坂本沙季④親知らずの話
親知らずを4本抜いた。
親の知らない親知らず。
どんなものにも役割があると考えているけれど、親知らずは歯として機能していなくて、ただ口の中を窮屈にして、顎関節症にして、痛くして、生活の邪魔をしているだけ。親知らずは役割がない??
奥歯みたいな顔して生えていた親知らずに気づいたのは、去年のことで、顎が開きにくくなり、これはまずいと思ってから歯医者に行った。親知らずが生えているのを知ったのはこのときだった。顎関節症になっていた。早く歯医者に行っておけばよかったと後悔した。
上の2本は地元の歯医者さんで抜けるけれど、下の2本は歯茎の中にあるらしく神経を触るといけないからと大学病院を紹介された。促されるがまま、上の歯も大学病院でまとめて抜くことになり、紹介状を書いてもらった。煩わしいことになったと思った。自分のことを自分で治せない。
ちょっとして、紹介された大学病院に行き、見えない歯が神経に当たっていないか調べるためにCTを撮る。右と左をいっぺんに抜いてしまうと食事ができなくなるからと、間にひと月あけて、片方ずつ抜くことになった。入院したら、全部一緒に抜けるよと言われた。絶対に入院はいやだ。施術内容を聞いて、3月と4月に予約を入れた。歯医者は昔から好きでも嫌いでもない。このときは腫れたら嫌だなくらいのことしか思わなかった。
大学病院の歯医者は街の歯医者とは違って、少しの緊張感と忙しなさが入り混じっている。昔、少しだけ来ていたときとは全然違う印象を持った。受付で待っているときに、4歳の女の子が転んで口の中を傷つけてしまったから今から来ますと言う声が聞こえた。もう帰ろうとしていたときだった。
予約してから少しして電話が来た。コロナで受け入れができなくなったから別の日程にしなきゃならないという連絡。別の日程で予約を入れてもらったのは6月と7月だった。
この電話がかかってきたときは、そうだよなと思った。病気とはほとんど無縁で過ごしてきて、たまたま大学病院に行かなければならないというときというタイミング。地元の病院だったため、6月と7月は一人暮らしの家から病院に行くために戻ってこなければならないことなった。オンラインで授業を受けているなら、一人暮らしの必要もないということも気付いている。いろんな言い訳を考えて、一人暮らしを続けた。
6月、また少しずつ感染が広まりつつあるのがいろんなニュースから感じ取れて、またできなくなってしまうんじゃないかと思っていた。
けれど、それを伝える電話は来る様子はなく無事に右側から親知らずを抜いた。女性の歯医者さんで、こんなにおっきい奥歯が生えてたよ!と笑われた。あんまり痛くなくて、呆気にとられた。術後の説明と1週間後に抜糸に来てくださいというのを言われた。このとき、1週間まだ実家に残らなきゃならないことを知る。心配していた腫れもなく、実家で美味しいご飯にありついて、抜糸をし、一人暮らしの家へ帰った。
7月、前とほとんど同じ。今回は左側、男性の歯医者さんだった。あんまり良いことが続いていなくて、落ち着いていなかったせいか、とても不安になっていた。同じ病院のはずなのに、前よりも緊張感を感じる。同じことをしているはずなのに、なぜかとても痛かった。
帰り、院内のゆったりとしたエスカレーターに乗って、廊下をたくさん歩いて、いろんな人を目にする。お見舞いに行ったときがあったのを思い出した。
家に帰るとおたふくみたいに腫れていた。自分の顔を何度見ても、滑稽で笑ってしまう。何もかもやる気を無くす。
普段は抱えない過度な不安を持っていたから痛く感じたのかもしれない。そういえば、食べ物などよりも、忙しいほうがニキビができやすかったり、考えていることがあると一睡もできないことが多い。
実は自分の身体が、すごくメンタルと結びついていることに気づいた。
親知らずはもうなくなった。
結局、親知らずの役割はわからないままだった。こうやって、書くことができたくらい。
ただの親知らずにこんなに長い時間向き合うとは思いもよらなかった。
顎関節症も治らない。顔が小さくなるわけでもない。親知らずの役割はどこ?
鏡を見ると、自分の顔に笑ってしまう。母が毎朝、笑いながらわたしの顔の写真を撮ってくる。しばらく画面オフで授業を受けたい。
一生、この顔のままだったらどうしようという不安だけが残っている。
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