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40代で「遅咲きの社会性」を手に入れたとしても――発達障害の当事者が感じる絶望とは?

 「発達障害者は40歳を過ぎた頃に経験が活きて社会性が開花する」という可能性について話題になることがあります。確かに、発達障害を抱える当事者が遅いタイミングでも社会的スキルを身につけられることは、前向きな変化かもしれません。しかし、十分な社会性が開花したところで、そのタイミングが「40代」だとしたら、それは果たして本当の希望と言えるのでしょうか。

 実際、ある発達障害の当事者がこうした意見をもらしました。もし40代で社会性を手に入れても、恋愛、結婚、子育てといった「健常者が自然に経験するイベント」には手が届かず、需要を感じられない虚しさが残るというのです。「40歳で咲いたとしても、周りは散っている」という表現には、長年の苦しみがにじんでいます。これは単に遅い成長への諦めというよりも、社会において自分の居場所がないと感じる絶望に思えます。

 多くの発達障害(特にASD)の人々は、20代や30代で暗黙の社会のルールを理解し、人間関係のスキルを自然に身につけることが困難といわれます。人との接し方を試行錯誤しながらも、社会の一員として成長していくのが普通の成長過程だとすれば、発達障害を持つ人には七転八倒の道のりが非常に険しいものです。恋愛や結婚、子育てといった「健常者イベント」を迎えたくても、そこで挫折し、社会から遅れていく感覚にさいなまれます。

 このような「普通の成長」から取り残されたまま時間が経過し、十分な社会性がようやく手に入る頃には40代。周りは家庭を持ち、人生の次のステージに進んでいます。その光景を見て、自分も普通にその道を歩めたならば…と考える人も多いでしょう。「もう少し早く自分が開花できていれば、もっと普通の人生を送れたのに」という悔しさが、当事者の胸には残るのかもしれません。

 遅咲きの社会性は、確かに少しでも当事者の生きやすさを向上させるかもしれません。しかし、社会に求められるスキルや人との関係性を40代でようやく身につけても、それが十分なものにはなり得ない現実があります。彼らが本当に望んでいるのは、年齢を問わず働きやすい環境やサポートがあることではないでしょうか。

 20代や30代の若い頃から、発達障害を理解し、必要なサポートを得られる社会であれば、彼らももう少し早い段階で社会性を育むことができる可能性があります。現状のように、40代になってようやく花が開いたとしても、当事者が自己効力感を感じないのであれば、結果的に無力感だけが残るのかもしれません。

「40代で社会性が開花する可能性がある」という見方がある一方で、その年齢になるまで苦しみ続けてきた現実を、見落としてはいけないと思います。今後は発達障害の当事者が早い段階から社会的スキルを磨ける環境を整えることが、多様性の一つであり、本当のサポートではないでしょか。年齢やスキルに関わらず、社会の居場所があり、遅咲きの成長も認められる社会が、発達障害の当事者にとっての一つの生きやすさに繋がるかもしれません。

 時間は誰にとっても不可逆的です。発達障害の人々も人生を無駄に感じることなく、成長を続けられることを心から願います。


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猫男@ASD
もし、サポートしたいと思っても、そのお金はここではない他の何かに使ってください。僕の方はサポートがなくともそれなりに生活できておりますので。