見出し画像

Aセクシュアルは世界を滅ぼす

 こんばんは。夜のそらです。今日は生産性について話します。

1.足立区が滅びる

こんなことはあり得ないことですけれども、日本人が全部L、日本人の男が全部G、次の世代生まれますか。一人も生まれないんですよ。1000年とか200年じゃない。次の世代を担う子どもたちが1人も生まれない。本当にこんなことでいいんだろうか。
先ほど取上げたLGBTの問題。BとTについては、これは生まれつきのこともありますから、必ずしも、ここでいろんなことを言うべき事ではないのかもしれません。でも、L、レズとG、ゲイについてだけはもしこれが足立区に完全に広がってしまったら、足立区民いなくなっちゃうの、もう100年とか200年の先の話じゃない。私たちの子どもが一人も生まれないということですから。もう次の時代、30年後か40年後にいなくなっちゃう。
いやLだってGだって法律で守られてるじゃないかなんていうような話になったんでは、足立区は滅んでしまう。

 これは、今年の9月に話題になった、足立区の白石による区議会での発言です。「Out Japan」というこちらのニュースサイト記事から引用しました。(Out Japanそのものに好感を持っているわけではないですが発言録が細かく載っていたのでここから引用しました。)この発言は大きな批判を集めて、白石議員は謝罪と発言撤回をし、上記の大部分の発言について議事録からの削除を求めることになりました。
 しかし、改めて考えてほしいのですが、皆さんは上の発言のどこか問題だと思うでしょうか。ここでは一つの例として、ハフポストの松岡さんの記事を見てみます。

はじめに書いておきたいのですが、わたしは松岡さんをかなり信頼しています。トランス差別についても、きちんとした態度をとっているという風に思いますし、分かりやすい記事で広く性的少数者にまつわる差別を論じることのできる方だと思っています。そのうえで、この松岡さんの記事は、次のように白石議員の発言の「問題」を次のようにまとめています。

①:「こんなことはありえない」と否定しているにもかかわらず「日本中がLGBTになると国が滅びる」と述べている。つまり、ありえない仮定を設定したうえで恣意的な結論をそこから導いており、論理的に破綻している。
②:LGBTについて教育したり、LGBTに法的保護を与えても、「LGBTばかりになる」ことはない。
(※記事のなかでは、「普通の結婚」とか「女性は産む機械だと言っただけで叩かれる」といった発言についても松岡さんは批判していますが、今日の主題ではないのでおいておきます。)

 以上の2つの問題点を指摘したうえで、松岡さんは、「LGBTばかりになると国がつぶれる」という平沢勝栄の発言(2019年)、そして「LGBTには生産性がない」という杉田水脈の論考(2018年)を引き合いに出しつつ、その2者と今回の白石議員の発言には共通点があると述べます。

これらの議員に共通するのは、まさに子ども産めるか産めないかという「生産性」によって命を選別し、マイノリティの人権を制限する考えだ。少子化問題について、ただ「産めよ増やせよ」と言い続け、「生産性」によって多様な性や家族のあり方を否定することは、そもそも少子化対策に繋がらないだけでなく、マイノリティの命をおとしめる非常に有害な考えだと言える。
(松岡宗嗣「「LGBTばかりになると足立区が滅ぶ」東京・足立区の自民党議員が差別発言」)より。

以上の松岡さんのまとめは、まったくその通りだと思います。日本中の人がGやLになるなんてあり得ないにもかかわらず、わざわざ「LやGだけになってしまったら」という想定で「国が滅びる」という風に論じるのは、ショッキングな結論を出すことでマイノリティを貶めるため、悪印象を生み出そうとするための姑息なレトリックです。区議会議員や国会議員のような、社会的影響力の強い立場の人間が、マイノリティを狙い撃ちにしてそれをネガティブに価値づけるのは、たとえそれが荒唐無稽な想定に基づいていたり、ただの妄想だったりするとしても、現実の差別をより一層強め、またマイノリティの心をむしばみます。子どもを産めるか否かという「生産性」から命を選別し、人権を制約することは間違っています。ただ「産めよ増やせよ」と連呼して、多様な性や家族のあり方を否定しているのでは、少子化対策は解決しません。松岡さんの指摘は、まったくその通りだと思います。

 でも、わたしは思うのです。なにかが欠けている気がする、と。

 LGBTばかりになったら足立区が滅びる。国が滅びる。そんなヘイトスピーチに対して、わたしたちは他にも言うべきことがあるのではないでしょうか。そんなヘイトスピーチに対して、こう応える必要もあるのではないでしょうか。どうして、滅びてはいけないのでしょう?と。

2.乗ってはいけない前提

 松岡さんが指摘しているように、足立区の白石議員の発言は「社会のなかの全ての人が同性愛者になったら」という架空の前提を持ちだしています。そうした無意味な前提から「足立区が滅びる」というショッキングな結論を出して、同性愛者(もといLGBT)を社会の正当な成員として承認すべきではない、と結論しています。しかし私たちは、それが「あり得ない前提を持ちだしている」というかどで批判するだけでは足りないと思います。どうして「国が滅びる」ことがネガティブなレッテル張りとして機能しているのか、私たちは問うべきだと思います。
 白石議員は言っていました。同性愛者だけになったら、誰も子どもを産まなくなる。そうしたら、足立区には新しい子孫が生まれないから、足立区は滅びるのだ、と。先ほど引いた平沢勝栄国会議員も、同じ発想でしょう。子どもが生まれなくなったら、区が滅びる、国が滅びる、私たちの社会が滅びてしまう。そんなの駄目だ、だから、同性愛者が増えるのは恐ろしいことだ。同性愛者を優遇してしまって、万が一「同性愛者ばかり」になったら大変だ、と白石議員は言います。
 これらの発言にホモフォビアが込められていることは間違いありません。しかし、思うのです。これらの発言に対して「同性愛者ばかりになるなんてことはありえない」と応えては絶対にいけません。なぜなら、「同性愛者だけになったりはしない」という風に応答するとき、私たちは「同性愛者が悪い結果をもたらす」という前提に乗ってしまっているからです。「そんな前提は架空のものだからありえない」という風に白石議員の発言に応答するとき、私たちは「同性愛者だけになったらそんな風に悪いことが起きるけど、人口の100%が同性愛者になるなんてことはありえない」と応答しています。同性愛者が増えたら悪いことが起きるかもしれないけど、数が少ないから安心しても大丈夫、と応答しているのです。(この点、先ほどの松岡さんの記事はそれなりに注意していたと思います。白石議員の「あり得ないけど、でもそうなったら…」という自己矛盾的な態度(だけ)を松岡さんは批判していたからです。)
 「同性愛者だけになったりはしない」。こんな風に応答してはいけません。「たくさんになったら困るけど、少ないから安心して」なんて、そんな相手のフィールドに乗るようなことは絶対にすべきではありません。むしろ、私たちは問うべきだと思います。どうして、子どもを産まないことがそんなに恐ろしいことなのか、と。どうして、子どもが産まれなくなってはいけないのか、と。どうして、区が/社会が/国家が滅びてはいけないのか、と。なぜ、子孫を産まないこと/子孫が生まれないことが、そんなに悪いものとしてイメージされているのか。どうして「区/国が滅びる」ということが、あたかも破滅的な結果であるかのように想定されているのか、と。私たちは、相手の間違った前提に乗ることなく、その前提そのものを問うべきなのです。

3.くたばれ異性愛主義

 ちょっと何を言っているのか分からないと思います。「同性愛者が区/国を滅ぼす」という発言が差別発言ではないというのか、と思われるかもしれません。いえ、それは差別発言だと思います。むしろ、それが差別発言だと思うからこそ、わたしは立ち止まりたいと思うのです。その差別発言を生み出している同性愛差別的な思想に、つまりは異性愛中心的(heterocentric)な思想に、立ち止まりたいのです。その差別発言を生み出している異性中心主義がどこに根っこをもつのか、立ち止まりたいのです。
 いきなりですが、みなさんは「少子(高齢)化」って問題だと思いますか?子どもが産まれなくて、社会の中の高齢者の割合が増えることを「少子高齢化」と呼びますが、これって問題だと思いますか?
 どうも、社会の大半の人は、これを問題だと思っているようです。どの国政政党も、少子高齢化の解決を唱えています。いわく、医療や福祉を必要とする人が増えると、社会保障費が増えていくが、その社会保障費を生み出すことになっている若年の労働者が減ると、それが維持できなくなる、ということのようです。世の中の医療や福祉を高い水準で保つために、国家の社会保障制度を安定させるために、少子化は食い止めないといけない、ということのようです。国による「公助」のレベルを保つために、「少子化」は問題だということのようです。
 そういうわけで、リベラルよりの政党や、あるいはリベラル的な思想をもっている人たちの間でも、「少子高齢化」はいつも問題だとされているようです。それは、解決されるべき問題だとされているようです。
 わたしが世界で1番目か2番目くらいに嫌いな言葉に「こんな国で子どもを産みたいとは思わない」という言葉があります。自民党政権のとんちんかんな「少子化対策」や、女性の人権をますます制限するような時代錯誤な政策に対して、自民党政権に批判的なリベラル寄りの人たちが口にすることの多いセリフです。わたしは、この言葉が死ぬほど嫌いです。子どもが産まれることが社会や国家にとって無条件でよいことだという前提がここにはあるからです。
 確かに、自民党政権の”少子化対策”はことごとく「終わってる」と思います。これについて詳しく書くほどの知識はわたしにはありませんが、女性の人権になにも関心をもっていないし、少子化対策としてまっさきにやることが不妊治療への保険適用や婚活の支援で、女性のリプロダクションに関わる健康や権利の状況がトータルに改善されなければならないということは理解されていないし、妊娠出産子育てを経験する女性たちのキャリアが危うくされている雇用環境や、子育ての責任を負うべき男性たちの育児参加が進まない状況は放置され、それを後押しするような長時間労働と低賃金は常態化していて、子どもを産み育てることにかかる時間的・金銭的コストを払える社会階層がどんどん細っていっているのも手付かずです。
 でも、わたしは反吐が出ます。「子どもを産む気になんてならない」という発言がヘテロの人々から口にされるたび、反吐が出ます。「少子化」が解決されるべきだということが当然のように考えられていて、「子どもを産むこと」が社会・国家にとって価値のあることだという思想がまるっきり前提とされているからです。へどがでます。
 もしかしたら、わたしの感性が歪んでいるのかもしれません。でも、「子どもを産む気になんてならない」という発言に、わたしはどうしても異性愛者の「おごり」を見てしまいます。少子化が問題だというみたいだし、子どもを産んでやっても構わないけれど、こんな社会の制度が残っている限りは「産む気にはならないなー」というおごりを感じてしまいます。せっかく自分は異性愛者で、結婚もしているから、子どもを産んで少子化の解消に貢献できたはずだけど、社会がこんななら、産む気にはならないなー、というおごりを感じてしまいます。自分のセクシュアリティ(異性愛)を盾にとって、異性愛的な生殖能力をつかって政治的要求を通そうとする、そういう「異性愛主義」をかぎとってしまいます。
 ほんとうに寒気がします。異性愛者だけを優遇し、単婚ヘテロ婚だけをひたすら法律で特別に保護し続ける自民党政権が「少子化が問題だ」というのに対して、自分たち異性愛者に子どもを産んでほしければ○○しろ、なんて要求がどうしてできるのかわたしには分かりません。ツイッターをやっていて一番精神が削られるのは、トランス差別と、「少子化」問題についてのリベラル寄りの人たちから出てくるこういう発言です。
 わたしは、こうした発言には異性愛中心主義があると思っています。同性愛やバイ/パンセクシュアリティ、そして無(非)性愛を周縁化し、自分たちの性愛こそが社会の中で特別に価値があって当然なのだという異性愛主義が、隠れていると思います。そして、わたしは強調したいのですが、ここにある異性愛主義は、白石議員や平沢勝栄、杉田水脈による差別発言とまったく同種のものだと思います。
 さっきから書いているように、「こんな社会で子どもを産む気にはならない」という発言は、自民党政権に批判的なリベラル寄りの人たちからよく聞かれるセリフです。そうした人たちは、リベラル的ですから、杉田や平沢、白石議員らの差別発言には当然批判的だと思います。でも、リベラル系の人でも、「少子化」を問題だと思っている限りは、杉田や白石議員とそんなに大差ない異性愛中心主義者にしかわたしには見えません。

4.くたばれ「少子化問題」

 少子化が問題だ。子どもが産まれるべきだ。この発想に立つ限り、永遠に異性愛はその覇権を持ち続けるでしょう。事実、異性愛中心主義はいつも「生殖」に訴えることで自分たちの特別な正当性を主張してきたからです。例の問題発言をした同じ日の、白石議員の別の発言を貼っておきましょう。

そのことを考えたときに、性の多様性とか性を尊重する、そのことはわかります。そのことはわかりますけれども、これを学校教育の中で取上げたときには、普通の結婚をして、普通に子どもを産んで普通に子どもを育てることがいかに人間にとって大切なことであるか。(白石発言)

LGBTへの差別発言を発した白石議員が「ふつうの性愛=異性愛」と「子ども」を直結しているのはあまりにも明白です。そもそも、同性愛者は子どもを作らない点で破滅的だとしていたのですから、当然です。
 改めて考えたいのです。「少子化」が【問題】のように論じられ、同じ社会、同じ国家のなかに子どもが産まれることが手放しで「よい」とされる前提がある限り、そこにはつねに異性愛中心主義がないでしょうか。同性愛者も養子を受け入れれば子どもを育てられるとか、生殖技術があれば遺伝的につながった子を持てるとか、そんなことは知っています。いま、そんなことを論じたいのではありません。異性愛中心主義と生殖の能力が歴史の中で強固に強固に結び付けられ、そのことが同性愛/無性愛に対するネガティブな価値づけを正当化し、差別を生み出してきたのだとしたら、「子どもがいなくなってしまう」という「少子化問題」をやすやすとアジェンダとして共有することは異性愛中心主義を承認することに等しいはずだ、とわたしは言いたいのです。
 2018年の杉田水脈の論考「「LGBT」支援の度が過ぎる」は、「LGBTには生産性がない」という発言で問題視されました。しかしこの直前での杉田の発言にも注目すべきだと思います。杉田はこう言っていたのです。

例えば、子育て支援や子供ができないカップルへの不妊治療に税金を使うというのであれば、少子化対策のためにお金を使うという大義名分があります。しかし、LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか。
(『新潮45)58ページ)

LGBT(カップル)は子どもを産まないから、社会にとって何も生み出すことがない。だから、そんなLGBTの生きづらさを解決することに税金を使うことには正当性がない、と杉田は言います。
 ここで杉田は、子どもが産まれることがとても価値あることだと考えており、それを「生産性」の筆頭に挙げています。現に、不妊治療に税金を使うことは「少子化対策」になるので税金を使う大義名分がある、と言っています。リベラルな人たちも含めて、「少子化」があたかも問題だという風に社会全体の人が考えているとき、ここには全く同じ前提があると思います。自民党に批判的だろうと、自民党支持者だろうと、「少子化」問題を問題だとする限り、ここには異性愛主義があると思います。
 それでも納得してもらえないかもしれないので、もう1つ引用します。

 結婚は古来、男女間のものだ。男女の結合が、親族の結合、一族の結合であり、そのことを通じて共同体として子種を後世に残してゆく。こうした結婚の仕組みは、暴力と隠匿に付き纏われる性という暗い欲望を、逆に社会の最も明るい祝福の灯のもとに照らし出し、秩序化による安定と幸福の基盤となす、人類の生み出した最も偉大な逆説的叡智である。
 「結婚」は(…)現代国家の人権保障システムでは、根本的にないのである。それは「人権」ではなく、伝統社会が共通して編み出した「叡智」である。性欲も又、近代の政治システムが作り出した「人権」ではない。「欲望」である。 (小川榮太郎「政治は「生きづらさ」という主観を救えない」『新潮45 10月号』2018年88ページ)

これは、杉田の「生産性」論考(『新潮45』8月号)を擁護するために編まれた『新潮45』10月号の特集に寄せられた論考の一部です(この前杉田論考についての記事を書いたあと、この10月号を送ってくださった方がいました。)。吐きそうになりながら引用しましたが、「異性愛」と「生殖」と「結婚」と「自然」を結び付けた典型的な議論です。さすがにここまで気持ちの悪いことを言う人は珍しいですが、それでも、異性愛主義がいつも「生殖」とのつながりを自分の正当性の根拠にしていること、そしてそのことを通じて異性愛こそが社会を存続させる特別なものであると主張していることはやっぱり注目に値します。
 白石議員の発言を最初に紹介したとき、「乗ってはいけない前提」があるということを書きました。「同性愛者ばかりになるなんてことはありえないから安心して」という風に応えてしまうと、「同性愛者は子ども産まないから悪い」という差別者の前提に乗ってしまうのです。その前提には載ってはいけません。同性愛者たちが(自分たちの行為や自分たちの作る関係性のなかで)子どもを産まないとしても、どうしてそれが問題なのか、何も悪いことはないだろう、と応えるべきなのです。ですから、子どもを産まないということが「悪い」ことだ、それがネガティブなことだ、という前提を受け入れてしまったら、それは異性愛主義を認めることになるのです。
 それと全く同じことが「少子化問題」一般について言えます。「少子化」を問題だと認めてしまったとたん、私たちは「子どもが産まれること」を無条件に価値づける、異性愛主義に道を明け渡すことになります。「国が滅びるなんて恐ろしいことだ」という恐怖を共有してしまったとたんに、私たちは異性愛主義の覇権を認めていることになります。
 だから、異性愛主義とたたかおうとするなら、私たちは言うべきだと思うのです。くたばれ「少子化【問題】」。そして、「こんな社会で子どもを産みたいと思わない」などというリベラルな人びとにも、言うべきだと思うのです。偉そうにするな。私たちは言うべきだと思うのです。「同性愛者ばかりになったら区/国が滅びる」なんて言っている差別主義者に。滅びて何が悪いのか?

5.リベラルなんて嫌いだ

 わたしは少子化を憂う人たちが嫌いです。なかでも、この「問題」に対するリベラルな人たちの物言いが大嫌いです。
 わたしは、子育て支援をやめろとはまったく思いません。支援すべきだと思います。子どもは守られるべきだし、子どもを育てているというだけで社会的にも家庭内でも(圧倒的に女性が)傷つけられやすくなる状況は変わるべきだと思います。わたしは、同じ社会・国家・世界に生まれてくる全ての子どもたちを歓迎できるような状況があるべきだとすら思っています。でも、わたしは「少子化」を問題だとは思いません。子どもがより多く生まれた方がいいという前提を絶対に共有できないからです。わたしは、Aセクシュアルなのです。
 むしろ、わたしは言いたいです。少子化を問題だと言っている異性愛者たちこそが、本当の意味では子どもの出生を歓迎してなんていないはずだ、と。だって、そういう人たちは「子ども」のことをただの労働力だと思っているのですよね。社会保障制度を維持するための「税金」だと思っているのですよね。少子化が解決されるべき問題だと言っている異性愛者たちは、本当は子どもが産まれることを歓迎していませんよね。あらゆる子どもを歓迎するつもりがありませんよね。わたしのように病弱だったり、AセクシュアルだったりAジェンダーだったりする「子ども」の出生を、歓迎しないですよね。わたしみたいにすぐ病気になって働けなくなったり、フルタイムで働けなかったり、しょっちゅう入院して、頻繁に手術をして、たくさん医療費がかかるような人間(子ども)の出生を、歓迎しないですよね。わたしみたいにAセクシュアルで、ちゃんとした「家族」を作らなければ間違っても次世代の子どもなんて育てるつもりのない「生産性」のない人間を、歓迎しないですよね。
 あまりこういう言い方をしたくありませんが、少子化をあたかも「問題」だと考えているような異性愛者たちは、ことごとく全員が杉田水脈の「生産性」と同じ思考回路を持っていると、わたしは思っています。少子化「問題」を解決する、ということがリベラルな人たちからしきりに話題にされるとき、わたしは心から排除されている気分になります。ああ、この人たちが言っている「子ども」には、わたしみたいな人間は含まれていないんだ、と思います。ああ、この人たちは国が滅びないためにはわたしのようなAセクシュアルでAジェンダーな、病気や障害をもっている人間がいない方がいいと思っているのだ、と思います。だったら、最初からリベラルなんて自認しないでほしいと思います。杉田水脈の「生産性」論考を批判しながら、同じ口で「少子化」問題を嘆いたり、「足立区が滅びる」発言を批判したり、どうしてそんなダブルスタンダードを自分に許せるのか、わたしには分かりません。もう、疲れました。トランス差別のこともありますが、もう、日本のインターネットにいるリベラルの人もほとんど信用できないです。

6.Aセクシュアルは世界を滅ぼす

 わたしはAセクシュアルです。他者に性的な魅力を感じません。誰かと性的な行為をしたいと思いません。「性」が鍵を握るような関係を誰とも結びたくありません。もちろん子どもを育てているAセクの人もいるのですが、わたしの反‐出生主義の立場は、明白にわたしのセクシュアリティから帰結します。わたしは、Aセクシュアルとして、この社会の出生主義にNOを言います。少子化「問題」を嘆いて見せるリベラルな人たちに中指を突き立てます。病気ばかりでフルタイムで働けない、「生産性」のない人間として、そしてAセクシュアルとして、こっそり「生産性」至上主義を隠し持ったリベラルな人たちが大嫌いです。あなたたちが欲しいのは、社会保障制度を支えるための「生産力」ですよね。きちんと認めてください。自分が杉田水脈と同じような優生思想をもっていることを認めてください。そして、きちんと言えばいいと思います。国が滅びるなんてとんでもないことだ。子どもを産まない人ばかりになるなんてとんでもないことだ、と。異性愛者が減ってしまったら大変なことになる、と。世界がAセクシュアルばかりになったら大変だ、と。言えばいいと思います。Aセクシュアルは世界を滅ぼす危険な存在だ、と言えばいいと思います。おっしゃる通り。Aセクシャルは世界を滅ぼします。でも、滅びてなにがいけないのですか?

 最後にもう一度だけ言っておきます。少子化「問題」を嘆いて見せるあなたたちこそ、差別主義者です。あなたたちは歓迎しないでしょう。障害や病をもって生まれる子どもの出生を。あなたたちは歓迎しないでしょう。異性愛者でない子どもたちの出生を。自分たちの社会を、国家を受け継ぎ、再生産しつづける「生殖」に従事しない人たちの出生を、あなたちは歓迎しないでしょう。わたしは一人のAセクシュアルとして思います。あなたたちのような健康な異性愛者たちが覇権を持ち続けて、カップルを作って「幸せな家庭」を作っている世界なんて、滅びればいいと思います。
 わたしはAセクシュアルです。わたしは、あなたたちの「幸せ」が何よりも大切にされる世界を、滅ぼしたいと思っています。