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【弱者男性】助けを求められない人【福祉】

助けを求められない人がいる、はっきり言って社会構造の敗北だと思う。

私は精神科へ入院し、そこで障碍者手帳をとり障碍者年金を受給するとケースワーカーさんに話したのだが、そもそもこれは精神科に通い、入院したから決められたことだ。
もし精神科に通わずに居て生活が困窮したら。
特に男性の場合、「自己責任」というものがついてくる。

私は今、助けてと言えない、孤立する三十代という本を読んでいる。
真面目で自分で抱え込みすぎて助けを求められずにいて最終的に亡くなってしまうという男性の話がある。

私は大学時代の同級生の男性と一時期一緒に過ごした時期がある。
その時に感じた。
私みたいな障碍者は、福祉に簡単にアクセスできるが
健常者は自分で何とかしないといけないという事実である。

つまり健常者であるとすべて「自己責任」という事で処理される世の中である。

残念ながら今は弱者男性に対してとても厳しい時代だと思う。
金が稼げなくても周りに助けを求められない、特に過去に輝いて居たりいい結果を残していたりする男性ほど余計に自分の落ちぶれた姿を見せたくなくて一人で抱え込む。

健常者の中で福祉に頼ろうと行動をする人は少ないだろう。
特に男性は「負けを認めた」というプライドを壊すような出来事となる。

そこに踏み込める何か・・・具体的に言うと家に訪問し、大丈夫ですか?と聞きに来る存在、それは今のところ宗教の勧誘か詐欺の商売の勧誘しかない。

昔からある弱者ビジネス。

そう、人はなんでもいいから人や場所のつながりがあれば無敵の人にならずに済む。

長野の通り魔事件の男性も、昔は進学校の人気者だが現在生活保護で借金まみれであるからこそ無敵の人になってしまった。

無敵の人を救うのが宗教や詐欺しか無いのは非常にまずいことだと思う。

まず健常者が福祉を頼るという事についても結構ハードルが高い場合もある。

私も最初、うつ病で新卒採用の会社を辞めたときに精神障碍者が通う施設を紹介されたが親に反対された。
地元がめっちゃ田舎でうわさが広がるのを危険だとおもっていたのだろう。
親が自営業をしているからこそ外面は良くしなきゃいけない。

精神科に通う身分の私でさえ反対されるのだから、自分が障碍者だと思えない、またはプライドが高い方(良い歳の男性に多い)は福祉へのつながりのハードルがかなり高い。

私のように一回入院や障碍者手帳や障害年金のような流れになれば必然的に福祉と繋がれるので一応安心ではある。

そう、どんなに一人が好きでも孤独でも友達や親兄弟が居なくても
「つながり」
これってすごく大事だと福祉にどっぷり漬かった私は感じた。

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