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「何者かになろうと苦しむ人たちへ」〜新たな一歩を踏み出すために〜
皆さん、こんばんは。今日は、「何者かになりたい」というテーマについて再び考えてみたいと思います。過去の記事でも触れましたが、新たな気づきがあったので、今回もその思いを綴っていきます。
現代社会では、「多くの人に認められたい」という願望が強く見られます。SNSでのフォロワー増加や仕事での成功を追い求めることが、多くの人にとって魅力的な目標となっているでしょう。しかし、この「何者かになりたい」という願望の背後には、もっと深い心理的な背景があるのではないかと感じています。
まず、「多くの人に認められたい」と願う人々は、往々にして「身近な関係」に何らかの問題を抱えていることが多いように思います。たとえば、友人や家族との関係がうまくいっていない、あるいは過去に友人や家族に見捨てられたり、侮辱された経験があるといったケースです。
こうした経験から生まれる寂しさや孤独感が、次第に「もっと多くの人に認められたい」という願望へと転じることがあります。つまり、「何者かになりたい」という思いは、実は近しい人々との関係性に対する不満が発端であることが多いのではないでしょうか。
次に考えるべきは、「自分にとっての世界とは何か」という問いです。多くの人がインターネットやビジネスの世界での成功を目指しますが、本当に大切なのは、もっと身近な人々との関係かもしれません。たとえば、ある人にとっての世界は「地元の友達」や「家族」といった、顔と顔を合わせて話し、共に過ごす時間を大切にする人々であるかもしれません。
「では、自分は家族や友達に認めてほしいだけなんだろうか?」と感じるかもしれませんが、それは決して間違いとは言えません。むしろ、身近な人々との関係が良好であることは、私たちが本当に必要とする安心感や満足感を得るための鍵となるでしょう。
このように考えると、「何者かになりたい」という願望は、外部の評価を求めることで自分の内面の欠乏感を埋めようとする試みかもしれません。
その根本的な原因に目を向け、近しい人々との関係を改善することで、過剰な承認欲求は自然と和らぎ、よりバランスの取れた人生が送れるようになるでしょう。
かつては自分も「何者かになること」を目指していましたが、今ではその意義が薄れています。若い頃の就職活動で失敗し、その後のキャリア形成がうまくいかなかったため、婚活市場で何度も足蹴にされたことがありました。しかし、現在はその経験が現在のキャリア形成において重要な学びであったと感じています。
中年に差し掛かり恋愛で23回失敗したことや、子どもを持つことが現実的ではないと感じる中で、最も大切なのは、自分に合った生き方を見つけることだと気づかされました。
結局、自分に合った生き方を見つけるためには、自己理解を深め、無理のない現実的な目標を設定することが重要です。闇雲に名声や富を追求するのではなく、自分の興味関心に基づいた生活を送り、過度に忖度せずに生きることが、自分にとっての最善の選択であると感じています。
「何者かになる」ということに固執せず、自分が本当に大切にしたい人々や価値観を見つめ直すことで、より豊かで満足感のある人生が築けるでしょう。
過剰な承認欲求を手放し、自分に合った生き方を選ぶことで、最も現実的で心地よく感じられる生き方が見つかるのではないでしょうか。
今回は、「何者かになりたい」という願望について考えてみました。この記事が読者の皆さまにとって、何かしらの参考になれば幸いです。
【過去記事】
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