【発達障害】「二倍三倍努力すれば良い」というアドバイスについて
皆さん、こんばんは。今回は、発達障害者に対してよく言われる「二倍三倍努力すれば健常者と同じ結果が出せる」というアドバイスについて考えてみたいと思います。
私自身、作業療法士の国家試験に向けて準備をする際、クラスの成績が下位で要領が悪いことを自覚していたため、1年生の春休みから国家試験対策を始めました。同級生達がもっと後から取り組んでいたことを踏まえると、私は二倍三倍努力したのかもしれません。
しかし、発達障害当事者の多くは、このような言葉に対して「心が折れる」と感じています。この発言が与える影響と、社会の課題について考えてみます。
発達障害者に「健常者と同じ結果を出すために、もっと努力しなさい」と言われることは、表向きは前向きなアドバイスに聞こえるかもしれません。しかし、この言葉の裏には、発達障害者が抱える特性や限界に対する理解不足が隠されています。
発達障害を持つ人々は、集中力やコミュニケーション、またはスケジュール管理など、日常生活や仕事の中で数多くの困難に直面しています。健常者には比較的容易なタスクも、発達障害者にとっては数倍のエネルギーを消耗することがあり、それを見過ごして「もっと努力すればできる」というのは、過度な負荷をかけることになります。
「努力すれば報われる」という一般的な考え方は、健常者にとっては有効かもしれませんが、発達障害者にとっては必ずしもそうではありません。無理をして努力をしても、期待される結果が得られなかったとき、その失敗が「自己責任」とされ健常者から結局は叱責されるケースが多いのではないでしょうか。
発達障害の当事者の中には、頑張っても期待通りの結果が出ないことに対して、「社会が冷笑している」と感じている人もいます。努力しても報われなければ、結局は自分が悪いとされ、社会的なサポートも不足しているため、そのような現実に不満や不安を抱く人が多いと感じます。
発達障害者が努力することで、健常者に近づこうとする一方で、代償として休息や趣味、セルフケアの時間を削らなければならない場合も少なくありません。このような持続不可能な努力は、やがて心身の健康を損ない、過労やメンタルヘルスの問題を引き起こすことになります。最終的には、これが原因で深刻な精神疾患に発展するケースも考えられます。
発達障害者に対して「健常者の倍以上の努力をするべき」という考え方を押し付けるのを辞めることが、社会がまず行うべき重要なステップではないでしょうか。それよりも、彼らが無理なく働ける環境を整えること、そして個々の特性に応じた支援を提供することが大切だと考えます。たとえば、彼らがメンタルヘルスを維持するために十分な休息や趣味の時間を持てるような働き方を考慮する必要があります。
発達障害者が無理なく仕事に取り組み、成果を上げるためには、ある程度の自分のペースで働ける環境と柔軟な制度が求められます。また、社会全体として発達障害への理解を深め、支援体制を広げていくことが、彼らが持つ本来の力を発揮するために必要です。無理を強いるのではなく、彼らが強い負荷に耐えなくとも生きられる社会を目指すことが重要ではないでしょうか。
発達障害者に「二倍三倍努力すれば良い」という言葉は、当事者にとっては傷つくものであり、決して励ましにはなりません。努力しても報われなかった現実に対し、周囲が叱責と冷笑をしながらその責任を当事者に押し付ける姿勢は、理不尽であり無理解です。発達障害者が健全に働き、自分の力を発揮できる環境を整えることが、社会が取り組めることだと思います。
私たちが目指すべきは、発達障害者も健常者も無理なく生きられる、包括的な社会だと思います。健常者も障害者もお互いに支え合い、成長していける未来を築くために、まずはこのような偏った考え方を見直し、互いが理解し合う姿勢が大切ではないでしょうか。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。