石川朝27.「なんにもなってあげられないけどどこにでもいくよ」
「花は窓」の稽古から小屋入りそして本番が終わるまでずっと、隙を見つけては終始ふざけたりボケたりしていたのですけど
なにをそんなに自分はこんなにハイテンションで
とか思ってたけど
人を楽しませてあげている自分、っていう感覚は無くて、いやなんか知ってんなこの感じってずっと思ってたんだけど
よく考えたら物心ついた時からふざけることに命かけてたことに気づいたのであり。
サーカスというものを初めて見た日
家に帰るなりズボンを脱ぎ捨てパンツをお尻に食い込ませて「みて!これがサーカスよ!」と踊り狂ったり
引っ越しで小学校を転校する前日、
わたしの為のお別れ会なのに何故かひとりで「交通事故」というタイトルでひとり芝居をし
口に真っ赤なマッキーを塗りたくり(血のつもり)(交通事故なのに口から血が出ることをツッコんで欲しかった)油性マッキーが取れぬまま次の日新しい学校に行ったりしたことやらを思い出して
多分その色んな意味不明な行動の中にきっと自分の中での「最高におもろい」があってそれを人に見て欲しくてやるっていうのと
もっといける、もっといける、っていうどこまでもいける気がする感覚と
人が笑う声がとにかくすきだっていう
3つがあんのよね
でもねそれが綺麗に35パー35パー35パー
だということに気づいたわけ
(足し算あってる?合ってないね)
だから誰も笑わなくてもやることに自分の中で結構おっきい意味があるんだけど人が笑う声が好きだから聞きたいし、どこまでも一緒に行ってしまえる空間を共有したい
でもそことわりと近いところになんで人前で演劇をやりたいかがあると思ったのだよ
すごいとか立派に思われたいわけじゃなくて
とにかく感情を動かしてほしいし
自分も結局エネルギー使わせてくれて色んな感情を動かしてくれるものや人が好きなんだと思う。体力だけはありあまってます
そしてわたしの夏はいつも
梅雨明けと共に情緒不安定でスタートするのでした。なんか家で突然泣いたりとか、してる
でも夏が好きなんだよね
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