坂本沙季15.私たちは10月になった
金木犀の香りがすると、高校の正門入ったところにあった大きな金木犀の木を思い出す。
あとは、実家の近くの道に沿って植えられていたやつ。
秋のほんの1週間とかしか咲かなくて、香りがするときにしかその木を金木犀だと意識しない。
楽しそうにしている場面が一つあるだけで、その外にあるものがなかったことみたいにされる。外側を意識しない。
良い人だったのにとか、普通の人だったのにとか、そういう言葉が聞こえるとそういうことを考えるようになった。
たぶん、咲いてるときにしか気付かれないようなことをすごく寂しく考えているんだと思う。
オンラインになって、直接会ったこともない人と話をしている。たとえば、とある講義を聞いて、この先生の考え方を良いなと思う。でも、その人に会ったこともないのに、好感を抱くのが怖いと思った。けれど、実はそんなことはコロナになる前からテレビの中の会ったこともないひとに思ったりしていて、もしかしてすごく普通か、すごく怖いことをし続けているのかもしれないと思った。
それも、その人のそのときのその面しか意識していない。金木犀の秋のとき以外の、木の部分を知らないようなことなのかもしれない。どんな木か知らないのに香りだけ知ってる。
曇っている日のほうが匂いがこもるから、金木犀の香りがたくさんするらしい。私たちは10月になった
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