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自信を失ってしまったASDの私が思う「超人たち」への尊敬

 ASD(自閉スペクトラム症)の診断を受ける以前から、自分は社会でのコミュニケーションや日常生活での気疲れが絶えません。特に、自分がよく指摘されるのが「すみません」を言い過ぎるということです。人に迷惑をかけたくないという気持ちから、つい謝ってしまうことが多いのですが、どうもその頻度が過剰だと感じられてしまうようです。

 学生時代までは、無理やり何とかやり過ごせていたことが、社会に出た途端、どれだけ自分が不器用であるかを突きつけられました。仕事のミスや段取りの悪さ、著しい疎通の悪さから、周りに迷惑をかけることも多く、そんな自分に対してどんどん自信を失っていきました。これまで何度も挑戦してみても、失敗するたびに「自分には無理だ」という思いが強くなり、自己評価もどんどん低くなっていったのです。

 一方で、社会にはバリバリと仕事をこなし、家庭を支える「超人たち」がたくさんいます。自分から見ると、彼らはまさに「超人」です。なぜなら、仕事だけでも大変なのに、家族のことも両立しているなんて、どうやったらそんなことができるのかといつも不思議に感じます。

 ふとしたときに思うのですが、社会で生きること自体がすでに大変なのに、それを乗り越えて生活を維持し、家族を支え、仕事もきちんとやっている人たちは本当に尊敬に値します。彼らの姿を見ていると、自分は自身の弱さを感じずにはいられないことがあります。

 しかし、ある時友人にこう言われました。「他の人は超人なんかじゃないよ、みんな意外に弱さがあって、それぞれ苦悩を抱えているんだ」と。確かに、表面的には強く見える人たちも、陰で努力し、時には悩みながら頑張っているのかもしれません。完璧に見える人でも、完璧ではないのだと気づいたとき、少しだけ見え方が変わり心が軽くなった気がします。

 それでも自分は、「すみません」とよく言ってしまいます。これは、自分が何か間違っているのではないか、誰かに迷惑をかけてしまっているのではないかという不安が根底にあるからです。
 「すみません」を言い過ぎることで自分が萎縮してしまうこともありますが、あまり自分を責めず、自分自身を労ることも大切にしたいものです。

 社会に出て、失敗が続いて自信を失った経験は、誰にでもあることかもしれません。しかし、ASDを抱えていると、他人と比べて自分が劣っていると感じてしまう機会が多いと感じます。

 今は自分のペースで、一歩一歩進むことが大切だと感じます。無理に完璧を目指さず、自分なりにできることを少しずつ増やしていく。それで十分なんだと思うようにしています。世の中の「超人たち」を尊敬しつつも、自分も自分なりのやり方で頑張っていければいいと思っています。

 今回は、自分が感じたことをつらつらと書かせてもらいました。最後までお読みいただきありがとうございます。

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