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ワイタンギ条約について:歴史的背景、基本理念、そして現代の議論


歴史的背景

ワイタンギ条約(Te Tiriti o Waitangi)は、1840年2月6日にニュージーランド北島のワイタンギで締結されました。この条約は、ニュージーランド先住民であるマオリとイギリス王室の間で交わされたもので、植民地時代のニュージーランドにおける最も重要な合意の一つとされています。
1830年代には、ヨーロッパ人移民の増加に伴い、土地や資源を巡るトラブルが頻発していました。マオリの指導者たちは、こうした混乱を防ぎ、外部勢力と関係を築くために、イギリスの支援を求めました。一方、イギリスは自国民の安全とニュージーランドにおける権益を確保するため、条約を提案しました。この結果、マオリの首長(Rangatira)約40名がワイタンギで条約に署名し、その後ニュージーランド全土で500名以上が署名しました。

条約は二言語で記されましたが、英語版とマオリ語版の内容には大きな違いがありました。英語版では、マオリが主権をイギリスに譲渡することが明記されていますが、マオリ語版では「カワナタンガ」(統治)という言葉が使われ、主権そのものではなく、限定的な統治権の移譲を意味する表現となっています。この曖昧さは後に大きな問題を引き起こしました。

ワイタンギ条約の基本理念

ワイタンギ条約には以下の3つの主要な要素が含まれています

  • 統治権の移譲(Kāwanatanga)
    イギリスにニュージーランドの統治権を認める一方、マオリが自らの社会や文化を維持する権利を守ることを目的としています。

  • 資源と土地の保護(Rangatiratanga)
    マオリが伝統的に所有していた土地や資源を管理する権利を保証しています。また、土地売却に関する公正な取引を約束しました。

  • 平等の約束
    マオリとイギリス移民が平等な権利を持ち、法の下で同等に扱われることを保証しました。

しかし、これらの理念は多くの場合で無視され、土地収奪や不公正な政策が進められました。1877年には、ニュージーランドの裁判所が条約を「法的効力がない」と判断し、さらに問題が深刻化しました。

現在の議論

1975年に設立されたワイタンギ審判所(Waitangi Tribunal)は、条約違反に関する歴史的な訴えを調査し、解決を図るための重要な役割を果たしています。この審判所は、マオリの土地、資源、文化的権利の回復を目指し、多くの和解を達成してきました。

一方、近年の議論では、共同統治(Co-governance)の重要性が注目されています。共同統治とは、マオリと政府が協力して政策や資源管理を行う仕組みです。これにより、マオリの伝統的な権利を尊重しつつ、現代社会の課題に対応することが期待されています。たとえば、2023年にはマオリの主要団体が共同統治の理念を支持し、「全ての人々の福祉を考える新しい民主主義」としてその可能性を評価しています。


今週注目されているのは、11月19日にニュージーランドの議会に到達した「ヒーコイ・モ・テ・ティリティ(Hīkoi mō te Tiriti)」です。この抗議運動は、現在審議中の「条約原則法案(Treaty Principles Bill)」に反対するもので、全国から4万2千人以上が参加しました。この法案は、ワイタンギ条約に関連する条項を見直す内容であり、特にマオリの自治や意思決定への参加を制限する可能性が指摘されています。

ヒーコイの経緯と意義

抗議活動は全国各地から始まり、最終的に首都ウェリントンで集結しました。参加者はマオリの権利やティリティの尊重を訴えつつ、平和的に議会に向かいました。この運動は、1975年の有名な土地行進に触発され、教育や癒し、未来のためのパートナーシップ構築を目的としています。法案の支持者は「平等」を主張しますが、批判者はこれがマオリの声を排除し、植民地主義を助長するものだと反論しています。

現在の議論

法案を起草したACT党のデヴィッド・シーモア氏は、抗議者が誤解しているとしつつも抗議の権利は認めています。一方で、マオリ議員や弁護士グループは、法案が条約の基本的な意味を「書き換える」ものであり、歴史的な不平等を正すどころか悪化させるとしています。また、参加者は議会前でハカを披露し、法案に対する強い反対を表明しました。

今回のヒーコイは、ティリティに基づくパートナーシップと真の平等の実現を求める動きであり、ニュージーランドの将来に向けた重要な議論を呼び起こしています。抗議者のメッセージは、歴史的な不公正を是正し、マオリとパケハ(非マオリ)の共存を築くことを目指しています。

参考文献


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