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挑戦をつなぐ

ASFANは、アスリートを応援するファンとアスリートがつながるための新しいファンコミュニティです。今回は、現在Wリーグで活躍している女子バスケットボール選手の安間志織さんにインタビューを行いました。


【安間志織選手について】

―まずは簡単に経歴をお伺いできればと思います。
沖縄県北谷町出身で、バスケットを始めたのは小学校のときです。浜川小学校に通っていたんですが、小学校1年生からバスケットを始めました。中学校はその当時、県で1位、2位を争うチームだった北谷中学校に通っていて、3年生のときに初めての全国大会出場、初めての優勝を経験しました。

それから福岡県の中村学園女子高校に声をかけていただいて、沖縄を離れて頑張ってみようと中村学園女子高校へ。高校では1年生のときからスタートとして試合に出ることができて、国体も1年生から3年生までずっと出させてもらっていました。1年生のときにはインターハイと国体とウィンターカップは準優勝を経験できました。3年生のときは国体準優勝くらいですね。

高校卒業後は拓殖大学に行って、大学進学後も1年のときから出させてもらいました。大学ではインターカレッジでベスト8になりました。大学4年の1月からは卒業見込みの選手が入団できるアーリーエントリーという制度でトヨタ自動車アンテロープスに入団しました。

2020年と2021年はトヨタ自動車の歴史の中でも初めてのリーグ戦優勝を経験して、MVPにも選ばれました。東京オリンピックの日本代表候補にも選ばれたんですけど、最終選考で落ちてしまって。

それから、ずっと海外に行きたいという思いがあったので、思い切ってドイツに行きました。ドイツでも優勝を経験して、ファイナルMVPにも選ばれました。そのドイツでの試合を見たイタリアのチームに声をかけていただいて、イタリアでもユーロカップでベスト4に。

【小学校から始めたバスケットボール。その中で乗り越えてきたもの】

―小学校から始めたというバスケットボールですが、長くやっていてやめたいと思ったことは?
正直、何回もありますね。
例えば、高校のときです。部活のルールも厳しかったですし、2年生でいきなりキャプテンを任されることになって、当時の記憶があまりないんです。
母親からは、「そのとき初めて『やめたい』って電話かかってきた」と聞かされました。
私は電話した記憶がないんですけどね。

―どうやってそこから抜け出したのですか?
いつも思っているのは「自分が決めたことだから」です。やめたいと思う時があっても「自分で決めたことだからやり切ろう」と、思っていると思います。

最近だと、トヨタ自動車に入ってからの1、2年目は、しんどい時期はありましたね。少ないプレータイムの中で結果を残さないと次につながらないというプレッシャーもありましたし、そこで人と比べてしまっていました。自分にはこれができないから、もっとああしないと、こうしないと……と思っていましたし、常に100%でいなければいけないと思っていました。

ひとつのことにフォーカスしすぎて、自分ひとりで勝手に落ち込んでしまうこともあったんですけど、当時の通訳やアシスタントコーチとの話の中で「常に100%でいいプレーできる選手はいないんだから」と言われて、そこで考え方が変わりましたね。「ミスしてもいいや。次行こう、次!」という風に考えられるようになって、そこから少しずつ自信がついてきました。

【日本を飛び出して海外での挑戦】

―海外挑戦のきっかけは?
初めて海外を意識したのは、学生時代のユニバーシアードです。あとは、ヘッドコーチがアメリカ人だったこともあって、海外のことを知る機会が多かったのもありますね。オリンピックの1、2年前くらいからは本格的に勉強してみようかと学校に通っていました。

ただ、一番のきっかけになったのはオリンピックの最終メンバーに選ばれなかったことですね。選考に落ちてやる気もなくなっていましたし、ここで環境を一気に変えてみてもいいかなと。「人として成長したい」「違う環境で自分のことを誰も知らない、何にも知らない環境でどれだけ自分ができるんだろう」という思いもありましたし、海外でプレーしている女子バスケ選手がいないので、そこを変えたいなという部分もありました。
 
―オリンピックの選考に落ちてしまったときのことをお伺いしても?
当時はMVPも獲得して、その後で呼ばれたので乗りに乗っている時期でした。合宿の最初はものすごく調子がよくて、このままいけば入れるだろうなと思っていました。

ただ、合宿の中でシステムのようなものが入ってくると怒られることも出てきますし、それでいろいろ考え始めてしまって。私は考えすぎてしまうと良いプレーができないんですよ。考えすぎてしまって、トヨタ自動車での1、2年目のときのように1個ミスしたら「まずい、まずい……」とどんどんパフォーマンスが落ちていきました。最終選考の合宿での最後のほうはもう自分が落ちるとわかっていましたね。

実際に落ちて帰って、1週間くらいは何もしたくない状態でした。普段はオフシーズンになると1週間も休めなかったんですよ。2、3日休んだら体がそわそわしてしまって、何かしらのことをしていたんですけど、そのときは本当に何もしたくなくて。それでもそろそろ頑張って動き出さないとな……と思っているときに話をいただいて、それで海外に。

―海外へ行くにあたって何かテーマや目標のようなものは?
目標としていたのはユーロリーグでプレーすることです。ドイツはかなりレベルが低かったんですが、早い段階でイタリアのチームからも声をかけていただいて、結果的に1年ごとにステップアップはできていたかなと思います。

また、海外に行ってみて思ったのが「自分で行動しないと助けてもらえない」ということです。向こうではジムも限られた時間しか使えないし、トレーニングも体幹ぐらいしかやらない。このままではパフォーマンスも落ちて、怪我をしてしまうので、足りないものや自分のほしいものはとりあえず言ってみるようにしました。この考え方は日本にいたら絶対になかったなと思いますね。

―ドイツリーグからイタリアリーグに行って感じたことは?
選手個人個人が強いということですね。ドイツと違ってみんながプロで、意志が強いんです。自分の結果を求めてる人、勝ちたいと思っている人ばかりでした。あと、自分が点をとりたいという人ばかりだったこともあって、日本でアシストばかりしていた頃の自分に戻ってしまった部分もあります。一歩引いてる感じになってしまって、もっとやればよかったと思っています。でも、ユーロカップでもユーロリーグのチャンスがあればまた行きたいとは思っています。

【海外での挑戦を経て、これから見据えていく未来】

―海外へ行く前には小さい選手でも世界で戦えることを証明したいとおっしゃっていましたが、何か変化はありましたか?
実際に、小さい選手でも世界で戦えると思います。特に沖縄の子どもたちは県外に出るのですらハードルが高いと思っている子が多いので、そういう子たちにも視野を広げてもらいたいですし、海外にチャレンジする子たちが増えてきたらいいなと思っています。

―直近で達成したいことは?
Wリーグの優勝ですね。そこは絶対です。
 
―今も未来も大切にしているだろうなというものは?
人とのつながりです。私、今日ここに来るまでに本当に人に恵まれているんですよ。それは当たり前ではないし、それがないと生きていけないので、大事にしていきたいです。

―将来的なコーチングについてはどのようなとらえ方を?
ドイツでレベルの低さを目の当たりにしたときに、その子たちをコーチしたいと思いました。練習の組み方を考えればもっとうまくなるのにと。ドイツなら私でもアシスタントくらいならできるかなと、当時のヘッドコーチにはそういう話をしたこともあります。
いつかはドイツやイタリアのチームと日本のチームを練習試合で組めるようにしたいです。私が現役中は無理でしょうから、そこはつなぎたいですね。ドイツの子たちは「日本がどういう環境でプレーしているのか知りたい、見たい」とよく言っていました。交換留学のようにお互いの施設を行き来できて、お互いのバスケットを勉強して、言語や文化を知る……そういうのも面白いと思います。
ただ、子どもたちにはまず結果がどうこうではなく、シンプルにバスケットを楽しんでほしいです。楽しいと「もっと上手になりたい」と思いますよね。それが成長できる一番のポイントですし、伸びていくのにも必要です。私自身も、どんなときでも楽しむようにしています!


【最後に、ファンへのメッセージをお願いします。】

ファンの方にはぜひ周りを巻き込んでもらいたいです。とりあえずでも観戦に行くというか……とにかく来てほしいですね。ただ、バスケットをよく知らない人や興味のない人を巻き込むのはなかなか難しいでしょうし、そこは私たちが魅せないといけないなと思っています。それでも、まずは周りに声をかけてくれるだけでも嬉しいです。選手それぞれの魅力をもっともっと知ってもらえたらなと。ファンの方とはコート外で面と向かって話す機会がもっと増えるといいなとも思っています。

【安間志織 ファンクラブサイト】

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