幸せな技術
パワー(圧力)では何も解決しないし、何も生まないって話をついこないだnoteで書いたのだが、それでちょっと思い出したことがある。
知り合いにADHDの女の子がいて、それを職場では隠して働いている。中小企業の、服かなんかの卸の業者の経理事務で雇われているのだが、ADHDの方ならあるあるなんだと思うが、この子はお札が数えられない。
1枚ずつ数えていっても、絶対に数え間違えていて、最後には数が合わない。毎日泣きながら、例えば、10枚ずつにしてみるとか、工夫しているらしいんだけど、やっぱり間違えてしまうらしい。
この他にも単純なミスが多くて、毎日、上司や先輩に怒られて、「なんでこんなこともできないのか」と怒られて、毎日、泣いていた。
ADHDだと隠して働いていることに、私はなんとも意見ができない。この子は、両親からそのことを隠されていて、自分で明らかに自分はおかしいと思って、自分で検査にいって、軽度障害の手帳?をもらって、それで号泣したそうだ。ああ、どうしようもないんだって。
両親に問い詰めたら、「それはあんたの個性だから」と言われたらしいんだけど、私からしたら、優しさだなと思ったのだが、この子にしてみたら、早くから知ってれば納得できたって言っていた。
職場では怒られる毎日。パワー(圧力)では解決しない。怒っても解決しないということに、周囲は気づけないのだろうかと思ったことがある。
これは別に、この子に限ったことではなくて、サラリーマン時代にはよく見た光景で、毎回毎回、同じ怒り方したって、何も解決しない。ものすごく不毛な時間を過ごしていると感じていて、上司も柵の中で大変なのは分かるが、サラリーマンは不毛だなと思って辞めたという一因もある。
最近、まったく関係ない別の知人から、こう言われたことがある。
「あんたのアプリとか作れる技術って、誰かの期待に応えられるってことだから、幸せな技術よね」
恥ずかしながら、私はこう考えたことが一度もなかった。実は、ADHDの女の子とは、もう何年も連絡を取っていない。一年で上記の職場を辞めてしまって、そのときに過労に近い形で倒れてしまって、入院して、連絡が取れなくなって、それっきりだ。
巷にはお金を数えるのを支援するアプリが存在する。単に、お金の絵(イラスト)が描いてあって、それをタッチするだけで、お金の合計を加算・減算してくれる。
子供向けのアプリかと思ったら、それは大人向けのアプリで、レビューでも助かる、こういうのほしかった、と絶賛されていた。たぶん、女の子もこんなアプリがあれば、少しは助かったのかもしれない。
自分はそのときには既にアプリ屋だったのだが、そんな発想はなかった。今、うちでアプリをかなり出しているが、「自分史年表」も「CountizePad」も、元々は自分がほしいという動機で作っていて、今は大衆のニーズにより応えられるように、少しでも収益を上げてその循環にしようという観点で対応している。
「幸せな技術」だと言われるような、誰かを助けるために始めたものは、今までにひとつもなかった。金がなきゃ生活できないから仕方がないと思いたいけど、「誰かの期待に応えられる」っていうのは、確かに、すごいことなのかもしれない。
ITはブラックなのは確かで、システム屋・アプリ屋はみんな心がどんどん荒んでいく。昨日も、夜中の25時に助けてくれとクライアントから電話が何度もあって、今からどうにか対応してくれ助けてくれと言われた。みんな、どんどん切羽詰まって余裕がなくなっていく。
誰かの期待に応えられる技術、幸せな技術、まず、プログラマーやシステムエンジニア自身が、幸せになれてないことが、おかしいんだと思う。
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