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六根清浄大祓詞 深いなぁ
なんて思っているAshaです。
波動が下がったなぁと感じたら、取り敢えず
『六根清浄…六根清浄…』と呟きながら
仕事の軽作業をしていたり。
このゴールデンウイークで、久しぶりに2日ほぼベッドの上で過ごすなど自堕落の限りを尽くして、その1日の睡眠も累計20時間近くなるような寝て起きて寝るという生活…
すっごく気持ちよかった……
でも心はプライベート空間がないのでこれっぽっちも休まりません。寝たい・篭もりたい気持ちで休んでいるのに、夜の隣には旦那。
それがなく一人で寝れる昼間は庭でお義母さんが草むしり、やたら通る車。何もしない嫁子。
ダラ嫁といわれてもしかたありませんが、休日の使い方くらい好きにさせて欲しい私はワガママなのかもしれません。
完全な孤独、他人の気配を感じない環境や時間が欲しいタイプの自分としては、起きてる時間も苦痛なので睡眠に逃げるも、昼間から動いてる周囲の人間とは相見えることが出来ない基本夜型人間です。
やる気が夜に来るのに、夜は寝る時間だからやる気をコントロール出来ず、罪悪感に襲われ次の朝を迎えるというのは中学生時代からかなりストレスなんですが、田舎による仕事がないのも痛いところ。
なんで田舎に行かなきゃならない相手と結婚したのかな私…。好きで選んだ人なんですけど、損得を優先させたい場合、恋はダメだな…と感じさせられます。それでも理解のある旦那なので(前科のこともあり)言われない・言わせない。
こんな雑念が凄いんですけど、そんな時も六根清浄。
目でみて、耳で聞いて
鼻で嗅ぎ、口で言って
身に触れ、意(こころ)で思った不浄は全て
心には触れない。心は気持ちではなく魂の方。
意のこころは感情や気持ちや所謂自我のこと(と思う)
肉体を持ってるが故に感じたり
自分の内から湧いてくる不浄なもの
それは全て魂側のものとは違うし
仮に今の自分が感じたり、湧き出てもそちらの領域には持ち込むことはなく、それら全ては写ったものなだけで、本体の魂は綺麗なまま
魂は元々綺麗であり、綺麗であればそもそも穢れない。
みたいな事を書いてある祝詞なんですけど、タイトルには大祓詞とついており、私は手短に六根清浄のみ唱えてます。それって山伏さんとか唱える方法ではあるんですけど…
自分の中には既に神様がいて(内在神)
自分自身が清く穏やかで落ち着いていれば、それは天地の神様と同じもの
天地の神と同じであれば、それは万物の霊魂とも同じもの
全ての魂と同じなんだから、願ったことで叶わないことはないよ
みたいな締の祝詞になってます。
自分の中が綺麗で穏やかなら、外の神様も綺麗で穏やか。心が晴れてたら天気も晴れ、みたいな所からも六根清浄と言われてるのかなぁなんてレベルの低いことも思ったりします。笑
山岳信仰でのお唱えなんで、神様が存在する場を登らせていただくから清くあろうというお心遣いもあるでしょうし、色んな理由があるはず。ちょっと知識的なものが足らなすぎてその辺は分かりません
万物の霊と同体なりってところ。
これってつまりワンネスだよね~とか思っちゃう。
魂の統合を目指すのではなく、もう既に実は魂そのものは別れてても同じ=統合されていて既にワンネスなんだか、今現在ワンネスに向けて~って言ってる方がいたら六根清浄大祓詞をお伝えしてあげて欲しいと思います。
(気持ちをひとつにするのと、魂を同じにするのはまた別の話なんだと捉えてる)
かなり話が脱線してるんですが、この祝詞を何度か唱えてると先程の自堕落な低波動からやっぱり動いてくると言いますか…何か違うんですよね。
でも今回はあまりにだらけ過ぎたのか、エネルギーの違いとか人のものをを感じとれなくなっていまして…( ̄▽ ̄;)
2日にわたりかなり寝たので、気力というエネルギーが充電されてるはずなんですけど何故かなぁ…。
太陽フレアも関係してると面白いですよね。
兎に角、回復に向けて、好きな御山の空気を思い出しながら唱えるばかりです(TT)