見出し画像

共感覚ってこんな感じ

「痛いところって頭の中で赤かったり黄色く見えるよね〜」

とある時、弟に聞いてみたら

「何言ってんの?色なんて見えるわけないじゃん」
と言われた。

私がまだ大学生の時だった。
寝耳に水。周りの人と私に見えている世界はこんなにも違うのかと驚いた。
血を分けた兄弟ですら同じ様に感じない。

弟は当時小学生だったので私と同じものが見えていると思っていた。私に共感覚があるのは幼い頃の感覚が抜けずに残っているからだと推測していからだ。

母や妹も一時期音に色が見えている事があったそうだが、何かの勘違いだと思い無視しているうちに見えなくなったらしい。

私は自分の感情、痛み、感情、音、感覚なんかの色が幼い頃から見えた。
みんなも当たり前に見えているのだと思っていた。 

色と感情は結びついていて、暖色系の時は楽しくて気持ちが明るい時。寒色は暗い気持ちの時が多い。自分の感情にも色や形が見える。

私が見えているものを例えるなら、頭の中全てが温度に反応するサーモグラフィーみたいで音や感情や感覚なんかに反応して形や色が見えるような感じ。背景はいつも黒くて何かしら感覚を感知するとサーモグラフィーが熱を感知するみたいに色や形を伴って頭の中に出現する。

脳内で見える色には様々な形がある。自分の感情も見えるのでこの色でこの形ということは自分はこう感じているんだなと思う。ここでは考えていることや体の感覚なんかも見える。

色が見えて綺麗だなと思うのは人の歌声。
声が綺麗に伸びて音楽と合わさってその人の色を世界観を作り出す。音楽の才能がある方はすごいなと思う。

小説や文章を読んだ時にも色は見える。色が見えるのは大抵読んでいて興味深い文章や小説だ。稀に小説から色だけではなく、とても濃厚な味を感じることがある。味といっても舌で感じるわけではなくて、蜜を舐めているような感覚になるだけ。何回読んでも感動が薄れない文章を書ける方も本当に尊敬する。

色や形が見えて不便なこともある。普段行かない場所へ行くとその場の音や人の話し声、場の雰囲気、緊張それらの色が脳内でゴチャゴチャに混ざり合い、視覚からも入ってくる情報で頭の中は真っ暗になる。結果、何も考えられなくなってしまう。

だから、大きな音も苦手だ。頭の中がその色で埋め尽くされてしまうからその瞬間何も考えられなくなる。特に金属製の物が落ちた時の音は白い皿が割れてしまった様な感覚がするし耳が痛くなる。

聞こてくる音の色や形が頭の中で見えるのも、痛みなどの感覚が見えるのも厄介だと思う。
痛い場所がある場合にはその色と形が痛みがなくなるまで脳内に出続ける。体関係の色は大抵暖色で赤や黄色なんかが多い。ただし寒さを感じた時には冷たい部分が頭の中で白く見える。

何故私には色が見えるのだろう。見えなければよかったのに。そんなふうに思うこともあった。今ではだいぶ受け入れられる様になり、うまく付き合える様になった。
レシチンっていうサプリを飲むようになったら、音を聞いて耳が痛いってことは減ったし。

生きていくってこういうことなのかもしれない。
新しい何かと出会ったり、発見したりして、否定したり受け入れたりしながら乗り越えていく。
何を受け入れて、何を否定したかによって自分という人間が形成されるのだと思う。

何事にも興味を持って、面白がれる様な自分であれたらいいな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?