大人って、なに?

らんまらんまで日が暮れる日々を過ごしているアシベです。
今日から成人になった新成人の皆さんは、おめでとうございます🎉

今回のテーマは成人の日にちなんで、成人の概念について考えていきたいと思います。

本題に入る前にまずは定義の確認から。
成人とは、

① 心身発達して一人前になった人。成年に達した人間。おとな。現代日本では、一般的に満18歳以上の者をいう。
② 子供成長して大人になること。

goo辞書

①は現行の民法が定める「成人」の年齢に達し、法律行為(契約)ができる権利を得た者。つまり、未成年→成年という種族への変化とも。
②は字義通りの解釈で問題ないですね。

いずれも成長や変化という点では共通していることが分かります。
その類語である「大人」も同様のニュアンスです。
しかし、子供→大人になるってどういうこと?という方もいると思うので、ここからは「大人」の概念について自論も交えて述べていきたいと思います。


年齢によってピークに達する能力がある

一般的に若い頃は頭が良く働き、歳を重ねるにつれて衰えていくと言われていますが、実際は年齢が上がるほど強くなる能力があります。
言語能力をはじめとする結晶性知能は経験や学習とともに年々向上する性質があり、高齢になっても保持されます。一方で、流動性知能や処理速度は若いほどピークに達し、認知や思考が柔軟で新しい環境へ適応したり、未知の概念を習得するには有利です。したがって、若いうちに全ての能力がピークに達するわけではありません。


20歳過ぎても思春期は続く

思春期といえば、良くも悪くも誰もが経験する道であり、以前は18歳頃までと考えられていました。2018年のオーストラリアのメルボルンの王立小児病院の研究により、思春期は10歳~24歳まで続くという考え方に見直されています。
かくいう私も成人したての頃は今と比べて思考も判断も未熟でまだまだ子供でしたし、友人や周りの人達も含め20歳ですぐ大人になったような人はいませんでした。皆さんの思春期時代も同じ/似たような状況だったのではないでしょうか?
20代前半までは思春期の延長線上みたいなものだと思っても良いでしょう。


成人の多くは従順を超えた道徳的信念に達しない

簡単に言うと、道徳的に「正しい」とされることを守るレベルまでに留まる成人の方が多数派であるということですね。詳細は以下の通り。

自己中心的服従(小学生に広く見られる)
Ⅰ 善し悪しは罰を受けるか否かにより判断される。規則に従うのは、権力のある人からそうするように言われ、罰を受けたくないため。
Ⅱ 他者に何かをしてあげるのは、その見返りが期待できるため。何らかの見返りを受けようとして、自分の利益となる行動をとる。公平性、互恵性、平等な分け合いは、それ自体の尊さゆえに価値あるものと捉えるのではなく、自分が人から同じだけの見返りを得られるため。

慣習の順奉(社会に広く見られる)
Ⅲ 善い行いとは、家族、グループ、社会において他者を喜ばせることを指す。何であれ多数派がよしとすることは道徳的に正しい。人に受け入れられるために善いことをする。従順が高く評価される。
Ⅳ 慣習が確固たる「正しい」決まりや義務となって個人に定着する。社会的秩序、グループの権威、法律、社会のルールを維持すること、それに従うことは自分自身のために重要だ。

従順を超えた道徳的信念(成人の多くはここに達しない)
Ⅴ 道徳的価値は権威や特定の集団の主張を超えて生じる主義・信念となる。すべての人に公平な原理、ルール、方法に関心が向く。個人の責任と良心、他者の幸福、個人の権利の保守に非常に重きをおき、そのコンセンサスを探し求める
Ⅵ 全人類の幸福、普遍的な倫理、深遠な道徳性に関心が向く。慣習的な道徳的判断を超越し、一貫性と包括性を重視しながら公正、互恵性、平等、尊重の完全な原理を探し求める。

わが子がギフティッドかもしれないと思ったら: 問題解決と飛躍のための実践的ガイド p362

今回のテーマで私が最も伝えたいのが引用箇所の道徳的信念です。
私の考える「大人」というのは、成人年齢に達し法律行為ができる権利を得ることでも思春期を終えることでもありません。
なぜなら、成人している者であっても、エゴイストな人、責任感のない人、社会人でありながら未だに中高生のようなノリで生きている人など、大人げない人が普通にいるからです。国民の生活より利権ファーストの政治家、「むしゃくしゃしてやった」とか身勝手な動機で殺人や暴行事件を犯した者、中高年でありながら幼気な青少年少女に手を出す輩なんて一目瞭然ですよね。

逆に子どもなのに、大人かよって思うくらい高度な頭脳や道徳的信念を持つ人がいるのもまた事実です。その最たる例が、2000年公開のアメリカ映画『ペイ・フォワード』の主人公である11歳の少年トレバー君です。
劇中では直接言及されていませんが、実はこの少年はギフテッドです。社会科の授業中に担任の先生から「もし君たちが世界を変えたいと思ったら、何をする?」と問いかけられ、彼は ”ペイ・フォワード” を思いつきました。それは恩返しではなく、周りにいる別の人へ恩を送ること。トレバー君が学校から下校しているときに、道中で出会ったホームレス男性を自らの意思で自宅に入れさせて、助けるシーンがあります。
一般的な小学生はおろか、成人している者でもホームレスを見かけたら、見て見ぬふりをして通り過ぎるところを、彼のように自ら善意で助けたのは素晴らしいことです。いくら心に余裕がある人でもそう簡単にできることではありません。トレバー君の道徳レベルは上記の引用箇所でいうⅥに該当すると思われます。
ギフテッドの子どもたちは実年齢に比して精神年齢が高い傾向がありますが、皆がトレバー君のような思考回路や高い道徳心を持っているわけではありません。20代になってから漸く思春期に入った人もおり、当然個人差があります。

すなわち、「大人」というのは、学校の先生や職場の上司に対して従順であることや慣習を超越した高次な道徳的信念に辿り着くことであり、トレバー君の如くPay it forwardすることであると私は思います。言い換えれば、ノブレス・オブリージュありきの話でもあります。
そういう立派な大人になるためには、流動性知能が生きる若いうちに様々な経験や学習を積み重ねて結晶性知能を熟成させ、後輩や次世代の人達に「恩送り」するつもりで優しく丁寧に教え、可能な限り良い影響を与えていくことです。自ら先生や師匠となり、弟子を持ったら責任を持って育てていくという解釈でも構いません。
現に私もこれを強く意識しており、次世代の人達に読んで良かったと思ってもらえるような良い記事を書きながら、16人いる弟子たちの面倒を見つつ、VUCA時代を生き抜けるように教育・指導もしています。


最後まで読んで下さり、ありがとうございました。m(_ _)m


いいなと思ったら応援しよう!