柄や支配する性としての特権、まして白馬や剣は現代にあってはもはや意味を持たず、たったひとつ「この手で世界を変えてやる」という野心、祈り、目的こそが現代に生きる彼らを「王子様」にするんじゃないかということだった。
演技の巧拙とは遠く離れたところにある、良い俳優の条件について考える。今ここで断言できる答えは見つからないけれど、「周囲を巻き込む」という要素は確かにそこに含まれるだろうと思う。
原作が古い童話であること、そこに資本主義や競争原理の考えを組み込んで(あるいは抽出して)いること。その他にも、『幸福王子』はともすれば観客が物語から距離を置いてしまう可能性を幾つも持った作品だ。実際そういう風に観る観客の存在を意識して作られたんじゃないかと思うシーンもいくつかあった。これは脚本演出の方針への批判ではなく、むしろ今日の商業演劇においてマストな企業努力として評価できる。私自身が実はそこまで物語に興味が無いタチの人間なので、そういう人の存在をきちんと拾い上げる姿勢には好感を持った。
それでも本髙克樹さんは執拗に私たちを物語の内側に引き摺り込もうとする。わけのわからない不思議な力で引き込まれてしまうとか、そんな甘くて薄ら心地良いものじゃなくて、例えば「善」とか「幸福」とか、改まった、劇場の外で聞こえてきたら少し距離を取りたいような台詞。それらを単なるフィクションとか夢物語に落ち着けない為に、汗をかいたり口角泡を飛ばしながらこちらに突進してくるみたいな、強い物語性を持ったフィジカル。そうやって観客を物語の中に拐っていってしまう人を、「王子様」以外何とお呼びすれば良いのでしょう。だから「白馬に乗ってお姫様を拐ってゆく」みたいな既存の王子様像もあながち間違いではなくて、太古、童話の中で王子たちの手を借りなければ物語の俎上に載れなかった彼女たちと、彼らによって沢山の夢を与えられているファンが名前を同じくしていることも、今となってはかなりしっくりきてしまう。
外国にも、宇宙にも、過去にも未来にも行けるから劇場が好きだ。フィクションは“ありえたかもしれない可能性”のことだから好きだ。本当よりも信じられる嘘をついてくれるからステージに立つ人が好きだ。これからも心の中では王子様って呼んでしまうと思います。
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