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古代の遺産、兵馬俑へ


兵馬俑一号坑

秦の始皇帝による兵馬俑

今から2200年前、秦の始皇帝は広大な領土を統一しました。
ちょうど日本は縄文時代の頃で、まだ文字もなく、それがどんな時代だったかについては、わずかな古代の遺産から推測するしかない時代です。

そんなことを考えながら、実際の兵馬俑を目の当たりにすると、その圧倒的なスケールに言葉を失ってしまいます。始皇帝が持っていた、すみずみまで組織化された権力に息を呑みます。

現在発掘されている兵馬俑の数はおよそ8000体。観光客に公開されている1号坑はほんの一部に過ぎず、2号坑や3号坑はまだ調査研究中なため、今後も様々な埋葬品が発見されるはず。

兵士たちのリアルな再現

ずらりと並んだ兵士たちは、当時の人々にとってはただの人形ではありません。
兵馬俑はあの世でも敵と戦うのだと、本気の本気で信じられていました。だから皆東を向いていて、一人一人顔も身長も違う。(中国北部のリアルな人々の身長を反映して、160cmから200cm)。
その中には文官や芸人も混じっていて、始皇帝は生前の生活をそのまま来世に持って行こうとしたのだと考えられています。

粘土兵士たちは殉死制度の代わり


こんな役に立たない大きな粘土人形たちを山ほどつくるなんて…と、最初は皇帝の権力と強烈な執念にぞっとしました。
が、始皇帝以前の時代には、王の死後に側近や妻妾、一個師団まるごと埋められる殉死制度があったのだと知ると、少し見方が変わります。
人の命が犠牲にされる、残酷で恐ろしい習慣。それが人形に置き換わったのだとすると、兵馬俑は文明化の産物であるともいえます。

兵馬俑がなければ、実際に兵馬俑の数と同じか、それに近い数の人々が殉死させられたのでしょうか?
もしかすると、単にあまりにも多くの殉死者が必要になり、損失の大きさから仕方なく人形に置き換えられただけなのかもしれません。
始皇帝以前の春秋戦国時代の王や貴族の墓から、数十人から数百人もの殉死者が確認されているのだそうです。


世界の見方が全然違う、当時の人の目線に立って考えることは難しいけれど、彼らは本気で、兵馬俑たちが死後の世界で動き出すと考えていました。生きている人間の代わりとして、徹底的に実際的な目的のために作るのだから、創作のような兵士ではなく、当時の文化や習俗を反映した、リアルな装飾を身につけているはずです。古代の歴史を知る手がかりとして、これほど重要な遺産はありません。

兵馬俑の制作には、陶工や彫刻師、鋳物師など、数千人もの職人が関わったのではないかと言われています。そんな職人たちは狂気じみた儀式の救い手であり、重要な歴史遺産の製作者。
まさか自分たちの仕事が、2200年後においても人類史上最も価値のあるものになるとは思わなかったことでしょう。

発掘中の兵馬俑


入場料は100元と少々高めですが(他の観光地は10元くらい)、その価値は十分すぎるほどにありました。

2003年

2003年9月13日

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asha
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