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坂本沙季⑦まるいと言われてきた世界

まるい世界の話をされてきた。

この"まるい"というのは、平和的な意味を含み、みんな助け合うべきだ、みんな支え合うべきだ、というようなことだと考えている。

小学生のころ、夏休みはたくさんの宿題が出ていた。私は大抵、最初のやる気で得意なことだけをやり、それ以外を最後の一週間くらいでやっていた。特に大変だったのは自由研究だった。
好きなことはたくさんあった。
けれど、作りたいものはいつも何もなかった。

夏休み明けにクラスに入るとみんなそれぞれのきらきらしたモノを持ってきて、すごいなあと思っていた。みんな何かを作っている。作るという行為に及ぶまでに至るような、作りたいものが私にはなかった。

毎夏、うだうだと悩み、最後には両親を巻き込んで、どうにか提出できるようなものを作った。

作ったといってもモノというのではなく、調べてまとめて書いたレポートのような形のものが多かった。わたしはこれは夏休みの自由研究としてみんなが持ってくるきらきらしたモノたちとは少し違う気がしていた。

自由研究は教室の後ろにあるランドセルをしまうロッカーの上に並べられ、数日経つと私のは紙だったため、いつも誰かの作品の下になっていた。
それを嫌だとかは思わなかった。仕方ないと思った。募金について調べたレポートなんて誰も興味ないし、電車について調べたってこれはみんなのようなきらきらを持っていない。
けれど、私のそれは私だけの作品ではなかった。几帳面な父が薄く線を引いて、写真の貼る位置を考えてくれたり、書く文章を一緒に考えてくれていた。そのきちんとした様が少し大人っぽくて誇らしかった。だから、私は誰も見てないところで上に乗せられた作品を退かし続けていた。

ここにはちいさなまるいがあった。

荒波を立てない、嫌な気持ちになろうとしない、誰も敵にしない、気付かれない、気づかないようにする、言わない

わたしはこれを重力のように習得しようとした。在ることへの必然性と、それが在るからできることがあること、不自由を減らせることを考えた。

でも、全然習得できないことだった。

生きていると嫌な気持ちにはなる。荒波を立てないつもりが言葉の選択を誤り、怒らせた。何かの努力をすると敵は生まれた。気づいてないふりをしてやり過ごすと、後から大きくなって帰ってきた。

こっちにもまるいがあったと気づいた。

不自由さを減らすためのまるいは、私が何かを乗り越えていくときに必要だった。今も必要なときはたくさんある。でも、そのまるいは誰かと生きていくうえで必要なまるいであって、世界で生きていくうえでのまるいではない。どちらも必要な感情や工程で、社会をよくしていくにはどちらのまるいも共存させなければならないのかもしれない。

まるい世界の話をされてきた。世界平和について。人と人の支え合いについて。

穏やかな生活のなかにまるくないものはたくさんあって、それを排除しなければならない。夏になるたびに私たちは再確認していく。

世界はまるくないことで溢れている。
時折、絶望する。

嫌な気持ちにならないままで、退かし続けていた友達の自由研究はもう捨てられているかもしれない。私のは薄い紙だから今も場所を取らず、部屋のなかにある。私の行っていたまるい行為はそのとき信用していたまるいにすぎず、今となってはその正しさはわからない。ただ部屋に残っている自由研究は今となってはきらきらして見える。

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