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独自のパスを歩む:「子供部屋おじさん」の生活哲学

 おはようございます。今回は「子供部屋おじさん」について語りたくなったので、自分なりに調べて思ったことを書いていきます。
 自分も一人の子供部屋おじさんとしての謎の矜持みたいなものがあるので、その辺りの整理も兼ねています(笑)

 「子供部屋おじさん」とは、大人になってもひとり暮らしや結婚などをして独立せず、子供の頃と同じように実家に暮らし続ける中年男性を指す言葉です。

 子供部屋おじさんという言葉は、一般的に「個人に自立心が無い」や「いい年をしてみっともない」という意味で使われます。

 そしてその「子供部屋おじさん」という言い方を見るに明らかですが、自立心の無いことを「悪、ナマケモノ、無責任」と批判する要素が含まれている言葉であり、良い意味や中立的な視座では使われない言葉だと言えます。

 自分自身も「子供部屋おじさん」であり、周囲からもそのように見られることは百も承知です。
 ただ、露骨にそれを言われないのは、自分に障害があると認知されており、そういった言葉を避けられているのかもしれません。
 そこには「あなたと私は事情や背景が異なりますよね」という文脈が成り立っていることが前提にあるのでしょう。

 自分の休日の過ごし方を軽く紹介します。食事は母親が準備してくれますし、洗濯もしてもらっています。かつて一人暮らしを経験していたので、料理の基礎スキルは残っているものの、腕前は落ちていると思われます。
 洗濯は洗濯機を利用し、あとは服のしわを伸ばして干したり、難しい洗濯物はクリーニングを頼んでいます。
 掃除は、比較的好きな家事であり、気になったら随時やりますし、休みの日は特にしっかりしているつもりです。実際、以前一人暮らしをしていた時には、友人から「男性としては珍しく部屋が綺麗だよね」と言われたことがあります(笑)

 そして余暇の過ごし方ですが、読書やドライブ、noteや動画作成、スマブラ(ゲーム)、トレーニング、さらには勉強などを多岐にわたります。

 よく、「妻や子どもがいなくて寂しくないのか」「暇ではないのか?」と尋ねられることがありますが、正直に言えば寂しさは多少あるかもしれません。
 しかし、暇というほど時間が余っている訳ではないです。むしろ自分がやりたいことに没頭しているうちに時間が経ってしまい、気づけば夜になっていることがあります(笑)

 自分は特に「子ども部屋おじさん」に関しては、当事者でもあるためか「悪い」とは一ミリも思っていません。むしろ経済的なメリットがあるので、自分にとって資源を効果的に活用する方が合理的だと考えています。

 最近では、他人が常識や世間の基準を利用して、恥や罪悪感を煽ってくる人や自尊心を毀損させようと悪意のある人は、淡々と人間関係を断捨離できる術を持ち合わせました。

 時間は誰にとっても有限です。自分の人生を充実させるためには、どのように過ごすべきかを考えることで、適切な選択肢が見えてくるでしょう。

 結論として、他人が「子ども部屋おじさん」と言おうと好きに言わせておいて、自分は自分の作業をじっくり味わいながら、人生を充実させることに注力した方が豊かな人生を歩めると考えます。

 「子ども部屋おじさん」は、中立的な意味で使われることは稀であり、その文脈に反応するよりも、自分の人生に集中することが自分のQOLを向上させると思います。

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。


「資源の分配と成功:人生前半の集中投下」

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猫男@ASD
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