7 根掛かりを全く気にしない私
根掛かりは必要悪だ
私は友釣りの最中、よく根掛かりをします。
追ってくる野鮎の絡みを良くするため、細いハリスや柔らかいハリスを使い、また掛りを良くするため、針先が外向きの針を使う等いろいろ工夫しています。しかし、その工夫の全てが根掛かりに直結しています。
オトリが元気な間はスイスイ泳ぎ、その勢いで掛け針が垂れ下がることなく、ほとんど根掛かりしません。オトリが弱って来て、泳ぎのスピードが落ちると、どうしても掛け針が垂れ下がり底石を掻き、根掛かりし易くなります。後は竿操作で、どう根掛かりを避けるかです。
それでも多いか少ないかは別にして、根掛かりは発生します。特に集中力不足な私、竿操作が下手で、どうあがいても根掛かりが多発します。その言い訳ではありませんが、私は根掛かりを全く気にしていません。
「そらそうやろ、あれだけ根掛かりしたら気にしてる間がないやろ」
と鮎仲間は言うでしょうが。
確かに順調に野鮎を掛けている時、根掛かり発生! ガッカリです。ジックリ好ポイントを攻めたい名人なら、折角の好ポイントがそこで荒れ、順調な追いが止まることに対するガッカリです。その日一日、そこそこ掛ければ満足と言う自称名人の私の場合、外しに行くのが面倒でガッカリです。
私は思うのですが、大体、縄張り鮎はそんなに神経質でしょうか? 多くの仲間たちを蹴散らし、力づくで確保した縄張り、簡単に放棄する訳がありません。根掛かりでポイントを荒らしたとしても、しばらくすれば戻ってくるはずです。
完全に縄張りを放棄して、戻ってこないようなヘタレ鮎は、食べても美味しくないと思うのです。もとの縄張りに直ぐに戻ってくる野鮎、絶え間ない緊張で図太くなった内臓、侵入鮎との闘争で鍛え上げられた筋肉、そして常に新鮮な苔を食む。こんな縄張り鮎なら、塩焼きにして食せば美味しいに決まっています。
つまり、根掛かりは、美味しい鮎を掛けるための「必要悪」だと思うのです。チョット理論が飛躍しているかな。更に根掛かりには、良い効用があります。根掛かり場所まで、フエルト底の鮎足袋で、道中の石を磨きながら往復します。しばらくすると其処に新しい苔が育ち、それを狙って野鮎が新しい縄張りを作ると思うのです。
根掛かり万々歳ではありませんか。決して根掛かり多発鮎師が、自己正当化のため、小理屈をほざいている訳ではありません。
そうは言っても根掛かりは、近隣の鮎師のポイントを荒らし、迷惑を掛けていることは事実です。私の小理屈は通用しません。仕方なく、断って、体を小さくして外しに向かいます。しかし、腹の中では、根掛かりは不可抗力だ! 必要悪だ! 外しに入って何が悪い! と思っています。
それで、根掛かりした時、時間を掛けてガタガタと無駄な抵抗をせずに、躊躇なく外しに向かいます。その方が場荒れは少ないようにも思います。
ただ、一度くらいなら腹の中では強気ですが、同じポイントで何度もとなると、流石に心身ともに小さくならざるを得ません。そして、散々ポイントを荒らした後に、心底申し訳ないと思いながら場所移動です。
その代わりと言っては何ですが、周りの鮎師が根掛かりした時、やってる! やってる! と何故かホッッとしながら、おおらかな気持ちで眺めています。
それでもやはり、根掛かりは、不可抗力だと思うのです。ハリス、掛け針が合っていない、竿裁きが悪いが原因の根掛かりよりも、底石の状態が悪い、流れの底に潜む異物が悪い、の根掛かりが多いように思うのです。
根掛かり多発鮎師の、自己正当化小理屈でしょうか? まあ、どう言い訳しょうが、私の周りの口の悪い鮎仲間達は、間違いなくそう思っているのでしょうが。