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「自己責任」が生んだ闇バイト──弱者を救う社会の課題

 「社会のせいにするな」「国をあてにするな」と弱者に対して自己責任を突きつける風潮が根強い昨今、生活が困窮しても自己努力でなんとかするべきだという声が聞かれます。しかし、その「自己責任」の影響を受け、追い詰められた結果、生活困窮者がこぞって闇バイトに手を出すという現実が生まれつつあるようです。これは、はたして本当に望ましい結果なのでしょうか。

 自己責任が美徳とされる社会では、支援を求めることが「甘え」や「恥」と捉えられがちです。たとえば、生活保護の利用を批判する声も少なくなく、支援が必要な人々は肩身の狭い思いをし、支援を申請しにくくなっています。そうした中で弱者たちは、行き場のない苦しみを抱え、困窮する生活を耐え続けなければならない状況に追い込まれます。頼ることができるセーフティーネットが薄い中、違法行為や闇バイトのような危険な道に走ってしまう人が増えているようです。

 自己責任の概念には、各自が努力し、自立して生きることの重要性が含まれています。しかし、その概念を社会全体に強要することで、支援を必要とする人々が孤立し、最終的に社会全体が抱えるリスクが増加するという現実があります。

 もしも支援を受けられる環境がもっと整っていれば、違法行為や闇バイトに頼らずに済む人が増えるはずかもしれません。しかし現実には、生活に困窮し行き場を失った人々が増加し、結果として犯罪や違法行為に巻き込まれることが増えている状況なようです。この現実は、自己責任を強調するだけでは社会の安定を保てないことを示しているでしょう。

 個人の努力を促す「自己責任」という考え方は重要ですが、それを強調しすぎると、セーフティーネットが不十分なまま支援を必要とする人々が孤立することになります。結果として、行き場を失った人々が追い詰められ、犯罪に手を染める事態が生まれ、社会全体の安全が脅かされる可能性もあります。自己責任を求めるだけでなく、社会全体で弱者を支える仕組みやサポートが強化されることで、社会の安定にもつながると考えます。

 今、必要なのは「自己責任」だけを強調することではなく、支援が当たり前に受けられる社会をつくることだと思います。経済的な困窮や障害、家庭環境といった個人の力だけでは乗り越えられない状況がある中で、誰もが生きやすい社会を目指すことは、自己責任の強要以上に価値のある目標ではないでしょうか。

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猫男@ASD
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