竜の爪あと その5
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廃墟の中であれだけ堂々巡りを繰り返したことを思えば、廃墟から村までの道のりは拍子抜けといってもよかったかも知れない。今度は道に迷うことなく、彼らはすんなりと廃墟の街をあとにすることが出来たのだった。
だが仲間の何人かは物言わぬ亡骸となり、彼らを担いでの行軍でもあったし、負傷したマーカスの容体もあまり良好とは言えなかった。
村に戻れば、部隊のうち待機していた面々の中に衛生兵がおり、早速マーカスの手当に当たることとなった。無論、アドニスも魔導士として救命の心得が多少はあり、知らぬふりもできずに行軍の疲れを癒やす間もなく一緒に治療に当たる。
あとは、ただ疲れ果てた兵士たちがやつれた表情を並べるばかりだった。無理もない、ひたすら廃墟の町をぐるぐると歩き回り、突然の豪雨にずぶぬれにもなり、討ち倒したとはいえ竜に追われるがまま逃げ惑い、這々の体で夜通し歩いてここまで戻ってきたのだ。ぐったりと憔悴する兵士たちに、食事をとり身体を休めるように告げたベオナードが振り仰ぐと、そこには近衛騎士ルーファスがいかにも苦虫をかみつぶしたような渋面でこちらを見ていたのだった。
「いかにも何か言いたそうであるな、近衛騎士どのは」
「竜はあの通り討ち果たした。これからどうするつもりなのか、貴殿の見解を聞かせてもらおう」
「見解も何も。竜を討伐したとあれば近衛騎士どのが望んでいた通りの結果ではないか。なぜそのように貴君は渋い表情をしておるのだ」
「証拠もなく竜を倒したと言い張ったところで、だれが信じるものか」
そもそも、竜が実在したという所から人に話して信じてもらえなさそうではある。ベオナードは、ふむ、と頷いた。
「貴君の言い分ももっともだ。……だが用心は必要だな。竜があのまま本当に死んでいるという保証もない。それに俺はむしろ、あの魔導士オルガノフ以外の先の調査団の面々が本当に誰一人生き残っていないのかどうか、念のため調べる必要があるのではないかと思う。竜が退治出来たからそれでよしというのでは本来の任務を果たしたとは言えない。見つからないなら見つからないで、通り一遍にでも探してみる必要はある」
「……では、近衛の判断であの廃墟にもう一度赴いても、貴殿は咎め立てはしないということか?」
「いや、行くのは構わぬが今すぐというわけにも行くまい。……気持ちは分かるが、あの場所に好き好んで戻りたい者がいるかどうか」
それでも、ベオナードが方針を説明した上で志願者を募ると、名乗り出る兵士が数名いるにはいた。近衛は近衛で、近衛騎士が部下に否とは言わせないだろう。ともあれ昨日の今日では重い腰は上がらず、翌朝ふたたび廃墟へ向かう事とし、その日は一晩村にとどまり身を休めることとなった。
負傷したマーカスの容体は安定しているとは言えず、アドニスは衛生兵らとともに村に残ることとなった。彼女を置いて、翌朝ベオナードら一行は翌朝廃墟へと再び向かっていった。
一行がもっとも気がかりであったのは、何と言っても竜の亡骸の行く末だった。大型の生き物には違いないが、ただの生き物というわけでもなく、いつの間にか忽然と雲散霧消していることだって充分に考えられた。もし消え去ってしまえば、犠牲者たちは一体何の犠牲になったのか、証し立てする事もかなわない。そういうこともあって一行は廃墟にたどり着くなり竜が倒れたその場所に真っ先に足を運んだのだったが、果たして首の行き別れた亡骸は、昨日と同じ場所にそのままの姿勢で残されていたのだった。
無論、死んだように思われて竜もしくはオルガノフがいまだ存命の可能性も否定できず、その場合例の結界を再び巡らせていたならば、アドニスが不在の今度こそ彼らは廃墟に閉じ込められる不安もあったわけだが……竜があれから生きて動いた形跡もなく、念のため崩れた建屋を探索してもオルガノフの姿を見つけることは出来ず、代わりに大量の血痕が床の敷石の上に残されており、状況から察するにおそらく命を落としたものと断じるより他になかった。
ベオナードら探索隊は半日かけて廃墟を再度見て回ったが、オルガノフのみならず先の調査団の誰であろうとやはり生存者はいなかった。こちらもやはり、何らかの形で竜の犠牲にあったものと判断するしかなかっただろうか。
彼ら探索隊が集団でまやかしでも見ていたわけではない物証として、正騎士ベオナードは竜の亡骸に恐る恐る近づき、鱗を一枚、えいやと引き剥がした。
「それだけでよいのか?」
「これで十分であろう」
近衛騎士ルーファスはと言えば部下と一緒に、どうにか切り落とされた首を持って帰れないかと思案していたようだったが、担ぎ上げるだけでも相当な重量があり、さすがに王都まで持ち帰るのは無理があった。ならば角だけでも、と彼は言うが、これもどう切り落としたものか分からない。
「では、爪だ。爪を持ち帰るのだ」
ルーファスは配下の兵士に、竜の腕から爪を切り落とすように命じた。とはいえ命じられた近衛兵もどうすればよいか分からずに、血だまりのぬかるみに足を踏み入れ、二人ほどで苦労して指を切り落としたのだった。
指とは言っても人間の腕ほども太さはあった。近衛らはこれを村に持って帰り、村人からのこぎりのたぐいを借り受けて爪を切り落とす算段のようだった。
一行が疲れ果てて村に帰ると、アドニスが浮かない顔で出迎えるのだった。
「それで、廃墟はどんな具合だった?」
「さて、どうにもこうにも」
「竜は?」
「俺たちが帰ってきたときのまま、城塞のあの場所に骸をさらしていた。夢や幻ではなかった事は証明されたようだ」
「……オルガノフは?」
恐る恐ると言った彼女の問いかけに、ベオナードは内心はっとしながらも努めて平静を装いつつ、淡々と説明した。
「城塞の建屋を調べた。俺たちが魔導士を討ったその場所に、かなりの量の血痕が残されていた。……亡骸は見つからなかったが、這ってどこかに逃げた風な痕跡でもなかった」
「そう……」
「マーカスは、どうだ?」
「容体が思わしくない。しばらくはこの村から動かせない」
「そうか」
ベオナードは思案顔で、彼方の地平線を見る。
「竜のことはともかく、脅威が去ったのであれば本来の探索行に何らかの収穫が欲しいところだ。あいにく今日一日は何の成果もなかったが、負傷者を動かせないならその間は猶予があるという事か……」
ベオナードは近衛騎士を見やる。ルーファスはと言えば竜を倒した証しを持ち帰るという彼らなりの目標は果たしたので、それ以上の探索に付き合う気はないようだった。ベオナードは取り敢えず病床のマーカスを見舞い、部下たちに野営の準備を命じた。
「だが、あまり村の者に負担をかけるわけにはいかない。最悪、マーカスの件に関しては治療のため別途医療部隊の手配をして、我々は入れ違いに撤収という事になりそうだな。そもそも、アドニスの身柄だって魔導士の塔から借り受けているわけだし、こちらの都合で僻地にいつまでも留め置くわけにもいかないだろう」
ベオナードにしてみれば死んだとはいえ竜やオルガノフの事も含めて探索にはアドニスにも同行してもらいたかったのだが、マーカスの事もあり翌日の探索にすぐさま連れ出すわけにもいかず、結局はベオナードらだけでの再訪となった。彼らが徒労に近い探索を続けている間に、村に残った兵士たちが犠牲者の埋葬のための穴掘りを行い、探索隊が帰ってきた夕刻に簡単ながら埋葬が執り行われた。
「明日はもう廃墟の探索にはいかないのよね?」
「何の手掛かりも掴めなかったが、これ以上探し回ったところで無駄足だろう。王都に戻ってこのことを報告すれば、またあらためて竜の亡骸を処遇するための調査団なりが差し向けられるに違いない。そこから先は、その連中に任せよう」
「私、このまま帰るべきなのかどうか分からない。竜が死んだのは本当だとして、明日もあさっても同じように亡骸をさらしたままなのか、それともこれから何か私たちの理解の及ばないようなことが起きるのか……」
「……」
「本当に竜が死んでいるのか、私もこの目で確かめておいた方がいいような気がする。……でもそんなわがままも言っていられないのよね」
「いや、魔導士のあんたが不安に思うというのに、それを無視して帰還したのちに何かあったりしようものなら、何のために魔導士を帯同したのか分からん。結局先の調査団のいた形跡すら何も見つけられていないのだから、少しでも気がかりがあるのなら、今一度足を運んでもいいと俺は思うぞ」
マーカスの治療を引き継ぐための医療班は、すでに最寄りの駐留部隊の拠点へと早馬を飛ばし、明日の到着という返答を貰っている。マーカスを引き渡したのちにアドニスをともなって今一度廃墟に立ち寄った上で帰途につけば……とベオナードは算段したが、アドニスの考えは違っていた。
「これから、行ってみようと思う」
すでに日も落ちており、竜の脅威は去ったとはいえ普通に荒野の夜は不慣れな者に独り歩きさせてよいものではない。引き留めようとしたが、アドニスはそれを固辞し、一人で行くと主張した。やむなく、ベオナードは部下に言づてを残し、自分ひとりが魔導士に帯同して廃墟を再訪する事になった。
廃墟に至る道中、とくに交わす言葉もなく、気詰まりな沈黙のまま両者は馬を走らせた。廃墟にたどり着いたところで、頼りになるのは月あかりだけだった。
「こんな真っ暗闇で、何を確かめる?」
「竜の亡骸の元へ。それだけでも確かめたい」
二人が向かってみると、竜の死骸はそのままの姿で横たわっていた。落とされた首からあふれた血が作った大きなぬかるみの前に、アドニスは馬をおり呆然と立ち尽くした。
魔導士のようなものにとっては、この竜の死骸も色々と調べ甲斐のある、興味深い代物だったのかも知れない。だがそれをじっと見つめるアドニスの表情を見るに、そのような好奇心を満たすための来訪というわけでもなさそうだった。
一面に広がる血だまりは月明りを照り返し、ただどす黒く広がっているのだった。何かに気づいたのか、ふいにアドニスは前方へ――血だまりのぬかるみの中に足を踏み入れていく。
「あっ……おい!」
ベオナードが慌てて呼び止めたが、彼女は膝までぬかるみにつかりながら、汚泥をかき分けて突き進んでいく。彼女の向かう先にあったのは、血だまりに沈んだひと振りの剣の、柄の部分だった。
ベオナードはそれに見覚えがあった。彼が竜の首に深々と突き刺し、そのまま根元から折れてしまった彼自身の剣だった。這々の体で帰途に付き、村に到着する手前で今更のように柄の中身がない事に気づいた。愛用していた武具だから手元にないのは寂しかったが、翌日血だまりに沈むのを発見して、どうせ折れているのだし拾い上げる気にもならずそのまま置きざりにしてあったのだ。
それを、アドニスはわざわざ血だまりに踏み込んでまで拾い上げようというのだ。
何もベオナードのためにそうしたかったわけではないだろう。なぜ彼女がそれに興味を示したのか、彼女が拾い上げた次の瞬間ベオナードも理解した。
拾い上げた……というか、彼女はその柄を、血泥の中から引き抜くように持ち上げた。
ベオナードはおのが目を疑った。アドニスの手の中にある今、その切っ先はどこも折れてもいなければ欠けてすらいない。まっすぐなひと振りの刃がそこにはあった。
無論、ひとたびは折れた事実には間違いなかっただろう。月光を照り返すその切っ先は、元の通りとは言い難かった。
ベオナード自身愛着を持って丁寧に手入れをしてきたのは確かだが、元はと言えば軍からの支給品で、匠の手になる銘品というわけでもなかった。だが今アドニスの手にあるそれは、緋色の玉を磨き上げたような不思議な光沢を放ち、石とも金属ともつかない見たこともないような色に輝いていたのだ。
さらに、アドニスはベオナードの制止も聞かずに、自ら血だまりを渡って竜の前足にたどり着く。見れば握り締められた指の隙間から布切れのようなものがはみ出しているのが分かった。
「近衛騎士たちは爪を切り落とす時に、これに気づかなかったのかしら……?」
指の隙間をこじるようにして、布を手繰り寄せる。どうにか引きずり出したその布の内側に、小さな塊がくるまれていた。
「……まさか」
アドニスはその布の包の重みを慎重に確かめ、恐る恐る包みを解いてみる。中から出てきたのは……それはまさに、人間の赤子であった。
赤子は布のくるみを解かれたとたん、風が冷たかったのか、それとも呼吸が自由になったからか、ぐったりとしていたはずなのに急に小さな胸を上下させ、けたたましく泣き声をあげはじめた。アドニスはただ困惑し、血泥の上に先程の剣を思わず取り落し、腕に抱いた赤子をどうにかあやしつけようとぎこちない動きで揺さぶってみる。
「正騎士ベオナード、あなたに子供はいる?」
「子供どころか、まだ独り身だ」
「私も、妹夫婦のところにこの間子供が生まれたとは聞いてるけど、まじまじと近くで人間の赤子を見た機会など数えるほどしかない。けど、これはやっぱり人間の子供なのではないかしら。そうではない得体の知れない何かだなどと、どうやったら言い切れる……?」
そう……。
うまく頭が働かないが、今のアドニスの言葉がどのような懸念を示しているのかはベオナードにも分かった。わざわざ誰かが死せる竜の指の間に生まれたての赤子を捨て置いていったのだ、と考えるよりは、それが本当に人間の赤子なのかどうかを疑う方が自然だっただろう。
では、人間の赤子ではないとすれば、一体何物だというのか。
それ以上どのような想像をめぐらせたものかすらも、ベオナードには分からなかった。
「では、どうするのだ?」
「どうするって……」
アドニスはしばしの逡巡の末、答えた。
「連れて帰りましょう」
「正気か?」
「では、この子をこの廃墟に置き去りに出来る? 大人だってこんな荒野の真ん中に何も持たされずに放り出されれば、どうなるものか分かったものじゃない。いずれ死ぬかもと分かって、あなたなら置いていける?」
問われて、ベオナードは何も言い返せなかった。アドニスはいかにも慣れない手つきで赤子を抱き抱えたまま、血だまりのぬかるみを歩いて戻ってくる。
「一度村に戻ろう。その子の処遇はそれから考えても遅くはないだろう」
アドニスに返事はなかったが、無言はそのまま肯定と受け止めて差し支えなかっただろう。それ以上死せる竜の亡骸をぼんやり見ていたところで何も始まりはしない。ぬかるみからもう一度剣を拾い上げると、二人は再び馬上の人となり、村への道をとぼとぼと引き返していった。不慣れなアドニスが赤子を抱いたまま手綱を操るのには無理があると訴えたので、赤子はベオナードが小脇に抱え、かわりに紅い剣はアドニスが携えたまま持ち帰ることとなった。
すでに村人も部隊の者たちも寝静まる頃合いだっただろうか。だが村の様子はどこか騒がしかった。
村に宿があるわけでもなし、部隊は村はずれに野営地を設営していたので、決まり通りに歩哨の兵が立っていた。だが歩哨が焚いている松明以上に、村中のあちこちが煌々と照らされているのが分かる。
その明かりが動いていることから、誰かが松明を持って動き回っているのだということが見て取れた。
「何事だ?」
小走りにかけていた兵士をつかまえて、ベオナードが問う。
「用心してください。何者かが部隊の兵士を襲っています」
「村の者たちは?」
「住人に被害は出ていないようですが……念のため、戸締りをして一歩も出ないように触れ回ってはありますが」
ベオナードは抱えていた赤子をアドニスに託すと、その兵士を伴い村の中心部へと馬首を巡らせる。手綱を振るう前に一度振り返り、馬上からアドニスに告げた。
「アドニス、お前はその赤子と一緒に宿営に向かうのだ!」
そのままベオナードは一目散に駆け去っていく。残されたアドニスはと言えば、片手に赤子、片手に剣を抱えたまま、途方にくれてしまった。宿営に向かえと言われたが、村で起きている異変に知らんふりを決め込むわけにもいかない。やむなくベオナードが馬で駆けていった先をとぼとぼと追いかけていくが、正騎士の姿はあっという間に消えてしまっていた。
そんな折、通りの向こうから、叫び声――そう、叫び声としか形容できない異様な物音が響いてきて、彼女は思わずその場で足を止めた。
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