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【軽度知的障害】障害を知ってどんな気持ちになったのか?

今回は軽度知的障害とASD(自閉症スペクトラム)を持つ僕が障害を知るまでの経緯と知ってどう思ったのか?を綴ります。是非最後まで読んで頂けると嬉しいです☺️

以前に自分の診断名がわかるまでの流れを綴っておりますのでそちらも是非読んで頂ける嬉しいです

小学校までは普通学級だった

年少(5歳)の時に全IQ51と分かったのですがその後
両親は小学校に入学する際に普通学級か?特別支援級か?進路で話し合ったそうです
その時は父が強く普通学級に通わせることを望んでいたので小学1年生から普通学級に通うことにしたそうです。  

今思えば当時の父ももしかしたら自分の子供に障害があるなんて認めたくなかったのかも知れないと僕はそう思ってます。

 それと小学1年生から6年生まで普通学級に通いながら週1に車で片道45分くらいかけて隣町にある通級教室(ことばの教室)にも通ってました。 

当時(2000年代初頭)は今で言う発達障がい児や知的障がい児向けの放課後等デイサービスのそこまで普及しておらず僕の住んでいる地域では障害児の受け入れ先も少なかった為、限りある通級教室に通っていたのを今でも覚えてます。


小学校低学年まで甘々だった

小学1年〜2年生までは同じ担当の先生で兎に角『何か(ヌーマくんが)困ってる時はみんなで助けてあげてね!』の言葉でクラスのみんなが僕に対して明日の準備から提出物まで身の回りの事は全てもらってました。それを知って母は「このままでは自分で頑張ってやろう!という気持ちが削がれてしまうのではないか?」と疑問視していたそうです。
僕自身もそれを聞いて当時の担任の先生に対して面倒ごとだけは起こさなければいい程度にしか思ってなかったのかな?と今になってそう思います。

 一方僕自身も言語性IQが低く友達同志での会話のテンポについていけない授業でも先生の話が中々頭に入ってこないなど居残りなどしたりして苦戦しつつも何とか出来てる部分もあったのですが小学3年生くらいから徐々に運動以外の授業についていけなくなってきました。


小学校高学年に殆ど授業についていけなくなっていく

徐々に思春期になっていくにつれて周りと自分を比較して焦燥感を抱くようになっていきました。漢字や計算、音楽や社会など殆どの授業で周りがどんどん成長していく中で『自分ももっと頑張らなければ』と強く思ってました。だがしかし結果は、自分の気持ちとは裏腹でした。
僕は、特に漢字の読み書きが苦手で音読をする時に読めない漢字などが多くつっかえる度に周囲の一部から笑われてました。

現在でも読み書き苦手なんですよね😅(ヌーマより)

そんこともありテストでも0点の山で自尊心も自己肯定感も下がってまいた。周りのが当たり前の様にできることが自分にはできないことに憤りを感じているくらい授業に関しては不服に感じてた小学生時代でした。

 そのことについて当時の母は、小学校の時から出来る事はたくさんあるけれども特性上で切り替え時間がかかったり時間内で作業を終わらせたり指示が理解出来なかったりと言う理由で出来ていないとされている事が多くあり、時間や説明をわかるようにえてもらう事で本当は出来たり分かったりする事が多く自己肯定感に繋がると思っていたそうで自立に向けて何より大切な事、自己肯定感を上げ自信を持たせたいと思っていたそうです。
 そのために中学校からは特別支援級と言う選択肢がある事を(ヌーマ)本人に伝えてて本人に考えて選んでもらいたいと思っていたそうです。


療育手申し込み時に自身に障害があることを知る


小学6年生の時に児童相談所に連れられた際、支援者と母が障害者手帳の話をしているのをさらっと聞いたのを今でも僕は覚えてまうす。自分には何らかの障害があるんだっと僕自身はすごくショックでした。まるで鈍器で殴られるくらいの衝撃的な出来事でした。みんな同じ(ふつう)になることが出しないそんなことに絶望感を抱いていました。ただ何の障害なのか?僕も母には聞かなかったし母も言いませんでした。横浜市での療育手帳(愛の手帳)結果はB2( IQ51〜IQ75の範囲内)でした。

ヌーマ小学6年(時のIQ59)

特別支援級を進められて

僕の小学校では中学校に上がる前に中学の見学がありましたその前の日に母から「特別支援学級に見学してみない?」聞かれ僕は「それは僕が障害があるから、ダメだから特別支援級を進めているの?」と尋ねたところ、母からは「あなたはけしてダメだから特別支援級を提案しているんじゃないよ!あなたはあなたなりに頑張る為に特別支援級に提案しているのよ」と言われ僕自身は何か救われた様な気がしました。
 母の提案もあり普通級と特別支援級の見学をしました。

 僕自身は特別支援級か?普通級か?悩みました。特別支援級に行くことで将来社会に出た時何らかの制限や不利になってしまうのではないか?でも普通級の授業にはついていけない悩みに悩んで最終的に特別支援級に行くことを決断しました。そのことを父にも自身の胸の内を話し承諾を得て中学校から特別支援級に行くことになりました。


障害者年金の申込時に自分の障害名を知る

僕がの診断名を知ったのは20歳の障害者年金を申し込み時に過去の診断書を見た時に自身に軽度の知的障害と自閉症があると知りました。その時の僕の反応は『へ〜そうなんだ』って感じでした。どうしてかと言いますと20歳になりある程度の自己理解と障害受容をし適した環境を見つけることができていたので、それ程障害名を知ったからといって小学6年時の様に悲観的になったり絶望感に駆られたりはしませんでした。それよりかはこれからの人生をどのようにして幸福に生きていくのか?を考えて生きていきたいと思っております。


最後に

今回は、ここまでとさせて頂いきます。次回は僕自身の(障害受容)障害者であることを認め受け入れるまでの話しを綴ります。もしよろしければフォローといいねをよろしくお願いします。


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