【軽度知的障害】ヌーマの障害が分かるまで
自己紹介
初めましてヌーマと申します。
僕はIQ68軽度の知的障害を伴うASD(自閉症スペクトラム)を持ち現在は大手の特例子会社で清掃員として働いております。
今回はそんな僕の障害がわかるまでをnoteに綴ります。
ぜひ最後まで読んで頂けると嬉しいです。
1歳から3歳までの発達の遅れ
これは、母から聞いた話なのですが僕は三人兄妹の末っ子で上の二人よりも発達が随分と遅いと感じていたそうで、でも穏やかで手がかかずとにかく可愛くゆっくり成長するのも良いかな?と母はそう思っていたそうです。
保健所では、1歳半検診や3歳児検診のアンケートでも殆どの項目で【できる】に⭕️する事は出来ませんでした。
それを知って母はとても心配だったのですが特別な指導もはく、逆に母の方からお願いして定期的に保健師さんに電話を頂いきアドバイスをもらっていたそうです。
幼稚園の先生が違和感に気づいてくれて
年少になり余りにも発達の遅く言葉も出てこないので急遽幼稚園に入園を決め第一回目の保育参観の後に担任の先生に呼ばれ『3歳児検診受けましたか?何か指導は受けませんでしたか?もう1度保健所に行った方がいいですよ!幼稚園での集団生活は少し難しいです。1つのことを10回言わないと出来ません!殆ど固まったまま動かないんです!』と言われ当時の母は、ショックだったそうですぐに保健所に連絡し心理を受診しましたが理解できる言葉はいただけなかったそうです。
IQ検査をしてみた結果
小児療育相談センターを受診しました。IQの結果をドクターから説明を受け『運動性検査では、劣る程ですが言語性ほ検査でが障害児の数値です。園での一斉指示では何を言われているのか?全く分からないと思います。例えば英語が分からないのに外国の中にひとりでいるのと同じ状態ですね』と言われ母は僕が置かれている状況を理解したそうです。分からなくてパニックになると動けなくなっていたのです。
その後、県内のL D発達相談センターで個別指導をうけ受診するとWPPSIテストでやはり言語が低いと言われ総合IQも51と言われ母はとてもショックだったそうです。
9歳で漸く診断名が付く
当時(2000年代初頭)僕の住んでる地域に漸く療育センターができたことで新たに受診したところ3回の面談とテストの結果:自閉症とIQ70の境界知能と判明しました。
その後も何回か受診をし最終的に20歳の時にIQ68でした。
最後に
今回は、僕(ヌーマ)の障害がわかるまでにフォーカスを当てて綴りました。殆どが母から聞いた話をベースにしてます。また僕自身が自分が障害を知ってどう思ったのか?の葛藤は別の機会に書き綴ります。今後もnoteで僕自身のエピソードをどんどん書いていくのでもし宜しければいいねとフォロー、コメントなどをして頂けると嬉しいです。これからもよろしくお願いします。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?