いい日になれ

せかいのみなさま こんにちは。どうも、わたしです。

なんだったかな、昔読んだジャッキー・チェンのインタビューかなにかで、ブルース・リーについて話していて。
「彼が高く蹴るから、僕は低く蹴ることにした(うろ覚えの超意訳)」って。要するにブルース・リーがバチバチに硬派なカンフーアクションをやるからこそ、ジャッキーはコミカルな要素を入れて独自路線を行った的な話だったはず。
※私の脳がねつ造した記憶だったらごめんなさい


非常に曖昧な記憶ではあるのだけど、わりとこの言葉は自分の価値観とか考え方に強い影響を及ぼしておりまして。きょうはそんな話。


すげえ歌がうまい友人がいるんですよ。しみじみ、「いいなァ」ってなるんだ。出会ったのは高校生の時で、それまでのわたしもそれなりに「おうたがじょうずね」なんておだてられて育っていたんだけど、もう全然レベルが違って相手にならないほど上手。ピッチが正確なのは言うまでもなく、そもそもとってもいい声なんだ。

で、わたしも彼もギターを弾いてうたったりしていたから、一緒に路上ライブやったりして。ゆずとかやってた。懐かしい。人生初ライブも高校生のときに彼と一緒にでたステージだった気がする。懐かしい。

ただ、一緒に歌うとなるとどうしても劣等感を感じてしまって、「おらぁ一生叶わないわなぁ!」なんて気持ちをもってしまったりもしておったわけです。

そんなときに冒頭のジャッキーのインタビューをたまたまタイミングよくよんで、「そうか、それでいいんだねぇ」ってなったんだなァ。思春期の多感な時期に自分の劣等感に折り合いを付けられたっていう経験は、わたしという人間が出来上がる過程でなかなか有意義な経験だったように思うよ。

そんなこんなでうまいこと乗り越えたわたしは開き直って音楽を続けてゆくことになるのです。わたしにはわたしの良さがきっとあって、わかる人にわかればいいっていうきもちと、「わからせてやるよォ!!!」というきもちをもって。

きょう偶然読んだnoteの記事にも、「どんな自分でも自信を持ってやることってだいじ(超意訳)」って書いてて、あぁタイムリーだなァとおもったよ。


ということで。

その友人も音楽を続けていて、わたしなんかとは全然違うステージで素敵な歌を歌い続けているんだ。よかったら聴いてみてほしいな。




4月になって環境がかわって、ちょっとしんどいなァっていうとき、音楽がなんとかしてくれることもあるよ。騙されたと思って貴重な6分をこの動画に費やしてみてほしい。


なおこのnoteに掲載するとかそういう話は一切していないよ。だって恥ずかしいからね。次に帰ったときには一緒に路上ライブしようねって言ってるんだ。実現するかはわかんないけど、それがとてもたのしみで毎日ギター触ってる。


みんなのあしたがいい日になりますように、いい日になれ。


といったところで。

せかいのみなさま ごきげんよう。そして、ゴッドブレスユー。