【発達障害】「愚者」には“懲罰”を、「障害者」には“支援”を
上記の内容は、自分にとっても全く他人事ではありません。自分が現在「合理的配慮」を受けられる根拠があるのは、「自閉スペクトラム障害」という診断があり、社会的証明があるからです。
ただの「空気が読めない人」「要領の悪い人」だったら、「配慮なんて、何を甘えているんだ!」という叱責が飛んでくるのは間違いないと思います。
帰属理論というものがあります。帰属理論とは、「本人の努力や心がけで、その状態から脱することができると誤って信じられている属性は、スティグマを負いやすい」というものです。
帰属理論によれば、その存在に気づかれにくい、あるいはその効果が過小評価されやすい精神ショウガイや発達ショウガイは、「わがまま」「怠けている」などの誤解にさらされやすく、それゆえスティグマの対象になるということです。
帰属理論は、依存症、貧困や生活保護、肥満、学歴などに関連したスティグマをよく説明するものです。
発達障害は、その障害が過小評価されているように感じます。
「そんなのみんなあるよ」という声がけがまさにそれを物語っているでしょう。
癌や脳卒中の人に対して、「そんなのみんなあるから大丈夫だよ」と言っている人を自分は見たことがありません。
発達障害の障害特性、例えば「人の意図や感情を察するのが難しい」「こだわりが強くて要領が悪い」というものに対して、障害特性と認知されなければ、それは学ばない、経験が乏しい「愚者」として認定されるでしょう。
愚者には「罰を与えて導く」のが適切で、「懲罰」の対象という文脈をしばしば感じることがありました。
ツイートにもあった「ただの能力の低い無能を極めた健常者」という認識をされたら、人々はその人に厳しく当たる。
つまりは「この人は健常者なのに「愚者」だから“懲罰”を与える」という方向に向かっても全くおかしくないと思います。
自分は「自閉スペクトラム障害」の診断名がつき、それを開示してから圧倒的に「叱責」されることが減りました。もちろん、自分が障害受容をして自己理解に努めているのを評価されたのもあるでしょうが、一番大きいのは属性が変わったことだと思います。
健常者なのに「愚者」というポジションから、「障害者」だから“支援”の対象になったことで「合理的配慮」が妥当という文脈が成り立ったため、叱責による「懲罰」から、合理的配慮による「支援」に変わったのだと感じます。
この変化は、自分の生きやすさに大いにポジティブな影響を与えました。
当たり前ですが、属している環境で毎日のように「懲罰」を受けるよりも、適切な「支援」受ける方が、過ごしやすさが全く別物というのは想像に難くないでしょう。
ですので冒頭で紹介したツイートした人の思い、「自分から発達障害の診断が外れたら、生きていけないよ。。。」は、とても理解ができますし、自分も同様です。
人によってでしょうが、「発達障害」の診断名はその人の運命を左右するものだと自分は強く感じます。
もし自分に「発達障害」の診断名がなければ、今もきっと「無能」「社会人のクズ」という烙印を押され続け、社会に自分の居場所を持てず、社会参加が不能になり、場合によっては引きこもりになったかもしれません。
自分のとって「自閉スペクトラム障害」という診断名は、「御守り」のような役割を担っています。
「発達障害の診断名」の存在はその人の人生を大きく左右するでしょう。診断がつかないと「愚者」として扱われ“懲罰”を受けますが、診断がつけば「障害者」になり“支援”の対象になります。
「発達障害」の診断名がつくかつかないかは、その人の人生の難易度に大きく関わります。
“懲罰”の対象になるか、“支援”の対象になるか、その人に人生の生きやすさに雲泥の差をもたらすのが、「診断名」があることによる「社会的証明」ということを自分は強く実感しています。
最後までお付き合いいただきありがとうございます✨