「DNAを残す」ということ
これまで婚活などで異性へのアプローチに23回失敗し、中年になってから時が幾分か経った現在、私は婚活をやめています。ASDを抱え、子供部屋おじさんとして暮らしている私にとって、婚活は想像以上に厳しく苦しいものでした。さらに、友人たちからの言葉にモヤッとするものがありました。
彼らの価値観に基づく意見は、まさに「DNAを残すことこそ人生の使命」といった感じに思えました。自分の子供を持つことが唯一の承認の証であり、死後も自分が何かを残したという達成感を得られる…そう信じているようです。
しかし、私が思うのは、果たして本当に「自身のDNAを残すこと」だけが人生の目的なのか、ということです。もちろん、子供を持つことが人生の大きな喜びだと感じる人もいますし、それを否定するつもりは全くありません。でも、私にとってはそれが唯一の幸せではないと感じます。
私が婚活をしていた時、そこで感じたのは「全く面白くない」という現実でした。婚活での失敗は、時に自分の存在そのものを否定されるかのような感覚に陥ります。毎回、自己を振り返り、何がダメだったのか考え、試行錯誤するものの、結果として「恋愛対象にはなりません」と言われ続けるのは心に大きな負担を感じることがあります。
そんな経験を積み重ねた後、私はふと疑問に思いました。「本当にDNAを残すことが、自分にとっての目標である必要があるのか?」というものです。友人たちが言う「孤独死」や「人生の屈辱」という言葉は、確かに恐怖や負い目をかき立てる一面もありますが、それだけで結婚や子供を求めるのは短絡的です。
婚活をやめる決断をしたのは、自分の価値観を大切にするためでした。結婚やDNAを残すことが他人にとって大事なものであっても、それが必ずしも私の人生の最終目標である必要はありません。
社会から求められる「結婚して子供を持つべき」という圧力は根強いものですが、私は「生きていてもいい」と思える自分を見つけることが最も重要だと感じます。結婚や子供を持つことが人生の全てではなく、むしろ自分の心が納得できる選択をすることこそが本当の意味での幸せにつながるはずです。
もちろん、これは簡単なことではありません。時には孤独を感じることもあるでしょう。しかし、趣味や学びといった、自分の欲求を満たす手段を利用することで、ある程度の満足感を得ることができるのも事実です。これらの手段はあくまで物理的・精神的な欲求を短期的に満たすものであり、誰かとの長期的な絆や伴侶との生活とは異なるものでしょうが、それで十分だと思える瞬間もあるのです。
私にとっての人生のゴールは、「自分を欺かず、心の声に耳を傾け、正直に生きる」と感じることです。それが結婚や子供を持つことである人もいれば、そうでない人もいます。私は後者であり、恋愛・結婚から身を引いた現在、自分の生き方に納得して日々を送っていきたいと考えています。
他人の意見に振り回されず、自分のペースで生きていくことが、今の私にとって一番大切なことです。今後も「自分らしさ」を大切にしたいと思います。