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第一希望の人生を歩く

という、力強い言葉にあった。

わたしの言葉ではない。

本に書いてあった言葉を、パートナーが教えてくれた。

ガツンとくる。

生きたいようにいきている、ように見られる私も、本当のところはよく分からない。
今日は目に入った高級プリンを迷い、結局コンビニでいくつかおやつを買ってしまった。

なぜわたしたちは第一希望の人生を生きることができない(できていない、と仮定する)のだろう。


仮説。


「人の目を気にする」・・でも気にしながら決断して進んだこともある。


「欲しい選択肢がない、選択肢のつくりかたが分からない」・・これはある。でも実現しなくてもやってみると結構満足する。
相手がヒトの場合は難しいパターン。

「目の前の、大事な人の希望に沿おうとする」・・優しい人ならこれは十二分にある。もちろんそれが幸せ、というタイプの人もいるけど、自分を犠牲にしながらやっているひとはいる。
昨日隣にいたママ友同士は「子供がいると全部譲っちゃうのよね」と言っていた。それは、そんな自分を肯定しているような、いないような言い方だった。


「やりたいことに自信がない、自分に自信がない」・・というパターンもあるだろうな。例えば働かずだらだらして一生過ごしたい、とは言えない、とか。「そんな幸運を自分が引き受けてよいとは思ってない」とか。


「第一希望がまだ見つかってない、あるいはもうやってしまった」・・これもあるだろうな。いつも同じ世界で生きていたら理想は見つからないし、色々自己実現してしまって手持ち無沙汰な人もいる。



うーん、わからないな。

一応集約すると、自分に許可を出す練習と、他人を置いておく練習なのだろうか。
今までやりたいことをやってもどうも許可を出しきれずにいた。
来年は全力で許可出しをしてみよう。

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