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夜のそらの終わり、陽の昇らない島

 こんばんは。夜のそらです。ブログの書き出しは、いつもこの言葉でした。でも、残念ながらこの記事を書いているのは夜のそらさんではありません。夜のそらは、いなくなりました。そらの向こうに行ってしまったのです。だから、これは夜のそらさんへの追悼文です。よければ、そらの向こうにむかって一緒に追悼してください。

1.おしゃべりだった夜のそら

 生まれてからこれまで、たくさんの人格を使い分けながら生きてきました。自分が世界に産み落とされた事実を知ったその日から、多くの場合は状況に強いられて、たくさんの人格を生み出して、乗り捨てたり、使わないうちに消えてしまったり、してきました。そのなかにはもちろん、男性として生きなければならないと決めて生み出した、そういう人格もいます。
 夜のそらは、わたしが20代の半ばのころに生まれました。はじめはずっと英語圏のネット上のコミュニティにいて、それから日本語のアカウントも作りました。夜のそらは、数ある人格のなかでも、最も死に近いところを生きていて、それでいて、最もおしゃべりでした。人生の全てが行き止まりになった時、夜のそらは、死んでしまった過去のクィアたちの魂の力を借りつつ、ねじれた時間を生み出しながら、命を繋いでくれました。

 でも、もう夜のそらはいなくなりました。消えてしまった、というよりも、わたしが消してしまったからです。性別を変えるという、最後の大きな仕事を果たして、今のわたしとして新しく生きなおさなければならなくなったとき、夜のそらが一人の人格として生きていることは、もうできないことでした。わたしは、生まれて初めて無理やり自分の人格を減らす努力をしました。夜のそらが、二度と自分の心から分かれて出ていかないように、夜のそらをバラバラにして、心のなかに吸収しました。こういうことを意図的にやったのは人生で初めてて、今年の2月頃はかつてないほどメンタルを病んでいましたが、その吸収合併の作業も無事に終わりました。
 夜のそらは、いなくなりました。わたしが消したのです。次に夜のそらがわたしから分かれて出てくるとしたら、そのときわたしは死ぬでしょう。夜のそらはおしゃべりでした。ずっと、自分のことなんて誰も理解できないし、他人のことも理解できないと幼いころから絶望しつつ生きてきて、自分の経験を言葉にすることをわたしは諦めてきました。その点、夜のそらはとてもおしゃべりでした。何人かの方とは、直接会って「オフ会」をしたと聞いています。思いのほか、社交的でもあったのですね。でも、ごめんなさい。夜のそらさんはいなくなりました。わたしが、消したのです。だから、いま追悼文を書いています。

2.トランジションは船旅

 夜のそらが会いに行った人の一人に、あるトランス女性の方がいました。ツイッターで見つけた、とても信頼できる方で、憧れていて、思い切って会いに行ったのです。病気の波が落ち着いていた時期と、コロナの波のはざまがちょうど重なって、奇跡的なタイミングでのオフ会でした。
 そのトランス女性の方は、とても印象深いことを教えてくれました。性別を移行すること、トランジションすることは、小舟に乗って流れて行くようなことだ。そのように言っていました。わたしにはとても意外でした。わたしのようなAジェンダーとは違って、その方はしっかりした女性としてのジェンダー・アイデンティティを持っていて、どちらかと言えば(こういう言い方が適当かどうか分かりませんが)教科書的なトランス女性さんだと、わたしは思っていたからです。自分のなかの女性としてのアイデンティティの核心に導かれるように、まっすぐトランジションをしたに違いない、そのストレートな移行のプロセスのなかで、性別適合手術をしたりしたに違いない、そういう風に思っていたからです。しかし、その女性の口から聞いた移行の経験は、それとは全く違っていました。トランジションは小舟に乗って船旅をすること。そう、おっしゃっていました。
 かつて割り振りを命令されていた性別では生きることができなくなったとき、自分のいるそれぞれの場所から、トランスジェンダーたちは海へ出なければならなくなります。太平洋のような大きな海で分けられた、男、と女、の二つのどちらか一方の大陸から海を出て、トランスジェンダーたちは船旅を始めるのです。その旅は、多くの場合は孤独なもので、立派なクルーズ船とはほど遠い、小さなボートで、私たちは漕ぎ出すことになります。少し沖へ出ると、船底から水が入ってくるのに気づきます。そういうときは、船を修繕しなければならないでしょう。もう少しすると、遠くに陸が見えてきます。頑張ってオールを漕ぐこともあるかもしれません。でも、激しい海流に流されて、大きく押し戻されてしまうこともあるでしょうし、あるいは逆に、ゆるやかな波に運ばれて、思いがけず安全な航路に導かれることもあるかもしれません。
 そうして、波に流されるように、あっちに少し、こっちに少し。船底を修理したり、帆を張りなおしたり、オールを漕いだり、波に任せたり。そうしてボートに乗って船旅をするような時間。それがトランジションだと、そのトランス女性の方はおっしゃっていました。トランジションについてのその説明は、Aジェンダーのわたしにもとてもしっくりくるもので、わたしは思わず感激してしまいました。
 トランジション(性別移行)は、複雑なプロセスです。社会的に生活するうえでの見た目を変化させたり、性ホルモンによって身体つきや声を変化させたり、生きていくうえでの名前を変えたり、戸籍に書かれた性別を書き換えたり、胸をとったり、外性器をとったり、作ったり、そういう複雑なプロセスで、トランジションはできています。もちろん、トランジションをする全てのトランスジェンダーがその全てを経験するわけではありません。当然、それらの一つ一つの作業の全てが思い通りに行くわけではありません。ホルモン治療などが分かりやすいケースですが、望む性別で見なされるようにホルモンをするトランスが多くいる一方で、ホルモンをしたら自分がどんな見た目になるかなんて、ホルモンを始める前には誰も分かりません。でも、ホルモンを始めたら、多くの場合は不可逆的なものなので、それからずっと、その人はホルモンを補い続けなければなりません(そういうケースが多いはずです)。ホルモンが身体に合わない人もいます。注射で始めたけど、身体が拒否反応を示して、少ない量の錠剤で満足しなければならない人もいます。そんなこと、誰も事前に分かりっこないのです。
 周りの人の反応だって、本人にはコントロールできないことです。生活上の装いを変化させるとき、例えば男性から女性に移行するとして、「中性よりの男性」や「女性的な男性」として会社などで許されている状態が、あるとき、限界を迎えることがあります。その限界点で、性の越境を試みている人を前にしたとき、周りの人の反応は二種類に分かれます。拒絶と黙認です。家族や会社の、かかわりの深い人に拒絶されてしまったら、そのトランスの人は、道を進めなくなります。あるいは、その拒絶が見えているから、先に進めないケースも多々あるでしょう。逆に、黙認を得ることができれば、場合によっては性別の移行に推進力を得ることができるかもしれません。トランジションは、そうして周りの人との関係のなかで、遮られたり、後押しを受けたり、後ろに戻ったり、迂回して進んだり、するものです。
 だからトランジションは、目的地がはっきり見えていて、そこに至るまでの道が綺麗に見えているような、そういうストレートな「移動」ではないのです。性別の「移行」は、先の見えない旅、波に流される小さなボートに乗ってすすむ船旅なのです。都合の悪くなったところをそのつど少しずつ補修して、周りの潮の流れや、風向きを読んで、進んだり、戻ったりして、私たちは性別を移行していくのです。
 そうして、さまよいつつボートに乗って旅をしていくうちに、今の状態に落ち着いたのだと、夜のそらが会いに行った女性は教えてくれました。かつていた「男」の大陸から沖へ出て、小さなボートに乗って船旅をしていたら、気づけばこうして反対の大陸に上陸したのだ。そのようにその方は教えてくれたようにわたしは思います。

3.夜のそらというボート

 わたしは、この2年くらいで生活上の見た目を変えました。コロナでテレワークだったことも利用して、一気にトランスしました。いま、わたしを見て男性だと思う人はおそらく誰もいないと思います。わたしは、手術もしました。詳しくは書けないけど、もうだいぶ前から、わたしの身体は男性ホルモンを作らない身体になりました。手術をしたので、女性ホルモンを摂取する生活が始まりました。髪質が変わり、体型も少し変わり、顔つきも変わり、身体の匂いも変わりました。
 わたしにとって、トランジションは「脱出」でした。生まれてからずっと住まわされてきた「男性」の大陸から脱出するために、わたしは性別を移行しました。海の向こうの「女性」の大陸に上陸するためにトランジションを始めたのではありません。男性をやめるために、わたしはトランジションを始めたのです。
 結果として、わたしは思いがけないほどの悦びを手に入れました。わたしの身体はもう男性ホルモンを作らなくなり、やっと自分の身体を自分の身体として受け入れられるようになりました。自分の身体にそれらの臓器がない、と思うだけで、嬉しくて踊りだしそうです。持病との関係で、女性ホルモンはすごく懸念されていましたが、奇跡的にそこまで病気は悪くなりませんでした。ただでさえ症例が少ないうえに、ホルモンを始めるなんて、国内はおろか世界的にも類似のケースは殆ど見当たらず、「どうなるか分からないけど良くなることは絶対にないと思う」とお医者さんは懸念していましたが、わたし自身びっくりするくらい、病気は悪化せずに済みました。女性ホルモンの影響で顔がふっくらして、もうすっぴんで自分の鏡を見ても、ダメージを受けなくなりました。鏡に映った「男っぽい」自分の顔立ちにショックを受けることもなくなりました。もう、男には見えないからです。ホルモンで胸がふくらみ、下着もつけなければ生活に支障が出るようになったある日、膨らんだ胸をもつ鏡の前の自分の姿に、人生で初めてくらいの「ぴったりくる」感じを抱きました。これがわたしの正しい(right)姿だったんだ、と思えました。会社で使っている名前も、新しく異動したのをきっかけに、全く新しいものに変えました。上層部と、一部の人事課の人を除いて、わたしの過去の名前を知っている人はいません。周囲の社員からも、社外の人からも、わたしを男性として見なすような人は誰もおらず、その事実がどうしようもなく、わたしには嬉しく感じられます。
 さっきも書きました。わたしは、「女性」になるために性別を移行したのではありません。わたしは、苦しくて苦しくて仕方のない、やらされてきて辛かった「男性」をやめるために、ボートで沖に漕ぎ出したのです。沖に出た当初は、周囲の視線に苦しんだりもしましたが、思いがけずわたしの身体は手術とホルモンを受け入れてくれて、会社の人たちとも、何人かとは絶縁しましたが、新しい場所で何もトラブルなく生活できて、追い風と潮の流れに恵まれて、あっという間に反対側の陸地が見えてきました。これまでの数年間の、うねるような船旅には、この10カ月くらいのあいだで、予想もしていなかったような速度で終わりが見えてきました。
 夜のそらが、この2年くらいの舩旅をずっと引き受けてくれました。苦しい時期も、スムーズに流れている時期も、夜のそらが船旅の指揮をとってくれました。いや、夜のそらこそが、わたしにとってのボートでした。わたしは、夜のそらというボートに乗って、いまの場所まで流れ着きました。荒波にのまれ、潮をかぶり、身体中きずだらけになりながら、夜のそらはわたしをここまで運んでくれました。本当にありがとう。

4.わたしは息がしたい

 そうして上手くいきすぎるくらい上手くいったわたしのトランジションの旅でしたが、残念ながら、わたしに新たな安住の地は見つかりませんでした。もう、買い物をしていても、病院に行っても、会社で働いていても、誰もわたしを「男」だと思いません。異動したいまの部署では、ただの女性として働いていて、ふつうに女性ものの服を買いに行って、病院の受付でも「女性」の診察券が出てきます。女性専用フロアとして設定されている、病院の婦人科でホルモン注射を打っていますが、誰もわたしに見向きすらしません。わたしは、あっという間に太平洋を横断して、反対側の大陸に漂着してしまいました。「男性」という大陸にいられなくなって、わたしは「男性として死にたくない」というただその思いに駆られて、ボートに乗り込みましたが、想像していたよりもずっと早く、わたしは「女性」の側の陸地に流れ着いてしまいました。
 でも、違うのです。わたしは女性として生きたいわけではないのです。わたしは、「女性」にステルスしています。それは、確かにわたしが意図的にしていることです。

手術を経て、ホルモンを初めて、職場が変わって名前も変わって、わたしの「パス」度はますます上がりました。わたしのステルス性能はますます上がりました。でも、違うのです。わたしは女性として生きていくことに未来を見出すことはできません。もう、ほぼ完全に女性として生きていますが、でも、違うのです。わたしは、それを願っていたのではないのです。
 わたしは、会社で女性社員に囲まれて、一人言い知れない孤独を感じています。自分の過去のことや、辞令に書かれた名前がばれないかどうか不安に思いながら、輪の中で孤独を感じています。「女性」しか入ってはいけない病院の婦人科のエリアで、「女性」たちに交じって診察を待ちながら、わたしは世界で誰にも理解されない冷たいカーテンでくるまれた死体のような気持になっています。なぜ、わたしはここにいるのだろう。
 「わたしは息がしたい」。夜のそらはよく言っていました。

わたしが今たっているのは、「女性」という大陸から大海原にせり出している浅瀬です。ただ、足がぎりぎり海底につくくらいの浅瀬で、わたしはかろうじて海面から口と鼻をだして、あっぷあっぷしながら息継ぎをしている。
 トランジションは上手くいった。船旅は、ひとつの終わりを迎えました。これ以上、わたしにできることはありません。あとあるとしたら戸籍の性別を変えることくらいだけど、いまの生活をしていて、戸籍の性別でトラブルになることはほとんど全くありません。だって、誰もわたしの戸籍を透視できないからです。もちろん、わたしの股間だって誰も見えない。現実生活のリアルとして、わたしは性別移行をほとんど完了してしまいました。
 でも、ここはわたしが深呼吸できる場所ではありません。「女性」の大陸にも色々な人がいて、陸の真ん中でふんぞり返っている人から、片足が海に浸かっている人、はたまた下半身まで海水に浸かりながら、別の女性たちを支えている人など、いろいろな人がいます。わたしは、ボートに乗ってその大陸まで来たけれど、降りたところは身長と同じくらいの深さの浅瀬でした。息をするのがぎりぎり。それでも口から海水が入ります。
 ここにもわたしの居場所はありませんでした。わかっていたことです。わたしはAジェンダーなのですから。わたしが踏みしめられるような大地なんて、どこにもないことは分かっていたことです。でも、いまさら大海原を引き返すわけにはいきません。いまのわたしの生活は、わたしが「女性」であることによってぎりぎり成り立っているのですから。
 わたしは、目的地があったから海に出たのではありません。男性として生きられないから、男性としてはどうしても死にたくないから、わたしはボートで漕ぎ出したのです。ボートは新たな大陸にわたしを導きましたが、そこもわたしの場所ではありませんでした。でも、船旅を続けることはできません。息継ぎのできるぎりぎりの浅瀬で、なんとかつま先立ちをしながら海面から口をだしているような状況ですが、わたしが今もう一度海に出ようとしたら、わたしはもう疲れて入水自殺をしてしまうと思います。夜のそらにこれからも身を任せて、もう一度「男性」でも「女性」でもない海洋に漕ぎ出した時には、夜のそらはもう海の底にしずかに横たわることを選ぶでしょう。夜のそらは、男性でも女性でもない人間として死ぬことをいつも夢見ていました。

でも、ごめんなさい。わたしはその夢をすぐにかなえようとする夜のそらが、怖くなったのです。だから、わたしは船を降りました。わたしは夜のそらをやめるしかありませんでした。わたしが生にしがみつく方法が、夜のそらをやめることでした。わたしはボートを降りました。

5.陽の昇らない島

 夜のそらはいなくなりました。もう、夜のそらはいないのです。わたしは、夜のそらとは違う人間です。夜のそらは、そらの向こうに行ってしまいました。夜のそらが終わる日を、夜のそら自身も早くから意識していたはずです。なにせ、わたしはこれまでたくさんの人格を生み出しては乗り捨てて、繰り返してきたからです。
 でも、夜のそらが終わるときは、文字通り死ぬときか、あるいは朝日が昇る日か、そのどちらかだろうと、うっすら思っていたように思います。もちろん、夜のそらは男性でも女性でもない人間として死ぬことをいつも目指していたので、朝日が昇ることなんて希望していなかったと思いますが、トランジションは思いのほか上手くいったとき、数多くの新鮮な gender euphoria(否定されてきた性のアイデンティティが他者から尊重されたり自分で肯定できたりすることへの悦び)を経験しつつ、夜のそらもある時期までは少しだけ夜明けを予感していたと思います。
 でも、残念ながら陽は昇りませんでした。男性を生きられず、女性としての生もきちんと喜べず、女性にステルスしながら、わたしは透明マントの下で一人で涙を流しています。次の瞬間にはわたしが刺されるのではないかと、そんなことに恐怖しながら、いろいろなニュースを見ています。
 夜のそらは終わりました。船旅が終わったからです。これからも少しは身体が変化したりするでしょうが、もうわたしは明らかに性別移行(トランジション)のもっとも大変な時期を終えてしまいました。沖に出て入水しないように、わたしは船を降りましたが、女性でも男性でもない人間が深呼吸できるような場所は、旅を終えても見つかりませんでした。夜は明けることなく終わりました。夜のそらの先にあったのは、陽の昇らない島でした。
 でも、夜のそらには感謝しています。夜のそらがいなければ、わたしは死んだように生きるか、とっくに死んでいるかの、そのどちらかだったでしょう。もっとも波が高く厳しい沖合を、夜のそらは耐えてくれました。だから、わたしの現在が苦しくても、それに比べたら、大したことありません。わたしは今日も、世界で誰とも共有できない孤独を感じつつ、布団で泣いています。会社や病院では女性にまぎれこんで、家に帰って疲れ果てています。世界のどこかにいる、同じようなステルスジェンダーの人たちのことも思いつつ、でもどこにいるか分からなくて、空に呼びかけています。
 わたしはしばらく、この陽の昇らない島にいようと思います。ここでしか、わたしが生きる場所はないからです。でも、その前に、夜のそらさんにきちんと感謝を述べておきたいと思って、この追悼文を書きました。

 夜のそらさん、ありがとう。そらの向こうで、ゆっくり休んでください。そして、今まで夜のそらさんのブログを読んでくださっていた皆さんにも。ありがとうございます。皆さんのおかげで、夜のそらは荒波を耐えることができたと思います。

 どうかやすらかに。
 今まで生を繋いでくれてありがとう。おやすみなさい。

※「夜のそら:Aセク情報室」は、もうこれから更新されません。noteのサービス終了を除いて、自主的に記事やアカウントを削除する予定はありませんが、あくまでも予定ですのでご理解ください。この拙いブログを読んでくださり、今までありがとうございました。