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どんな偉業や成果もいつか忘れられる

今あなたが頑張ってることも、いつか忘れられます。

あなたは河村瑞賢という人物を知っているでしょうか?
江戸時代に生きた三重県出身の豪商です。1655年に江戸で起こった明歴の大火から、街を復興させるのに多大なる貢献をした人物です。

しかし、この人物を知っている人は、日本に何人いるのでしょうか?
大半の人が知らないのではないでしょうか?

ここまでの偉業を成し遂げても、歴史においては教科書にものらず、マニアックな位置付けになっているかと思います。
※彼の出身地の三重県では銅像が立ってます。

この例と同じように、仕事でもなんでも、その時はエースと言われながら活躍していたけど、数年後にはエースが入れ替わり、過去のエースが誰だったかを知る人はいなくなります。

大半の出来事は、これらに吸収されていきます。
・誰かに吸収される成果
・忘れられる成果

例えば空海は、満濃池を作ったといわれていますが、本当のところは空海がつくったわけではなく、空海は中心人物であっただけでしょう。
満濃池を作る過程で、様々な成果や偉業があったはずです。

しかし結果として残るのは、空海の成果だけでした。

また、「縄文土器を作った人」を答えられる人はこの世にいないでしょう。これは、エジソンの電球並に画期的な発明だったのではないかと思います。しかし当時発明した人には名前もなかったでしょうし、記録手段も限りなく少なかったでしょうから、誰が作ったを知る人はいません。

更に物や情報に溢れている現代では、より具体的な差別化しかできないため、余計に成果を出しにくい世の中になっています。
具体的な差別化はニッチなので、より多くの人の記憶には残りません。その分忘れられるスピードも早いでしょう。

つまり、時代が進むにつれ成果を出しにくい構造になっていることがわかります。

このように、大きな偉業を成し遂げたり、成果を出したとしても、結局ほとんどの人から忘れられるなら、成果に急ぐよりも自分軸で生活する方ががいいと思いませんか?

自分の快適を追求し、その過程で出てきた成果がどこかで発生したら、より豊かな人生になりそうですね。

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